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2011年4月

2011年4月25日 (月)

健康に老化する

第2の人生は、老化と上手く付き合う事が前提になる。運動能力が落ちたり、老眼になったり、皺が増えたり、記憶力が低下したり、物忘れがひどくなるのはノーマルな老化だから仕方がないが、寝たきり老人や痴呆老人になるのだけは絶対に避けたい。最後は、枯れ枝が折れるようにPPKで終わりたい。

快適なシニアライフを送るには、健康に老化しなければならない。これをサクセスフル(ヘルシー)エイジングというそうだ。外見が変化したり体や脳が機能低下することは避けられないが、機能低下しても人間の体には余力があるから、体を更に衰弱させるような病気や体の機能障害にならなければ普通に生活できる。

適度な運動、栄養バランスの良い食事、喫煙・アルコール・薬の乱用を止める事など、健康的なライフスタイルを確立することが、シニアライフのベースになる。病気の早期発見・早期治療も欠かせないから、定期的な健康診断も必要だ。若い時より一層、健康に注意しなければならない。

だれかと一緒に暮らしている高齢者は、一人暮らしの高齢者よりも、入院したり介護施設に入所する割合も少ない傾向にあるという。つまり、健康には、配偶者や友人、趣味仲間等との社会的接触が欠かせない。逆にそれを失うと、うつに陥る場合もある。心の健康が体の健康にも影響を与え、心の老化が体の老化に影響を与える。心の老化予防が重要だ。

2011年4月18日 (月)

新しい仕事

4月から役員を退任して顧問になったが、やっと条件や役割が示された。勤務条件は常勤、給料は今までの3分の2だから、さほど悪い条件ではない。第一線から退き責任も軽くなったのだから当然だ。現実的にも、所得税は今年はきついはずなので、収入があることは助かる。本音では、会社を辞めても、上さんに頭が上がらなくなるのは嫌だから、自分の小遣い程度は自分で稼ぎたいと考えていた。

頼まれた仕事は、後任の部門長のサポートだから、これまで部門長としてやってきたことの延長線上であり、やれる仕事ではあるが、本当は余りやりたい仕事ではない。アドバイスだけならともかく、サポートするとなると、今までは自分で決められたことを、最終決定者である後任にお伺いを立てながらすることになるからだ。彼だって、やり難いはずだ。

お金のために気の乗らない仕事をするか、スッパリと辞めるか、しばらく様子を見てから決めよう。会社を辞めてから、小遣い稼ぎをする場合だって、面白いわけがないから。いずれにしても身辺整理にもう少し時間が必要だ。今後のことをいろいろ考える上でも。

2011年4月17日 (日)

永田耕衣の生き方

城山三郎の「部長の大晩年」を読んだ。三菱製紙の部長であった永田耕衣が、55歳の定年で退職してから、平成9年に97歳で亡くなるまでの晩年を描いたもので、若い時から打ち込んでいた俳句づくりを中心とした晩年を送り、90歳の時には現代俳句協会大賞を受賞するまでになる。耕衣の次の言葉が胸に響く。

「大したことは、一身の晩年をいかに立体的に充実して生きつらぬくかということだけである。一切のムダを排除し、秀れた人物に接し、秀れた書をよみ、秀れた芸術を教えられ、かつ発見してゆく以外、充実の道はない。」

「人間であるということが職業なんや。人間そのものの深化向上を切願する以外の手立てもありゃせんのや。」「人間は死ぬまで成長変化すること。体中に情熱を燃え上がらせることや。」

仕事を離れても人生に必要なのは、充実感・成長感だ。時間が自由になり好きなことが出来る。やりたいことは一杯ある。先輩たちの話を聞いても、やることが一杯で結構忙しいという。ただ、それで毎日を埋めても、自分が本当に情熱を傾けられ、熱中できる好きなものでなければ充実感は得られないだろう。さらに、それを評価してくれる指導者や仲間が必要だ。でなければ緊張感・達成感や成長感は得られない。

耕衣がいう人との交流・読書・芸術の道、それにスポーツも入るだろう。しかし、仕事人間だった自分には、今これという強いものがないからこそ、こんな文章をグダグダと考えながら書いている。いろんなことに興味はあるし、やりたいことはあるが皆中途半端。何か仕事に代わる軸になるものが欲しい。

健康のために、以前から始めていた太極拳を励みの中心にして、毎日一定時間の散歩をしよう。偶には友人とゴルフもしたい。しかし、知性的・感性的な側面がないと物足りない。やはり表現の世界に関わりたい。あるいはボランティアでもいいから、社会的貢献が出来たらと思う。仕事には、それらの要素がすべてあった。

表現で飯が食える人は本当に羨ましい。が、それが出来るのはほんの一握りの人。自分の仕事でも表現に繋がる道はあったが、管理職になった以上はあきらめざるを得ないし、会社中心では本当の自己表現にならない。自分の作品を得々と説明している個人の作家が本当に羨ましかった。自分の40年の会社人生で残したものは、一体なんだったんだろうかと振り返ると、会社には貢献はしたと自負するものの、その外には広がらないことがやはり寂しい。

現役引退

その時は突然来た。営業に来ていた知り合いと打ち合わせの最中に社長から呼び出しがあり社長室に向かった。節電のため照明が消された暗い部屋の中で、いきなり、「申し訳ないが役員を退任して欲しい」「今後は顧問として残って頂きたい」と切り出された。役員定年の年を迎えていたので、覚悟はしていた積もりだったが、3月になっても一向に話がなく、今後の方針を話し合っていただけに驚いた。それでも会社の諸事情を考えれば当然だと思い、「分かりました」と応え、更に「6月の株主総会までですか」と問うと、3月一杯との回答。残り1週間。「急ですね」と応えるのが精一杯。顔が火照るのを隠すように早急に席を立った。来るべきものが来ただけだが、何とも寂しい気持ちだった。

家に帰り上さんに話すと、「お疲れ様。これから大変な時期だから、丁度良かったじゃない。今まで苦労してきたんだから、早く辞めてもいいわよ。」との明るい反応。何か救われた。仕事人間の自分にとっては、いきなり生き甲斐を失ったような寂しさを感じていたのだが、やっと仕事から解放されるんだという肩の荷が下りる感覚を持つことが出来た。3月11日の大震災の影響がようやく収まってきた3月23日の出来事だった。

翌日から部門長として最後の仕事に追われ、あっという間に3月が終わった。直接の部下たちは一人を除き、当然でしょうというような冷たい反応だったが、何人かの若手からは、お礼やらお花やらを頂き、嬉しさと寂しさで複雑な心境だった。「残念です。」といってくれた言葉が胸に染みた。

4月からの会社生活は、何とも居心地の悪いものになった。今まで自分の席の前に相談やら報告やら承認印をもらいに並んだ部下たちが、隣の後任の新部門長の前に並ぶ。当然のことだが「お前にはもう用はないのよ」と言われているようで寂しいことこの上ない。彼らがペコペコしていたのは肩書きのついた自分に対してであって、自分という人間に対してではなかったということを、今更のように感じさせられた。

元部下から取引先の役員が訪ねてきたが、新部門長が不在なので、一緒に会ってほしいと頼まれた。喜んで参加したのだが、現役しか相手にしていないことが相手の態度にありありと表れていた。こんな寂しい思いをするならば二度と同じ失敗はするまいと決めた。

部門長としての仕事の引継ぎ資料のまとめやら、要らなくなった資料等の整理・廃棄を始めて1週間が過ぎた。だが、社長からは「何をやって欲しい。」とも勤務条件や待遇についても話がない。ヒマでしようがないから、徹底的に身辺を整理することにした。今まで忙しくて溜まりに溜まった資料関係を捨て始めたが、普段の整理が悪かったこともあり、そう簡単ではない。入社以来の40年間の垢を落とすのだから当然だと割り切った。

「やれること」を自分で考えてやるべきなのだろう。しかし、「やれること」は後任に引き継いだから当然「やることがない」。相談役、アドバイザーといえば格好いいが、経営管理職を数年勤め、判断業務ばかりで暮らしてきたから、もはや第一線で役に立つ専門能力もスキルもない、中途半端な存在だ。仕事人間の自分には、デンと構えて何もしないというのが性に合わない。「ただ飯を食っている」と言われているような気がして居心地が悪いのだ。引退の準備をしてこなかったお前が悪いと言われればそれまでのことだが。早く辞めたいという気持ちが強くなった。では、辞めて何をするのか。

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