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2011年5月

2011年5月27日 (金)

義務と自由

義務と自由

いいボランティアはないものかと考え始めた矢先、厳しい言葉に出会った。

「ボランティア活動の仕事の特徴はいつでもやめられることが出来ることである。自由がある。親の面倒や子供の面倒は義務である。義務より自由がよい。義務からのがれるというやましさをなくしてくれるのがボランティア活動である、とまで言ったら酷だろうか。」(渡部昇一『知的余生の方法』)

自分にとっては、田舎にいる老いた両親の面倒を見ることが先だと言われたようなもの。今までは仕事を言い訳にして両親の面倒を見ることを逃げてきたのではなかったか。そして、今度はボランティアを言い訳にするのか。

自分の生活を犠牲にして、毎週田舎に帰り親の面倒を見ると言う友人も少なくない。本当に尊敬してしまうが、自分にはそこまでやりたいという気持そのものがない。とはいえどこかにやましい気持もあるから厄介だ。

まだギリギリ、二人で何とか暮らせるとはいえ、近くにいたらもっと面倒を見れたはず。妹の方がまだ良く面倒を見ているので、それにすっかり甘えている。また、女房と母親とのもめ事もあり、長く一緒に暮らしてきた女房のほうを優先せざるを得ない事情もある。これも言い訳だが。実際、今の生活を捨て、田舎に帰る気もないし、親を引き取る気もない。長男だから、片親になったら考えなければならないが、今は、まさに義務より自由を取りたいのが本音。シニアライフにとっては頭の痛い問題。

ボランティアは、本当に自己満足のための偽善なのか。相手が喜んでくれるのを自分の喜びにするのは、別に偽善でもなんでもないと思う。それが相手に対する本当の愛情から出た行為ではないから偽善だと言うなら、偽善でもいいではないか。

2011年5月22日 (日)

利他と利己

本の名は、「働かないアリに意義がある」長谷川英祐著。副題は、「社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係」とある。以下、その主旨と感想。

「7割は休んでいて、1割は一生働かない」という帯のキャッチフレーズに誘われて読んだ。働かない口実を探そうというわけではなく、本能のまま合理的に動くはずのムシたちがヒトと同じようにサボるはずがない、一体どういうことなのかという素朴な疑問からだ。

答えは、「働かないハチやアリがいるのは、集団を存続させるため」ということ。幼虫の出す「エサをくれ」と言う刺激に反応して、ムシのワーカーたちはエサを集め幼虫に与える、つまり働くのだが、個体によって反応の感度が異なる。サボろうとするムシはいないが、すぐ働く刺激に敏感なムシからなかなか働かない鈍感なムシまで多様に混ざっている。エサが足りないと幼虫の刺激が強くなり、鈍感なムシも働きだす。つまり誰から指示されなくても、必要な仕事に対して必要なワーカーを臨機応変に動員することが出来る。働き続けて疲れたムシが休息しても、別のムシが動き出しワーカーがゼロになることはない。

もし全員が同じ感度で一斉に働くと、処理できる仕事量は大きくなるが、同時に全員が疲れてしまい、誰も働けなくなる時間が生じてしまう。卵の世話などのように、短い時間の中断でも致命的になるので、集団が存続できなくなる。これがムシたちの用意した進化の答え。ヒトの組織でも、画一的な個ばかりだと変化する様々な状況に対応できないので、長期存続のためには規格外の様々な個性を抱え込む余裕・余力が必要なのと同じである。

もう一つの興味深いテーマは、「働きアリやハチの存在。彼らはひたすら女王が産んだ卵を育てるワーカーとして集団の中で生きているが、自らの子供は残さない。つまり自らを犠牲にして、利他的すなわち社会的な行動をするのだが、これは『進化は将来の世代に残る遺伝子数を最大化するような形で起こる。』という進化の大原則と矛盾しないか。」というものである。

アリやハチでは、受精卵からはメス、未受精卵からはオスしか生まれない。オスはメスの半分量のゲノム(DNAのセット)しか持っていない。ワーカーは全てメスであり女王の娘であって、父のゲノムの全てと母女王のゲノムの半分を持っている。女王の生む卵とはワーカーの兄弟姉妹であるが、妹だけがワーカーと3/4重なるゲノムを持っており、弟や自分の娘より血縁度が高い。従って自分の子供を育てるより、母の娘すなわち妹を育てることを手伝った方が、自分と同じ遺伝子をもっと多く将来の世代に残せる。従って進化の原則に矛盾しない。ちなみにオスについては、生殖のために選ばれたオス以外は、ワーカーによって殺されてしまうし、交尾したオスはその後に死んでしまうという悲しい存在である。

利己者と利他者の間に血縁関係がなくても、群全体の一個体当りの生産性が、単独のときよりも大きければ、利他者が自分の遺伝子が残る確率が高くなるので、自分の子供の数を減らして利己者に尽くすという仮説もある。こちらの方がヒトの社会に近い。社会の維持のために働いているが、将来の報酬を期待し最終的には自分の利益を求めている。ヒトの滅私奉公も「生物としての進化」の形ではないかという。

また「メンバーが利他的に振舞う社会には、必ずフリーライダー(裏切り者・寄生)が現れる。」という話や「多細胞生物の個体が一つの『社会(群れ)』である」という話が興味深い。個体の全ての細胞は、同じ遺伝子をもつが、次世代に遺伝子を残せるのは卵子・精子のみで、その他の細胞は子供を残せない様々な器官に分化し細胞間の進化的対立のない完全な群体を形成している。しかしこの完全な社会に見える個体にですらガンという裏切り者がいる。

遺伝的に同質な個体からなる完全なる群体は、個体間に反応閾値の多様性がなく分業による効率性が得られず、また伝染病に感染しやすいという弱みを抱えるため、多数派にはならない。個体の多様性を持つ不完全な群体の方が、利己者と利他者の葛藤を抱えながらも存続の可能性が高く、こちらの方が進化した形であるというのも面白い。

不完全な群体では、個体はその存在基盤である群体の存続のために利他行為を行うことを通して、自分の長期的な利益を追求する。利他者は裏切り者の利己者に出し抜かれるが、利己者が勝つと群もろとも滅びる。そうならないよう裏切りを少しでも減らす監視システムが進化する。まさにヒトの社会も、不完全な群体として進化の途上にあるということが理解できた。

2011年5月20日 (金)

社内失業

ネット上を賑わしているこの言葉に反応して、いろいろ調べたところ、
社内失業とは、今の自分のような年寄りの窓際族のことではなく、
多くの20~30台の若い人たちが仕事を干されているらしい。

れっきとした正社員なのだが、不景気のせいで仕事が減ってしまったり、自分のことで手一杯な上司に教育してもらえず放置されたり、いきなり任された仕事で失敗し能力なしと判定され以後放置されたり、いずれにしても業務経験がなくスキルのない状態なので転職もママならず、縦割り組織の弊害で他の職場を手伝うこともできない。ひたすら仕事をしているふりをするしかないという悲しい若者たち。彼らがネットの相談コーナーで、どうしたら良いか相談している。

若手の社内失業者には適切とは思わないがその中の回答の一つ。
かつて、自分が部下に良く言っていた言葉だから思わず苦笑い。

「与えてもらった仕事だけをしているようでは半人前です。
仕事と言うものは自分で見つける、作るものです。」

今、自分が言われたような気がして、改めて納得した。

実は既にそうしたことをし始めていたのだ。
若干の役回りの仕事がないわけではないが、時間は嫌と言うほど余る。
だからと言って、新しく何か仕事を下さいと頼むのも癪だ。
1日新聞を読んだりネットを見たりしているのも性分に合わない。

前職で自分がやり残していたことを、何時しか始めていた。
本来は後継者がやればいいことだし、頼まれたわけでもないが、
今までの経験を生かして出来ること、会社の役に立つだろうと思われることを
自分で見つけて重要なものからやることにした。
実際、もうすぐいなくなるのだから、整理して残して置かないと
もったいないことが沢山ある。次の人生に持っていっても役立たないから、
全部捨てることになる。
温めていた資料も整理して誰かに引き継ぎたい。
そう考えると、1年でも足りないくらい忙しい。

2011年5月18日 (水)

ドライブ

日曜日はいい天気に誘われて、久しぶりのドライブ。上さんが新聞で見つけた茂原牡丹園へ行ったのだが、結構人が出ていた。ほとんどが似たような老夫婦の組。翌日から閉園というくらいで、花は終わりに近く満喫とまでは行かなかったが、田舎の空気が吸えて、また片道1時間ちょっとのドライブが出来て良かった。

この頃はちょっと遠くても歩くことが多く、サンデードライバーですらなくなってきていたので、良かった。初めての道でもナビがあるから不安はないが、車の運転は気が抜けないから適度な緊張感を味わえる。これも前頭葉の刺激にはなるのだろう。

途中、道の駅で地元の野菜を仕入れたり、市津湖のほとりでアウトレット跡の店舗もほとんど入っていない、人もいないガランとした巨大なショッピングセンターを発見したりと面白かった。ドライブは小さな旅。これからも意識的に時々ドライブするとしよう。

2011年5月14日 (土)

旅の刺激

連休後半の5日から、滋賀県近江八幡、比叡山延暦寺、京都伏見稲荷の3箇所を巡る2泊3日の小旅行をしてきた。

近江八幡市の落ち着いた佇まいの旧い街並み、堀端に建つ白く清楚な瓦ミュージアム、八幡山山頂から見た近江八幡市の碁盤の目の街と周辺の水田の美しさ、オオヨシキリが鳴くのどかな水郷めぐり、そして伏見の千本鳥居の鮮やかさと、心洗われる経験の連続だった。しかし今回の旅行の圧巻は、比叡山延暦寺での体験だった。

日本仏教の母山と言われる場所、最澄に始まり法然・栄西・親鸞・道元・日蓮といった著名な僧侶の多くが皆、ここで修行し新たな宗派を開いていった。信長の怒りを買って、一度はすべて焼かれてしまったと言うが、江戸時代に再建された根本中堂はじめ素晴らしい建物が広い敷地に、鬱蒼とした杉の大木に囲まれて多数建てられている。

延暦寺の会館に宿泊したが、朝6時半からのお勤めに参列することができ、お坊さんの講話も聴くことが出来、大変感激した。また早朝の霧が掛かった境内は本当に幻想的で今回の旅の中で最高のシーンだった。

お経の中で、宿泊者の家内安全も祈って頂いてとても驚いたが、さらに東日本大震災の復興や世界の平和まで祈願されたことにもっと驚いた。読経の後、お坊さんから延暦寺の歴史や教えについてお話があった。伝教大師最澄の教えの根本は、「道心こそが宝」。「個々が思いやりの心を持って一隅を照らす人になる」、すなわち一人ひとりが相手の立場に立って考え、自分の出来ることを精一杯行うことが、周りが良くなることにつながると言うこと。まずは自分のことから祈るのでも良いが、少しずつ周りの人、地域の人、日本のこと、世界のことへと思いやる気持を広げて行きなさいというのだ。まさに、ボランティアの精神ではないか。意味も分からずに聞いていたお経であったが、そんなことが書かれているのかと、改めて仏教に興味を持った。

ボランティアと言えば、延暦寺のガイドをお願いした広瀬さんとの出会いも縁なのかも知れない。57歳で食道がんの手術をし、やむを得ず会社をやめ一生懸命延暦寺の勉強をしてガイドになった。山を歩き回ることで足腰がしっかりして健康になった。年金生活で豊かではないけれど、延暦寺さんのおかげで幸せになりましたと。自分もやはり、趣味の世界だけではなく、何か人の役に立つことをしたいものだと思う。

旅は、新たな場所でいろいろな経験をすることで、前頭葉を刺激してくれる。日常の煩わしさから解放されることで、心身がともに癒される。新しい知識も得ることが出来る。ただ、いつも旅が出来るわけでもないし、ともすれば安易に流され緊張感に欠ける。人間はやはり追い込まれないと一生懸命に考えるということはしないから、自分で自分をそういうところに追い込むことが必要だ。

2011年5月 5日 (木)

ボランティア

夕べ、テレビの特番を見た。渡部陽一の『世界の村からアリガトウ―命を救うニッポン人』一番感動したのは、ミャンマーで16年間無償で子供の難病を治療する医師、吉岡秀人。行動派の彼は、感じたらすぐ動く。今、東北の被災地にも通う。

困っている人、苦しんでいる人を無償で助ける姿は、感動的で涙が止まらなかった。しかも、気負うことなく淡々としかし自分に厳しく生きている。他人に強制することもない。後ろ姿を見てもらえればいいと言う。相手のことを思いやる気持ちがあれば、あとは自分がやれることをやればいい、と言う。心と行動あるのみ。なんという格好良さだろう。

別の舞台で活躍する若い女性看護師が言うように、「ボランティアは見返りを求めないが、必ず見返りがある。」相手から色々教えてもらう、元気をもらうと言う。

吉岡氏のような命に関わる技術はない。自分の専門に関連したボランティアがあれば一番良いが、あまり喜ばれそうにない。何でも良いから、自分に合ったボランティアを探そうと思った。

2011年5月 4日 (水)

サイト発掘

連休も6日目。5日間何をしたのかと聞かれても思い出せないほど内容がない。
今回の連休は、休みを取って10連休にしたのだが、こんな調子だと『毎日が日曜日』になったらどういうことになるだろう。ボケないか心配だ。

息子夫婦が家に来ていて昨日帰った。二人ともほとんど出掛けていて家にいなかったのだから、忙しかったわけでもない。食事をしながらゆっくり話をしたくらいか。結局暇な時間は、新聞を読んだり、1時間程度の散歩をしたり、女房の買い物に付き合ったり、ネットを見たり、テレビを見たりと、余り前頭葉を刺激するようなことがなかった。
強いて言えば、和田秀樹の本を共感しながら読んでまとめたのと、ネットで投稿サイト『阿修羅』http://asyura.com/を見つけたことか。

阿修羅は、情報隠蔽や操作の多い昨今の状況に対して「ここは掲示板がメインの、本当の事を一緒に探していくサイト」としており、震災や原発と政治が中心テーマの非常にホットなサイト。投稿の内容の真実性も分からないところはあるが、少なくとも新聞やテレビでは伝わってこない情報がココにはある。Youtubeの貼り付けがあり、NHK特番の「汚された大地で~チェルノブイリ20年後の真実」を見たが、大変衝撃的だった。

ベラルーシやウクライナでは、広範囲な国土に降り注いだセシウムが、牧草から牛に、牛乳から人々の体内に入り、ガンや白血病を引き起こしている。この状態は今後何百年も続き、何百万人もの被害者を生むが放置されているという。フクシマを思わずにはいられない。東電は官僚の天下り先だから、東電も官僚も政府も信じられない。IAEAでさえ、基本的に原子力産業擁護の立場だから信じられない。

サイトの管理人に拠れば、その情報が、誰によって流されているか?その情報が、なぜ今流されているか?その事象で、だれが利益を得るか?歴史上、その事象の時何があったか?を考えるとしているが、我々が情報に触れるとき常に心すべきことだと思った。

明日からは思いつきの小旅行をするので、刺激的な生活が送れそうだ。

2011年5月 2日 (月)

感情の老化

和田秀樹「『がまん』するから老化する」の要約

体や脳は、加齢よりも使わないことによって衰える。使い続けることで高いレベルを維持できる。年を取った時こそ、使い続けている人とそうでない人の差が大きい。積極的に体を動かして、頭を使い続けようという心の若い人は老化しにくい。

人間の老化は体力や知力よりも、まず心や感情から始まる。感情が老化すると、刺激を受けることが億劫になり、積極的に体も動かさなくなるし、頭も使わなくなる。外見も気にしなくなるので見た目も老化する。やる気がなくなり、「まあ、いいや症候群」が現れやすくなる。体も脳も使わなくなるから、追いかけるように体や脳、生殖器などの老化が進む。

感情が老化する原因は①前頭葉の萎縮②脳の動脈硬化③セロトニンの減少の三つ。

①前頭葉の萎縮により意欲や好奇心、創造性、人間らしさを失う(刺激的な体験の減少により前頭葉を使わなくなるのが原因)
②脳の動脈硬化により自発性が低下、感情失禁や認知障害をもたらす(糖尿病・高血圧、コレステロール、肥満・ストレス等が要因)
③セロトニンの減少により欝になりやすく意欲も低下、食欲・性欲減退、イライラ状態、決め付け思考になる(睡眠不足・大量飲酒・肉類に含まれるトリプトファンというアミノ酸の不足などが原因)

最も重要な前頭葉の老化予防は、とにかく使うこと。前頭葉は、決まりきったルーティーンの状況では余り使われないので、安穏とした日常生活を送っていると老化が早い。前頭葉を活発化させるには、想定外の事態や未来を読む必要に駆られて必死に考える状況、波瀾万丈でハラハラドキドキするような状況、感情を沸き立たせるような状況を作ること。高齢化すればするほど、人生経験も豊富でなおかつ前頭葉も衰えるので、より強い刺激が必要になる。より本格的なものから受ける刺激が欠かせない。
事例として、株式投資、起業、恋愛、ギャンブル、カラオケ、レベルの高い本物の芸、寄席、秘湯めぐりなどが、上げられている。年寄りはもっと遊べ・健康のためにもっと金を使えとのアドバイスも。

ミスコピーによって生まれた出来損ないの細胞を免疫細胞が殺すのだが、老化によりミスコピーが増え、免疫機能が低下するので、出来損ないの細胞が増える。これがガンだから、高齢者は皆多かれ少なかれ小さなガンを抱えている。
免疫機能を高めるには、栄養状態を良くする・免疫細胞が集中している腸を温めること・心が幸せな状態を維持すること。
NK細胞の活性は辛い体験で低下し、快体験によって上がる。快体験は、免疫機能の維持やうつの予防にいい影響を与える。事例としては、恋愛、ギャンブル、笑い、美味しい食事。前者二つは辛い結果をもたらすこともあるが、後者の二つは裏切らない。

心を若返らせると、かなりの精度で免疫機能が若返る。人づき合いやお洒落等の外見の若返りは、心を若返らせる簡単な方法だ。現代では人間の心のありようは内側から湧き出てくるものではなく、外側から規定されると言う行動療法的な考え方が主流。行動を変えれば心も変わってくる。仕事での人間関係、ボランティア、クラブ・ゴルフ・マージャン等の仲間、同窓会等。特に仕事は前頭葉を刺激することが多いから、生涯現役のほうが、長寿で健康になれる。

テレビは無自覚にみていると思考停止させやすい、老化を促進させやすいメディア。ルーティーン化や決め付け・ワンパターンが多いので、疑いながら批判しながら見ることが大切。疑問を解くために使うインターネットの検索や自分の考えをアウトプットできるブログ・ツイッターや掲示板などは良いメディア。

老化によってホルモンバランスが崩れると、中性化し、認知機能が落ちるが、バランスを整えると、認知機能も回復し、男らしさ・女らしさが保たれ、精神的に若返る。
性欲は若さの元だから、若さを保ちたいなら異性に胸をときめかせること。異性の目を意識してモテようとすることは、前頭葉機能・免疫機能の維持にプラスに働く。「追っかけ」ですらホルモン補充療法に匹敵するほどなのだという。

細胞を酸化し損傷させるフリーラジカルは、呼吸や紫外線によって生み出されるので避けられないが、激しい運動で急増するので、高齢者にはスポーツが必ずしも健康にいいとは限らない。 

人間の体は必要なものを美味しく感じるように進化の過程で出来あがっている。高齢者が薄い味よりは濃い味のほうが好きになるのも適応現象といえる。
動脈硬化で血管が狭くなっているので、血圧も血糖値も少し高めでないと、酸素や糖分が脳に行かない。従って塩辛いものや甘いものが欲しくなる。腎臓のナトリウム貯留機能も衰え塩分が尿に出やすいので不足しがち。

節制して枯れた姿が、日本人の美意識にある。食生活の欧米化は、日本人をかなり若返らせた。日本人の平均寿命が延びた過程は、肉を食べる量が増えていった過程と確実に重なる。食卓に肉が増えていくプロセスにおいて、植物性たんぱく質や魚を減らすわけでもなかったから、期せずして世界でもまれに見るバランスのいい食卓を実現したのである。

概して「足りない」ほうが「余っている」よりも体や脳に悪い。しかも歳を取れば取るほど、不足したことによる害が出やすい。之は体の恒常性を乱すようなことが起きたときに、適応の幅が狭くなるからである。
『がまん』するから老化する。

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