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2011年8月

2011年8月31日 (水)

こころと遺伝子(3)

人間はやる気になって努力すれば、想像以上の力を発揮することは理解できる。そして、強い思いや感情が、シグナルとなって化学的な作用を引き起こし、からだに何らかの変化を与えることは、容易に想像できる。

しかし、それが本当に細胞にどのように影響し、さらに遺伝子のスイッチをオンするのかは、この本では明らかにされていない。並外れた努力によって、通常では不可能なことでも成し遂げることが出来るという事例が語られ、状況証拠にしているだけである。

話に飛躍があるが、語られている内容自体は興味深い。以下要約。

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■人間の可能性

人は全て、例外なく奇跡的にこの世に生命を受け、その上で無限の可能性を秘めた貴重な「生き物」である。人間には140億個の神経細胞があるが、普通の人は半分くらいしか使っていない。また使われていない遺伝子のスイッチをオンにすることで、人の能力は何倍にもなる。能力がないのではなく、スイッチが入っていないだけである。人は人に認められてスイッチがオンになる。

富士山やエベレストを滑降した冒険家の三浦雄一郎は、65歳でエベレスト登頂を計画、70歳、75歳で2回成功させた。人間は20歳を過ぎると、鍛錬しなければ、1年に1%ずつ、あらゆる能力が落ちると言われている。特に酸素摂取能力は70歳を過ぎると半分になるから、標高8千メートルでの70歳の肉体年齢は140歳にもなる。自らの意志の力で、既存の人間の限界、あるいは医学の限界を克服して、自分の夢をかなえてきた。

政治家だった祖父の物怖じしない遺伝子を引き継いでいたと思われるが、そのスイッチを入れたのは、彼にスキーを教えた父親だった。青森県連野スキー選手だったときに、ルールの不公平さを抗議して、アマチュアスキー界を追放されてから、波乱に満ちた人生が始まったが、彼は常に人類未踏の記録に挑戦し続けてきた。また彼の挑戦を理解し資金を提供してくれた赤井電機社長のような支援者が必要だったし、彼にはスポンサーを惹きつけるだけの熱意と人間力があった。

彼は、常に先ず思い、宣言する。そして目標をたて、そこに到達するためにすべきことを考え、無理のない方法で、一歩一歩そこに向かって「強い思い」で努力していく。この一連の「思い」と行動が、彼の遺伝子のスイッチをオンにして、細胞を生き生きとさせていく。

■教育の重要性

社会は、興味のある世界に強い思いを持ち、それをつらぬいた人々によって、新しい創造の目が形作られ、開かれてきた。人は強い思いさえあれば、どんなことでも成し遂げる可能性を持っている。従ってその芽を摘むようなことは、決してしてはならない。

人を知識の詰め込みで評価する現在の教育を見直す必要がある。社会が必要とするのは、知識の量ではなく知恵である。教育(エデュケーション)とは教え込むことではなく、その能力を引き出してやること。やさしいことを反復練習することで自信をもたせる。努力にかけた時間に対して、満足感と充実感を与える。これを実践しているのが公文式教育法。

村上が影響を受けた京大の総長も勤めた医学者、平澤興の言葉。
「結局、140億の脳細胞を活動させる。これを一口で言えば努力以外にないのであります。その子供ができなければできないままで、やる気に火をつけることができるかどうかということだと思います。だからビリで学校を出ても伸びる人は伸びるのです。」
「何よりも大切なことは、人を生かすことである。そしてその人に喜びと、勇気と、希望を与えることである」

「器用な人は大家になれぬ」、できない人は練習に練習を重ねることで熟練することを覚えるからだ。
努力できる人は謙虚な人です。人間の無限の可能性を生かすのに、一番大事なものは人柄。幼児の頃に、真面目、正直、我慢と言った強さを教え、人柄の基本的なベースをキチンとつくることが必要だ。。

■目指すべき人間性

第一の生命である自立的生命や本能的に動く動物的生命の上にある精神的生命こそ、狭い意味では、人間的生命である。この精神的生命は、魂を伴い、老いを知らず、ずっと成長を続ける。精神的自己は、教育を受け、多くの人に出会い、変化していく。

自己が自己たるゆえんは、いくらかでも社会から受けている恩に、報いていく気持を持ち続けること。それは熱い心がなければ発生しない。誰かのため、人のために一所懸命になろうとしたとき、人は心が揺り動かされる。それが情熱となり祈りとなり、自己の発見となる。

どんな道や方法を取ったとしても、どうしても必要なものがある。それは、決して自ら満足できるところに到達することを捨てないこと。それは自己を見失わないことにも繋がる。社会に恩を返すためには、自らの満足、達成感を得るために私たちは努力するのであり、人にどう思われるかを目標にするのではない。

自分、人、自然、宇宙の摂理を、そして、自分が大切にしているものを敬うことこそ全ての始まりである。自分が由って発つところは、第一に大地、そして国家。
海外から日本に帰ってきたときの安堵感を思い起こせ。

日本の2千年の歴史は深くて大きい。独特の魂の歴史がある。日本の素晴らしさ、自然を深く感じる心、全ての命を慈しむ信仰心、伝統的な感性の奥深さ。体に良いバランスの日本食など。日本人の凄い力を信じよう。

真の魂は人から人に、伝達していく。人はたとえ平凡であれ、人間として生きることを意識すること、私たちの住みよい環境を作る、いい国つくりにコミットする視点を常に忘れないことが、とても大事なことである。
そして自分を育ててくれた環境や教えはどんなことがあっても大事にして欲しい。それを認めてこその自分であることを、再認識して欲しい。

物質そのもの、個の追求を重大に考えすぎた近代科学の枠組みを見直す考え方が台頭してきている。個は常に全体の動きの中で作用をし、個と個の組合せは、それぞれ個の性質とは違うものが出現する。従って全体から物を見ることが必要だ。

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2011年8月30日 (火)

こころと遺伝子(2)

最新の遺伝子学理論である「エピジェネティクス」の「エピ」とは「越える」と言う意味であり、「ジェネティクス」は遺伝子学だから、「超遺伝子学」と言うような意味である。何が超なのか。それは「環境が遺伝子に優先して生体をコントロールする」と考えるところにある。

環境因子の中に精神的要因が含まれているところが重要だが、たとえば「強い思い」がなぜ生体をコントロールできるのかと言うことについては十分に説明されていない。しかし、体に影響を与えるだろうことは理解はできる。要約を続ける。

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■遺伝子の働きを左右する環境因子

人間の遺伝子情報は、それ自体が生体をコントロールしているのではなく、遺伝子の基本的設計図はそのままで書き換えられず、必要な遺伝子情報のスイッチがオンになったり、オフになったりすることで、生体がコントロールされている。遺伝子は単なる生物の設計図にすぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子の振る舞いを変えるというのである。
そして、「細胞の一つの状態を決めるのが遺伝子ではないように、私たちの人生も遺伝子が決めるのではない。」と言い切る。

ダーウィンの自然選択説に意義を唱えた木村資生(もとお)の「分子進化の中立説」は、分子レベルで起こる突然変異はその大部分が、生存にとって有利でも不利でもない中立的な変異であり、それが集団の中に広がるのは全くの偶然によって決まるとした。実際ヒトのDNAの95%以上が、たんぱく質の生成に利用されない「がらくた」DNA。但しこれが、環境の変化によって、生存に有利になったり不利になったりする。

ヒトとチンパンジーのゲノムは3.9%しか違わない。共通の先祖から分かれた600万年前以降にヒトにおいて急激な変化を受けたDNA配列の中にヒトをヒトたらしめる要因があるはずだと考えられ探求された。その結果、人間に特徴的な新皮質の形成に関与する配列が発見されたが、それは「がらくた」DNAの中からであった。また言語能力に関連する遺伝子FOXP2もその中にあった。

形態の進化は、遺伝子そのものの変異よりも、オンオフの遺伝子スイッチの変化が最大の推進力となっている。ヒトとネズミの遺伝子の数はどちらも2万2千個で変わりなく、99%の遺伝子が同じものであるが、その組合せが違う。つまり遺伝子を使う順序やパターンを変えれば新しい種が作れると言うことである。

細胞には、外からの信号を受け取るレセプターと言うアンテナがある。これまではこのアンテナが受け取る信号は、ビタミン、ホルモン、たんぱく質などの分子や、化学的な薬品などとおもわれていた。(化学物質シグナル)
しかし、量子物理学の成果が細胞生物学に加わったことで、遺伝子のスイッチを入れるものは、生体を取り巻く、大自然の空気、磁気、波動、音楽や言葉、そして思い、思考など、「環境」が大きく影響していることが、証明され始めた。(エナジーシグナル、環境シグナル)。しかも、エナジーシグナルは、体の中で、化学物質シグナルの100万倍のスピードで効果を発揮する。

環境因子を整理すると、1.物理的要因(熱、圧力、聴力、訓練、磁気、光、周波数など)、2.食物と化学的要因(アルコール、喫煙、環境ホルモンなど)、3.精神的要因(ショック、興奮、感動、愛情、喜び、希望、不安、怒り、恨み、信条、祈り、笑いなど)

また、リプトンは、オンオフのスイッチに関係しているのは、限られた一転のレセプターだけでなく、細胞膜全体であることを発見。細胞膜が、細胞の脳機能を果たしている、つまり細胞は独自の生き物であると言う新説を発表。これまで医学的に効果が認められていなかった鍼灸や気功、音楽療法などが、皆、広い意味で影響していると証明されつつある。

今、私たちは「こころと遺伝子は相互作用する」と言うことができる。これは思い、すなわち、信念が人生を、コントロールするといっても良い。私たちは、意識して、良い遺伝子のスイッチをオンにすることで、新しい人間性を生み出すことが出来るのである。

では、どのような人間性を目指すべきなのか、どのようにして遺伝子のスイッチをオンにすることが出来るのか。(続く)

2011年8月28日 (日)

こころと遺伝子

村上和雄「こころと遺伝子」(実業之日本社2010)を読む。

遺伝子というと、何か運命的に決定された抗えないもので、人間の心でさえ遺伝子によって作られた脳の働きだということを知ると、人間は遺伝子に支配されているという悲観論に陥ってしまう。しかし、この本では、人間の心は遺伝子をも支配できるという対極の主張をしている。

人間の能力は無限の可能性を秘めており、要するにやる気と努力と我慢によって引き出せるかどうかだと一般に良く言われるが、それを科学的に解き明かしているのである。それと同時に、人間の体が如何に素晴らしいものか、人間一人ひとりが生きることが如何に尊いのかについて述べている。以下、その要約。

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■人間のからだの素晴らしさ

1953年に遺伝子の本体であるDNAの二重らせん構造がワトソンとクリックによって発見され、地球上の全生物の形や性質の情報は、たった4種類の分子(塩基)の配列で出来たDNAの暗号という全生物に共通の言語で細胞に書き込まれていることが分かった。これは「全ての生命体は、遡れば一つの原始体から発生している」と言うダーウィンの説を証明した。

遺伝子はたんぱく質の設計図であり、アミノ酸の繋がり方が書き込まれている。生命は、放置すると死もしくは無秩序に向かうが、遺伝子の働きで生もしくは秩序の方向に向かう。一つの細胞の中にあるDNA(遺伝子)は、二重に絡み合った、幅1ミリの50万分の1という超微小なテープから出来ており伸ばすと約1.8メートルである。一人の人間の体は60兆の細胞の命の集合体であるから、一人当たり延べ1千億キロメートル、地球と太陽を300回往復する距離である。ついでに毛細血管まで含めて成人の血管をつなげてみると10万キロ、地球を二回半ぐらい回れる。まさに人体は小宇宙である。

60兆個の細胞のうち約2%(1兆個)毎日が入れ替わっており、約1年で私たちの体は、ほぼ全く新しい細胞を持った生き物に変わることになる。しかし新しい細胞は人間あるいは個人の体として維持され、顔かたち、性格が見た目に全く変わらないのは細胞がもつ複製機能によるものである。

地球上生命は38億年前に生まれそして進化してきたが、人間の胎児は10ヶ月の間に、原始生命から動物や人類の進化を凄いスピードで繰り返し、新しい命のなかに全ての遺伝子情報がコピーされて、一人のヒトとしてこの世に出現してくる。

独立して生命を営む細胞一つ一つの中に、40万年に渡り受け継がれてきた人類の32億個の化学の文字からなる遺伝情報(百科事典3200冊分)が入っているが、人間は生きている間に、その情報の5から10%ぐらいしか使っていない。またゲノム(全遺伝子情報)のレベルでは、個人差(天才と凡人の差)は、0.5%でしかない。

人間一人ひとりは、生きていることだけで偉大な奇跡と言える。
一人で生きているのではなく、命の働きによって生かされていると考えるべきで、この精密巧緻な体の働きに感謝し謙虚になることが必要である。

人のDNAに書き込まれている文字の配列を読み取る「ヒトゲノム計画」が21世紀初めに完了したが、そのあたりから遺伝学の革命と言われている「エピジェネティクス」という新しい理論がブルース・リプトンによって打ち立てられた。(続く)

2011年8月19日 (金)

公務員制度改革

引き続き、古賀茂明氏の「日本中枢の崩壊」からの要約。

日本はGDPで世界二位の座を中国に奪われたが、それは人口にもよるから余り問題ではない。問題は、国民一人当たりGDP。日本は1993年に2位だったのだが、2007年には23位になっており、1位のルクセンブルグの4割だそうだ。日本は経済大国でも先進国でもなくなりつつあるのだ。日本人は、教育レベルも高く、身を削って働いている。にも拘らず経済がどんどん衰退しているのは国を動かす仕組みが悪いからだ。

国の財政は、今や破綻寸前。民間で言えば会社更生法を申請しなければなら立ち行かないところまで来ている。民間ならば無駄な事業は切り、従業員をリストラし、経営陣には責任を取って辞めてもらい、若手中心の新たな体制を作る。一方、霞ヶ関では無駄な事業は続け、リストラもなく、役人は給与もボーナスも削られない、その状態で消費税の増税が行われようとしている。増税はやるべきことをやってからでないと国民は誰も納得しない。

官僚は失敗や非難を極端に恐れるから、リスクを回避し、前例踏襲方式に陥る。責任も取れないので、何事も責任者を不明確にしておく。過ちに気づいたとしても、レトリックを駆使して過ちを認めない。従って官僚の無謬性神話が生まれる。原発事故の「想定外」と言う官僚の言葉は、想定の甘さが指摘されていたにも拘わらず無視してきた彼らにとっての想定外でしかない。原発事故や現在のような財政危機や経済の低迷は、実質的に日本を支配してきた官僚が、決して優秀でも公正中立でもないことの証拠である。

官僚には、国民に「痛み」を伴う政策は、自分たちが批判されるので進められない。官僚には失業者が出ないように、今存在する企業や産業を守るという発想しかない。規制による既得権や固定化しつつある身分制度を守ることしか考えず、日本の将来のためにすべきことをしない。だから衰退産業や・企業に一生懸命補助金や特別保証でお金をつぎ込む。これでは生産性は下がる一方だ。限りある資源・人材や資金を、有望産業・企業に選択集中して投入しないと、日本沈没は自明の理だ。

日本を一刻も早く官僚支配から政治主導に転換させなければいけない。古賀氏は、その具体的な方法を提言している。政治主導に必須の三要素は、「政策立案」、制作を実施するための「組織と人事」そして「予算」である。

政策立案では総理直轄のブレーンが必要。既存の行政組織とは関係なく、新政権と共に閣僚だけでなく、行政組織の幹部も全て入れ替えるアメリカの大統領府のような仕組みが良いが、民主党が本気であれば国家戦略局でも出来たはずだ。

政策を実行する組織は人事によって作られる。ところが大臣は事務次官が作成した推薦リストを承認するだけだから、実質的に人事権がない。縦割りの省利省益をベースとした官僚による官僚のための人事が通る。官僚は国民の利益そっちのけで互助会である自省の利益確保に動く。これを変えて政治主導にするためには、内閣人事局を創設して、各省庁の幹部人事を一元管理するシステムが必要だ。民主党案もそうなっていた。

また、天下りを生む年功序列制と身分制度としてのキャリア制度を改め、政と官の二階建てピラミッドを形成する事務次官ポストを廃止、Jリーグ方式で幹部入れ替え、人員も給与もカットして能力主義・実績主義に徹すること。外部人材を自由に登用できる官民交流の促進することが必要だ。

政策と予算、法案は一体である。官邸に予算局を設置して、予算の編成権を持ってくる必要がある。財務省が省庁の中の省庁と呼ばれ突出した権力を持っているのは、この予算編成権を持っているからだ。財務省が消費税の大増税を悲願としているのも、財政破綻を危惧していると言う理由以上に、自分たちの権限で配分できる自由な財源を拡大しようとする思惑からである。

古賀氏は、麻生政権の時代に官僚主導を政治主導に転換する方法を提言し、国家公務員制度改革基本法を起草したが、民主党政権になってから後退してしまった。民主党はこれらの改革を全て諦め、先送りした。官僚との闘いに敗れたのである。

政権に勢いがあるときに、官僚に対して総理や大臣が官僚に目標を書かせ実現できなかったらクビだと、宣言しておけばクビに出来ないわけではないらしい。ただ、皆官僚のサボタージュにより足元を掬われるのが怖いから、官僚に擦り寄ってしまった。長妻厚労相だけは、天下り禁止の筋を通し、また財務省が恐れる国税庁の切り離し論者であったため、官僚にマスコミ操作され失脚させられてしまった。

自民党時代の自民党議員と官僚は癒着以前の政官一体関係だ。官僚が議員を育てる親子関係のようなものだった。民主党が政治家と官僚の関係を新たに構築すれば、脱官僚は一気に進展する可能性はあった。しかし、民主党には政治主導の掛け声だけでそれを実行する実力がなく、そのための仕組みづくりも行われなかった。また公務員制度改革には反対の政府関連の労働組合の意向に逆らえなかった。

結局、民主党も総理主導を実現するための強力な司令塔とサポート部隊は、財務省と財務省を中心とする官邸官僚に頼らざるを得なくなり、自民党と全く変わらないことになってしまった。民主党が財務省に擦り寄る手土産が、公務員制度改革の後退と天下り規制の骨抜きに対し、財務省は民主党政権を維持させる代わりに、消費税増税をやらせようとしている。と、ここまでは古賀氏の主張。

今、民主党は次の総理を選択しようとしているが、日本をどのような国にするかの理念を持ち、国民の嫌がることでも堂々といい、リーダーシップを持って信念をつらぬく政治家に、総理になってもらいたい。そして震災復興、原発事故対策を早急に進めることと同時に、社会保障と税の改革、経済成長政策およびエネルギー政策を進めて欲しい。全ての政策に財源確保の問題が絡む。そしてそのためには先ず公務員制度改革を進めなければ、日本は結局、官僚主導で何の変化も起こせずズルズルと沈んで行くのだ。

官僚の横暴を、官僚の責任だけにするわけにはいかない。制度が官僚たちの利己主義を抑えるような仕組みになっていないからだ。これを改革するのは政治家とりわけ総理の責任である。そしてそれが出来ない政治家や政党を選んでいる国民の責任でもある。国民は自分の利益だけのために、バラまきをしてくれる政党や政治家を選んでいてはいけないのだ。皆が自分の利益だけを主張していれば、全体はまとまらず、結局は全体が崩壊すると言うことを今こそ自覚しなければならない。

無為な日々

お盆休みに両親のいる田舎に二泊三日で行ってきた。田舎では、親父が悪い足を引き摺りながらも、腰が悪くてほとんど動けないお袋の面倒を、辛うじて見ている状態だ。
お袋は、面倒を見てもらっているにも拘わらず、親父に細かい注文をつけ、文句ばかり言っている典型的な困った老人。親父は、我慢強い人だから黙って言う事を聞いている。

顔を見せるのがせめてもの日頃の親不孝の償いと思って帰るのだが、料理も何も出来ない自分はお荷物になるだけなので、女房に何とか頼んで一緒に行ってもらったが、そんなお袋だから相変わらず相性は悪く、陰で自分に文句ばかり言っている。それにお父さんが可哀想というのが付け加わった。そして絶対にお袋の面倒を見るのは嫌だと言う。

親父は、苦労しているせいか、ボケることなく精神的にもしっかりしていて話が出来る。とはいえ、毎日顔を突き合わせていても、話すことは少なく一緒にテレビを見たり、酒を飲んだりしながら、時々、世間話をするくらい。自分からすれば無為の毎日で、時間がもったいなく感じるくらいだから、田舎に帰って親の面倒を見る生活など想像できない。今の人間関係が切れてしまうのも耐え難い。

何とか無為の日々を終えて帰ってきたが、この先どうなるのか心配だ。なんて親不孝な息子だとは思うが、考えてもなるようにしかならないと思考停止している。

2011年8月13日 (土)

「日本中枢の崩壊」

ここにもまた、日本を救うかもしれない志士がいた。
古賀茂明氏。今ベストセラーの「日本中枢の崩壊」や「官僚の責任」の著者だ。
経産省の現役大臣官房付きが、官僚の腐敗を内側から批判している。良くぞここまで話してくれたと、感嘆する内容。帯に「日本人の必読書」とあるのは本当だと思った。

何が書かれているのか。日本は、政官財の癒着で腐りきっていると言うこと。日本を支配しているのは、自民党でも民主党でもなく、東電や九電はじめ財界でもなく霞ヶ関の官僚たち。日本の中枢とは霞ヶ関のこと。そこが今やメルトダウンし始めているのだ。官僚とは本来、日本全体の利益を守る立場に立って、外国からの脅威に立ち向かい、利己主義に走りがちな国内の民間企業や個人の私欲を調整し、金持ち階層だけでなく貧困層を救い上げるなど、国家のため、国民のために、働く人たちのはず。確かに戦後の復興から高度成長時代には機能していた。

それが、国民や国家のことは二次的に考え、自分たちのお手盛りの給料の死守や定年後の生活を支える天下り先の確保を優先し、それを保障し守ってくれる省庁のために働く利己主義の塊のような人種になってしまった。今や日本の成長の足を引っ張っているとしか見えない。なんとなく感じていたことを、古賀氏は本当に暴露してくれた。マスコミも政官財のトライアングルの中にいるから、決して本当のことは書かない。本当のことを言えば、自分の立場が危うくなるからだ。

官僚たちも、就職したころは志に燃えているが、霞ヶ関の論理に染まり、何時しか自分たちが利己主義に固まっていることにすらに気づかなくなってしまう。勿論、古賀氏のような官僚がいることも事実だが、彼によれば、ほとんど官僚の中の「絶滅危惧種」だと言う。

官僚を使う立場のはずの政治家たちは、口先ばかりで具体的な政策は立案できないから、官僚に丸投げ。官僚は見かけは政治家の言うことを聞いた振りをして、都合の悪いことは骨抜きにしながら、自分たちの権力や予算や人員の減少がないように、つまり利権の維持拡大を画策する。省庁の代表は大臣だが、官僚は基本的に政治家を舐めており、大臣などすぐ代わると思っているから本質は誰も言うことを聞かない。省の実質トップである事務次官の方しか見ていない。

民間企業への天下り禁止という民主党の政策も、官僚たちは現役時代の民間への出向・派遣は可とすることで、事実上の天下りを容易にするという悪質ぶり。東電もそうだが、天下り受け入れ企業は当然、その見返りを求めるし、送り込んだ省庁も当然、出来の悪い順に送り込むから、恩義を感じる。東電の場合は特に、独占が許された企業だから、電気料金は自由自在。儲かってしょうがないから、土地や建物を買いまくり、見かけの利益を減らしている。儲かれば、天下りだって受け入れるし、マスコミに広告費だって大盤振る舞いできるから、官僚もマスコミも怖いものなし。

この官僚の横暴を、何とかしようと言うのが「公務員制度改革」。自民党時代も安部総理・渡部大臣が取り組んだが、結局中途半端に終わった。民主党も結局、官僚に負けた。古賀氏は、この改革をどう進めるべきかを具体的に提言している。詳しいことは別の機会に譲るが、基本的には省庁の壁を破るのはその上に立つ総理の権限を強化し、省益を優先しない政策スタッフのチームを持たせることだと提言している。

それを生かすかムダにするかは、国民次第。生かさなければ、日本は物理的にではなく、経済的に沈没する。

2011年8月 6日 (土)

戦争の傷跡

夏季休暇をとって女房とベトナムを旅行してきた。
2人だけのツアーで、ベトナムの3箇所の世界遺産、ハロン湾、ミーソン遺跡、フエの町を見る旅で、北のハノイから入って、南のホーチミンから帰国した。

都市は、どこも通勤のオートバイで溢れかえっており、活気があったが、全体の貧しさや開発の遅れが目立った。中国のあとを追うように、これから急成長して行くのだろうと思う。
しかし、その貧しさは圧倒的に長きに渡るベトナム戦争で破壊されたことによるものだとの印象をホーチミンの戦争証跡博物館で受けた。

3.11の津波の被害と同じような印象を受ける破壊された町の跡の写真は、それが爆弾投下で引き起こされたものだけにより痛々しいし、枯れ葉剤による人間の破壊もまた、原発事故と重なって、恐ろしいことを平気で繰り返す人間の愚かさを痛感した。
ミーソン遺跡も、古い文化遺産を戦争が破壊した跡の確認の場のようだった。

日本はベトナムにも侵攻したもののフランスからの独立に寄与したからか、ODAの援助をしているせいか、日本企業が工場進出しているせいか分からないが、かなり友好的に見てもらえていることが分かり安心した。フランス文化の影響をかなり受けているが、もともと中国文化の影響を受けた仏教国であり、稲作の田園風景は日本にかなり近く、どこか親しみを覚えるところがあった。

男たちが日本人のように頑張って働かないからダメだ、でも最近の若い人たちが頑張り始めたから希望がある、と話していたガイドの女性たちのたくましさ。ベトナムの今後の発展にエールを送りたい。

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  • 古賀茂明: 日本中枢の崩壊

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