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2012年9月

2012年9月30日 (日)

大衆社会と全体主義

 仲正昌樹「今こそアーレントを読み直す」(講談社現代新書1996)を読み終った。

アーレントの使う「人間性」や「政治」、「活動」といった言葉は、独特で分かりづらいが、全体主義的な思潮から「思考の自由」を守りたいという主張だけは、良く理解できた。

 最近は、「近代思想がナチズムへの抵抗思想として有効な力を発揮できなかったのはなぜか」という問いに対する答えを探してきたが、この本にそれを見つけたように思う。

 一言でいえば、近代思想は、「人間」の捉え方が不十分であったということだろう。「自由意志を持ち、自律的に生きており、自らの理性で善を志向する主体」という人間のイメージは、現実から乖離していたからだ、そもそも「人間には、個人としての自立性を否定して、「全体」にとけ込もうとする、全体主義的な傾向がある。」と言うのが、アーレントの考え方である。

 中世社会において、個人は社会的秩序の中で役割を与えられ全体の中に溶け込んでおり、自由はなかったが帰属感と安定感を持っていた。近代的個は伝統的な束縛からの解放=自由と同時に生まれた。専制君主との戦いにより民主的な国民国家・市民社会を作り上げた当初は、自由・平等・人権の思想が人々を結びつけていた。

 しかし国民国家の枠組みが整い、市民の諸権利が確立すると、市民たちは政治に関心を失った。資本主義が発展し、職業的・階級的な流動性が高まると、近代的個は市民としての繋がりを失い、ばらばらな個人=孤立し孤独な大衆に変化して行った。大衆は、「経済」的利害を中心に画一的に振る舞うようになった市民たちは、思考停止し、自分にとって利益を約束してくれそうな集団に、機械的に従うようになり、人間性を失った。近代思想は、人間がこのように変化しうることを想定していなかった。

 
 そして恐慌による失業や戦争が大衆を不安と無力感に陥れた。大衆は、逃げ込むことの出来る共同体・全体への帰属感・安定感・使命感を求めた。

 ナチスは、この大衆心理を利用した。世界を支配しようとするユダヤ人の陰謀とそれを打破すべく戦うナチスの歴史的使命などの疑似宗教的な理念を掲げ、ユダヤ人を敵対項としてナショナリズムを形成し、国民の支持を集めた。さらに帝国主義思想によってそれを強化した。弱者への共感と救済と正義を掲げ、共感しない人間を粛清した。

 
 特定の集団や犯罪者の中に、”悪の根源”のようなもの、特異点を見出して安心することは、誰でも行っているが、それが全体主義の生成メカニズムと同じだとの指摘は鋭い。他者との対比を通して、自分たちのアイデンティティを確認することは不可避である。

 従って私たちは、各人は必ず自分なりの世界観=思想を持つこと、それは一つの解釈であって絶対ではないこと、歴史を公平=非党派的に注視し判定すること、議論を封じる思想だけは認めないことが大切である。

 アーレントにとって人間性は、生まれながら、あるいは環境の中で自然に身につくものではなく、同じ文化共同体の中で共通する教養を身に付け、利害関係を超えた自由な議論を通じて、思想を多元的で豊かなものにする努力の内にあるものである。

 右であれ左であれ、「人間の自然な本性」を一義的に規定し、人民を最終的な「解放」へと導こうとするような思想は、多元的であるべき人間の精神を破壊し、全体主義への道を開くものだと言う主張は肝に銘じておきたい。

 もう一つ留意すべきは、佐藤優氏が指摘したように、ファシストたちはナショナリストではなく、自分たちの集団の利益のために、ナショナリズムを利用した。それが幻想に過ぎないことを、ファシストが一番理解しているということである。思想は人間が作り出す幻想であり、幻想にはそれが生み出される現実的な背景が必ずあるということを忘れてはならない。

 
■以下、本書の要点をまとめた。

●悪はどんな顔をしているか?
・人間には個人としての自立性を否定して、「全体」にとけ込もうとする、全体主義的な傾向がある。
・全体主義は産業社会によって生まれた大衆が政治に参加する大衆民主社会になったことに起因する。
・大量の失業や敗戦による経済的・政治的危機状況になり、アトム化した大衆に不安が広がった。
・ナチスは、アトム化した諸個人が、自らその一部であると感じ、安住するような一貫した「世界観」を提示することによって、大衆を一つの運動へと組織化した。
・世界支配を完成させつつある悪の大組織と、それに対抗して同胞を守ってくれる正義の味方の間の闘争という二項対立図式は、キリスト教の神と悪魔の善悪闘争史観に由来する
・西欧近代の哲学・政治思想が前提にしてきた「人間」像、「自由意志を持ち、自律的に生きており、自らの理性で善を志向する主体」というイメージが現実から乖離している。
・「他者」との対比を通して、「私たち」のアイデンティティを確認すると言うのは、全体主義の生成メカニズムと同じである。全体主義を糾弾しようとする「私たち」の営みが、全体主義に似てくるという皮肉な現象、自己矛盾。

●「人間本性」は本当にすばらしいのか?
・アーレントの重視する人間性とは、公私が厳格に分離している環境の下で、考え方の違う他者と自由に討論する「活動」によって、複眼的な思考ができ、物のの見方に「多元性」が得られることであり、そのための教養を身に付けること。
・自由な空間があってこそ、討論活動を通じ人間性=自分らしさ=アイデンティティが形成される
・「経済」的利害を中心に画一的に振る舞うようになった市民たちは、思考停止し、自分にとって利益を約束してくれそうな集団に、機械的に従うようになる。このような現象をマルクスは「疎外」、ルカーチは「物象化」と呼んだ。
・大衆社会は、人々が動物の群れのように”一体”となって動く全体主義体制を生み出す潜在的可能性を秘めている。
・アーレントは、良識的な知識人が無邪気なヒューマニズムの追求ではユートピアは実現できないこと、その理想に合わない者を排除する全体主義に繋がりかねないことを警告。全体主義に通じる恐れのある「思考の均質化」だけは何とか防ごうとした。

●人間はいかにして「自由」になるか?
・人間性が、生まれながら、あるいは環境の中で自然に身につくものというヒューマニズム思想は、それを全面的に解放しようとする思想は、討論の余地がなく、教養的なものを身に付ける努力を排除し、かえって「活動」を衰退させる。ルソーとフランス革命を批判。
・「惨めな人々」への「共感」を人間としての自然な情の発露と見なし、それを自分たちの追求する政治の原理とすることで、民衆の支持を得ようとする共感の政治は、それが人間としての正しい在り方として押し付ける排他的な価値観に繋がりやすい。共感しない者を議論すべき相手ではなく、倒すべき敵と見てしまう。

・アーレントは、西欧的な自由の伝統の擁護者だが、米国の個人主義的な自由主義者ではない。米国の共和主義者に近く、憲法=国家体制が「自由の空間」を創出するものとして評価している。共和主義とは、政治に参加して自らの属する共和政体を支えることが市民の責務と考える。自由は無条件ではなく政治的自覚を持った市民の自由。
・アーレントは、「活動」のためには、「偽善」や「仮面」が必要だと考える。そもそも人格とは、公衆の目を意識した「活動=演技」において演ずべき「役割」、良き市民としての仮面である。人間性とは、自然本性ではなく、公的領域においてのみ輝くもの。
・アメリカ建国の父たちは、旧秩序を破壊して人々を抑圧から解放するだけでなく、同時に自分たちが共に活動することを可能にする新しい「自由な空間=政治体制=憲法」の創設の重要性、それによって「政治」の枠組みをつくっていく手続きの重要性を理解していた。
・憲法を中心に様々なレベルで重層的に「構成」される連邦国家は、権力の独占を抑止するとともに安定した秩序を生み出し、人々の政治的自由を効果的に保障するものであることが判明したので、アメリカ革命は成功した。

●「傍観者」ではダメなのか?
・観客は、活動している人たちよりも事態を公平に見ることが出来る。生きた現場の声は、個々の問題について、適切な判断をするための材料として重要だが、その問題に関する専門家も含め傍観者は発言できないと言うことになると政治における多元性が維持できない。当事者が、自分の置かれている立場を客観的に把握しているとは限らないからである。
・政治において、物事は公的領域における人々の「意見」の交換、討論、「合意」によって決定されるが、どんな意見でもいいと言うわけではなく、明らかに理性の「真理」に反するような”意見”は妥当性を主張しえない。
・ルソーの自然状態に由来する「哀れみ」とは違い、アダム・スミスは、各人が社会の中で経験を積んで行く内に、特定の立場に偏ることなく公平に見ようとする、「公平な注視者」が各人の内に形成されると主張する。社会全体が、「公平な注視者」を共有することが、社会的正義の基盤になる。
・「注視者=観客」として「歴史」を公平=非党派的に注視し、判定しようとするまなざしが、孤立に陥って行く傾向のある「私の思考」(観想的生活)を、政治的共同体を構成する他者たちのそれと結び付け、かつ、その共同体を存続させている。

●いきいきしていない「政治」
・政治の本質は、生々しい物質的な利害を超越した、言語を介しての人格間の相互作用=精神的な「活動」にある。
・活動者として公衆の前で自己主張し、パフォーマンスすることでけでなく、少し離れた位置から、観客として事態を「公平=非党派的に」に判定する能力を身に付けることも、アーレント的な「政治」の重要な要素である。
・右であれ左であれ、「人間の自然な本性」を一義的に規定し、人民を最終的な「解放」へと導こうとするような思潮は、「複数性(多元性)」を破壊し、全体主義への道を開くものにほかならない。
・「新自由主義に起因する格差・貧困が人々の心を荒廃させ、凶悪犯罪を引き起こしている」という極めて単純な「人間本性」論に基づく論調、生き生きした政治的言説が広がったが、客観的に検証された事実と言うより、きわめて情緒的・扇動的であり危険。
・「弱者のため」「真の自由のため」と言う名目で、特定の方向に向かう議論以外は封じ込めようとする風潮、画一化された言論が蔓延している風潮には徹底的に抵抗する思想家。

2012年9月23日 (日)

映画「ミスター・ノーバディ」を観た

 21世紀末、人類は科学技術の進歩により永遠の生を手に入れている。主人公は死を選択した最後の人間、MR.Nobody。記憶がない人間は誰でもない。記者の取材を受け、彼は徐々に記憶を取り戻してそれを語るのだが、互いに矛盾する複数の彼が登場し、複数の女性をパートナーに選び、違う人生を送っている。時間が行ったり来たりで、記者にも観る者にも訳が分からない。彼はどの記憶も真実だと言うのだが・・・。

 人間には表象能力がある。知覚されたイメージは一旦記憶されるが、思い出すことで浮かび上がるイメージが表象だ。表象は知覚に比べクリアではないが、同じイメージだから技術的に表象をクリアにすることは可能かもしれない。さらに、作られたイメージを脳に書き込んで、それを思い出せばそれが真実と感じることが出来る可能性もある。映画「トータル・リコール」もその世界を扱っていた。しかしそれは宇宙が舞台だった。

 この映画では、舞台は家庭であり、テーマは男女の愛である。人生には大きな岐路がある。チョッとした出来事やその時の判断が、その後の人生を大きく左右する。その大きな岐路は両親の離婚で、母親についていくか、父親の元に残るかの二つの選択だった。その選択で人生のストーリーは変わる。女性関係の選択も同じだ。相思相愛だが結ばれない関係。こちらは好きだが相手がこちらを向かない関係。相手はこちらが好きだがこちらが相手を向いていない関係。その先もさらに樹木のように枝分かれしている、

 上手く行かない関係ばかりだが、実はこれは、大きな岐路に立たされた9歳の少年が描いた複数のストーリー・イメージだった。シュミレーションのようなものだ。

 21世紀末には、人間は人生の岐路において、事前にいくつかのストーリーを確認してからどれかを選択が出来る、という何やらコンピューター・ゲームのような設定のようだ。だから、主人公は最後に正しい道を選択し、幸せに包まれて死んでいく。

 観る者にも、あなたはどんな人生を選択するのかと問いかける。映画が伝えるメッセージは、一番好きな人との愛を追求すべきだということだった。そうすれば失敗しても後悔はしない。限られた人生なのだから、ベストの選択は好きなことを追求しろということでもある。

 時間も一つのテーマとなっている。青年期の主人公が映画の中で、時間は宇宙の膨張と共にあるから、宇宙が収縮すれば時間が逆戻りするという説明をしている。そして最後は、大収縮が始まる。

 科学技術の進歩は行くところまで行くと、限界が来て逆戻りすると暗示しているかのようでもある。人間はやはり、恋や愛で苦しみながらもそこに喜びを見つける方が幸せであり、死があるから生が幸せである、とのメッセージを感じた。

 空想的な世界を描きながらも、実は人間にとっての幸せは何かを問いかけている素晴らしい映画だった。

 

2012年9月21日 (金)

原発と醜い日本人

  「30年代原発ゼロ稼動」の目標の宣言をした野田政権は、昨日、閣議決定をせず事実上見送った。政権が変われば、この方針は担保されなくなったということである。原発立地自治体、経済界、米国の反対に屈した。

  経済界の声を代表する新聞は、国民生活の安定、エネルギー安全保障の観点から、原発を手放すべきではないと主張している。現在の生活を維持しようとすると、化石燃料に頼らざるを得ないから、電力コストが大幅に上がり、製品コストが上がり、日本は輸出競争力を失う。工場はコストを下げるために、海外に移転する。国内の雇用が減り、国民の生活は困窮するというのが根拠だ。いずれゼロ稼働を目指すにせよ、再生可能エネルギーの産業化や制度改革などの準備が必要で、今急激にやるべきではないというものだ。

 しかし、原発ゼロ稼働目標をまず国家の方針として宣言しなければ、現状維持を望む人たちの圧力で、目標に向かっての準備は進まない。しかも2030年代というのは、まだ20年も先の話だ。準備が出来たら、切り替えようと言っていたのでは結局何も変わらない。国民の生活が不安定になるのは、受け入れるべきである。そのくらいの大事件なのだ。日本人はきっとその困難を乗り越える。

 昨日のテレビのニュースで、ドイツの原発ゼロ事情の特集が行われていた。ドイツは、チェルノブイリの事故以来、30年間国内で議論を重ねてきたが、フクシマの事故を受けてついに10年後の「2022年原発ゼロ稼働」目標を決定をした。政府の決断に当たって力を発揮したのは、原子力の素人の集まりである倫理委員会である。委員会が、原発を廃絶すべきだと言う根拠は、核のゴミを処理する能力が現在ない以上、子孫の代に負担を押し付けるべきではない、と言うものである。倫理は、技術や経済に優先すると明快に答えている。

 ドイツでも当然経済活動を圧迫すると反対意見はあったのだが、今は企業も意識を切り替えている。原発企業であるシーメンスが、洋上風力や高性能火力発電の技術開発に取り組んでおり、すでに新しい成長産業となっている。むしろ技術力を発揮する大きなチャンスととらえている。その前に、発送電分離と消費者による電力会社選択の自由の制度がすでに社会に根付いている。

 翻って、日本では、事故の責任すら誰も取らない。経済最優先で、子孫の世代に負担を押し付けてでも、今の生活維持、自分たちの世代さえ豊かであればいいと言う考えだ。日本の原発が怖いのは、技術力よりも無責任体制であり、のど元過ぎれば怖さを忘れる日本人の体質だ。今までの原子力管理は、推進が前提になっていて、ブレーキを掛ける機関が存在していなかった。規制委員会ができても、政府の姿勢がぐらついている限り同じことだ。シフが経済界の方を向けば、委員会も手を緩めるのだ。東電のような特権企業が、温存されてきたこと自体が、日本社会の後進性を表している。

 原発立地自治体、経済界も事故の深刻さが分かっておらず、未来への想像力が欠如している。今、金が欲しい、儲けたいと言うことしか頭になく、経済が倫理に優先され、人間としてのモラルを失っている。情けないを通り越して、醜いとすら感じる。醜い日本人であって欲しくない。

2012年9月19日 (水)

民主主義と言う神

適菜 収「ニーチェの警鐘―日本を蝕む『B層』の害毒」講談社+α新書2012を読んだ。

 ニーチェの有名な言葉「神が死んだ」は、キリスト教の神のことであるが、彼が言いたかったのは、「偽装した神」が現代に生き残っているということだというのは、初めて知った。その「偽装した神」とは、民主主義のことにほかならない。民主主義にはキリスト教的本能が受け継がれており、<弱者の普遍主義>により世界を支配しているという。

 戦後の教育で育った自分にとっても、民主主義は絶対に正しい思想のように思われていたのだが、民主主義が衆愚政治に陥ると、ナチスのような集団が選挙で支持され政権を取ることがあり得るとなると、考えざるを得ない。ムードに流され、コロコロと支持者を変える日本の選挙民を見ていると確かに心配になる。

 まして歯切れの良さで人気のあった小泉元首相が、国民を分類し意識的にファシストが使う手法で票を集めていたとなると、ぞっとする。今の橋下大阪市長の人気にも同じ臭いがする。しかし、もう一方で今の日本の閉そく状態を打ち破るには、まず抵抗勢力となっている官僚を統治する力のある彼らのような強い政治家が必要だとも思う。

 彼らからすれば、自分も操作の対象である大衆の一人に過ぎない。現に自分の意見と言っても、メディアや知識人から得た知識や意見に基づいており、影響されやすい。意図的に誘導されれば、どこまで洗脳されてしまうか分からない。すでに自由主義・民主主義・平等主義・人権尊重と差別反対の思想に洗脳されていると言った方がいいのかも知れない。ただ最近ちょっと疑問を持ち始めたと言うところではあるが。

 著者は、ニーチェを引用しながら、簡単には容認できないようなことを次々に述べている。民主主義・平等主義の否定、選挙制度の否定、官僚制度の支持、学歴社会の支持、男女平等の否定、中選挙区制の復活、選挙権・被選挙権の制限範囲の見直し、司法の独立の徹底=裁判員制度の否定、三権分立や二院制の堅持など、現在の日本の政治の流れとは逆の主張をしている。

 要するに民主主義が衆愚政治に陥り、果てはファシストに乗っ取られないようにするためのセーフティネットを堅守しようというのだ。総論としては分からなくもないが、各論を肯定するには時間がかかりそうだ。現に、ふらつく国民の総意に対し、参議院があるから、ねじれ現象が起こって常に何も決められず日本は停滞するのだ、とさえ思っていたのだから。

 仮に著者の言うことが全面的に正しいとしても、日本の政治は官僚に任せておけば間違いないとでもいうのだろうか?それとも新たな指導者が登場するのを待てというのか?良く分からない。仮に候補者がいたとして、それが任せるべき真正の指導者だと誰がどう判断するのか?アメリカのような選挙人を選挙で選ぶと言うようなシステムが必要なのか。勉強すべきことがどんどん大きく膨らんでくる。大衆の一人として、どこまで出来るのか心もとない。

■以下、本書の要約。
●はじめに
・「神は死んだ」は教会の神のことであるが、別の形で生き残り社会を支配との指摘。
・現代は「巧妙に隠ぺいされた宗教の時代」、「偽装された神」の時代である。

●価値の混乱
・小泉政権は国民をA~D層に分類。B層は進歩改革が好きなIQが低いターゲット。
・伝統的コミュニティの崩壊により都市部に発生。抽象的理念、民主平等人権を好む
・無制限に拡大する権利意識と被害者意識。常に騙されたがっている。
・マスメディアや知識人に影響されやすいB層をポピュリズムで騙す政治家。
・B層を騙す側にいた政治家が、B層になった。非見識な素人が閣僚にまでなった。
・あらゆる境界があやふやになり、全ての価値が混乱している日本の現状。

●ニーチェの警鐘
・大衆は自分に価値を認めず、他人と同じでありたいと考え、時代の波に流される
・ニーチェが批判したのはイエスではなく、その教えを歪めたパウロのキリスト教会。
・報復・罪と罰・審判・メシア信仰・三位一体・神の子などはイエスの教えにない。
・キリスト教は恨みと同情の力を利用し、弱者を引き込んで世界的な権力を獲得。
・自分の苦しみの責めを他人に負わせるという点で、社会主義も同罪。
・民主主義は個人の完全な平等性を妄想。絶対的存在の神との距離における平等。
・キリスト教の神が、民主主義平等主義のイデオロギーに姿を変え世界を支配。

・民主主義の根底にあるのは、ルソーの<一般意志>(公的な人民の意志の総体)とグローバリズムのキリスト教。
・平等主義は偉大な人間を抑圧し、価値のない人間を持ち上げるシステム。すべてをフラットにし、差別をなくそうとする運動が、暴力と文明の破壊につながる。
・民族の歴史から切り離され、超越的な理念により支えられた政体は、必然的に恐怖政治にたどり着く。フランス革命以降の理性に基づく大量粛清。

・キリスト教は<あの世>を利用して<この世>を支配するシステム。現実世界の背後に<真の世界><イデア>があるというプラトン哲学の発想が生きている。現実社会の彼岸に理想社会を立てる社会主義も同じ構造。
・客観的に物事を考え、理性的い判断を下せばすべてが解決するという近代思考をニーチェは批判する。<世界>は認識者の視点により変わる人間が解釈した<虚構>。生物は生きていくのに有利になるように<世界>を解釈する。そこにあるのが生に対する<保存・成長の欲望><権力への意志>である。
・ニーチェは民族や自然から切り離されたキリスト教の不健康な神は否定するが、民族の価値を投影した民族の神を健康な神として認める。虚構だが民族がより良く生き抜くための知恵として。
・ニーチェが描く健康な社会は、特権を持った少数のエリート、彼らを支える権利の保護者・軍人・裁判官、そして大多数の<凡庸な者>である大衆からなる<正しい格差社会>である。

●B層グルメとBポップ
・B層が聞くBポップでは、音楽より別の要素が重視される。優越感を満足させる同情を引くような、健康的ではなく病的な要素。
・B層グルメは、マスメディアに踊らされる
・食べログもミシュランも信用できない。彼らの価値基準がB層社会の産物だから。

●知識人はなぜバカなのか?
・フロイトやユングは証明できないのでオカルト。宗教と同じで反論できない。
・吉本の物言いは無責任。根拠を示さず好みや感想をいうだけ。
・チェスタートン「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」
・近代大衆社会においては教養人が姿を消し、知識人が暴走する。反知性主義が猛威を振るう。

●B層政治家が日本を滅ぼす
・マニフェストは努力目標と言い換える詐欺師タイプ
・抵抗勢力、官僚等のわかりやすい敵を設定して不平不満を煽るタイプ
・琴線に触れる言葉、タレント、メディアへの露出等の撒き餌を利用するタイプ
・有権者の成熟が必要と言われるが、成熟することはない。
・政治主導、民主化の流れをくい止めるべき。中選挙区制の復活、選挙権・被選挙権の制限範囲の見直し、司法の独立の徹底、三権分立や二院制などの民主主義に対するセーフティネットの堅守などがあげられる。

・未来と過去に責任を持つ人間、正気を保っている専門家・職人が政治的判断を下すしかない。
・立法府の腐敗を前提とした「政治のシステム」を維持していくことが重要。
・知性や学問を否定してもいいことはない。学歴社会は健全。
・学閥のある日本の官僚支配は優れた制度。
・ニーチェによれば男女平等は悪質なフィクション。「完全な女性は、完全な男性よりも高級な人間類型である」
・女が政治にかかわり男のように振る舞うことにより女性特有の魅力を失う。

・独裁政治を目指した菅直人は、官僚制度や三権分立を否定。橋下徹も独裁政治を目指している。
・愚かな人間が愚かな政治家を選んでしまうと衆愚政治になる。原口一博は大衆迎合で政治学の基礎知識が欠如
・アレントの政治哲学「ナショナリズムは帝国主義の阻害原因になる。」
・国民は平等というのはフィクションである以上、選挙なんかで世の中を変えることは危険。
・ナチスは狂気の集団としてではなく、市民社会の中からごくふつうに登場し、市民社会の正当な手続きを経て、カタストロフィに突き進んだ。

2012年9月17日 (月)

ナショナリズムとファシズム

佐藤優+魚住昭「ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき」(朝日文庫2010)を読んだ。魚住氏がリードして、佐藤氏の考え方を引き出す形の対談だが、佐藤氏の幅広く深い知識に圧倒された。ファシズムがどのようにして生まれたのかについて、かなり勉強になった。

 佐藤氏は自らの立場を、「国益を重視するナショナリストであり、国家の残虐さや愚劣さを憎むアンチ・ナショナリストである。」としているが、むしろ反ファシズムと言った方が正確である。氏はナショナリズムとファシズムを同じ意味で使う傾向があるが、使い分けるべきだろう。ファシストにとって、ナショナリズムは統治の手段だからである。

 人間は何らかの共同性の中に自己を位置づけることで感情を安定させることが出来るから、産業社会でバラバラになった個人は、ニヒリズムに陥るか、共同体依存になりやすい。しかし、共同体を支える共同幻想には、ファシズムやソ連型共産主義、民族主義、原理主義的な宗教などがあるが、これらの危険性に比べれば、「国民幻想」あるいはナショナリズムは、暴発する危険性はあるものの、まだ”まし”だと言う佐藤氏の意見に賛成である。

 しかし一方で、ナショナリズムは、国家に対する脅威を喧伝し国民相互を同胞として認識させることで、国民の間にある不平等や搾取の問題から目をそらせる機能を果たしていることも忘れるべきではない。昨今の領土をめぐる韓国や中国の反応は、ナショナリズムの暴発の危険を孕んでいる。

 ファシストたちは、ナショナリズムを利用して大衆に国家への忠誠を求める。彼らはナショナリストの振りをするだけであり、実はファシスト集団への隷属を求めているにすぎない。問題は、民主国家の大衆がファシズムに共感し運動を推進してしまうところにある。ファシストが、大衆の間にファシズムを浸透させる技術は巧みである。メディアやインターネットが活用され、大衆は容易に情に流され、自ら自分の首を絞める指導者を支持してしまう。

 現在の日本では、官僚が暴走している。政治家が劣化しているから歯止めがきかない。新自由主義は、金融資本の暴走と失敗により転機を迎えた。経済格差への対策が検討され、企業活動にはブレーキがかかり始め国家資本主義・警察国家的な色彩が強くなってきた。今すぐにファシズムの芽があるわけではないが、必要以上にナショナリズムを掻き立てる政治家や官僚の動きが出てきた時には、要注意である。

■以下、本書のファシズムに関する部分の要点のみをまとめる。

●経済的な背景
・自由を追求する資本主義は、経済格差を生みまた恐慌による失業の不安を持つ。平等を求めて、社会主義は資本主義経済を否定し経済を予見可能なシステムにしようとした。一方、ファシズム(広義)は、国家が前面にせり出して資本主義をコントロールし、平等を保証しようとした。
・もう一つは資本主義の枠内でそこそこの資本活動は容認するが、それが行き過ぎたら介入するという国家資本主義が生まれた。(社会民主主義とか福祉国家主義などともほぼ同じ。)それが戦後の西欧や日本の体制。

●政治的な体制
・ファシズムは一党独裁による専制主義・全体主義をとり,指導者=エリートに対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧,対外的には反共を掲げ侵略政策をとる。
・ファシズムは、理想とする世界をつくるために殺人を肯定する。キリスト教社会にも、そしてそれを受け継いだ欧米の近代思想の中にも、殺人を容認する救済の論理、排外主義が内在する。
・国家は国民を収奪して自己保存を図る。国家の実体は、軍部も含む官僚である。官僚はファシズムにおいて容易に自己保存できるので、最もファッショ化しやすい。

●ナショナリズム
・人間の感情と言うコアな部分までは産業社会の論理によって塗り替えることはできない。感情を支配できるのは、文化であり、思想である。
・人間は何らかの共同性の中に自己を位置づけることで安定する。
・産業社会は、人々の流動化、匿名化を促し、人々をバラバラにするが、そうすると産業社会の継続性が危うくなる。国家は大衆を教育し、民族・国民と言う思想・文化を共有させることでこの矛盾を解消する。国民は不平等・搾取があっても深い同志愛で結ばれる。・指導者に大衆が騙されているのではなく、大衆自ら核となって運動を支える。
・ナショナリズムの形成は、ある程度までは操作可能かもしれないが、操作しようとする人間の意図を超えて操縦不能に陥る可能性が強い。
・ナショナリズムが人類の原罪であるのは、それによって自分の命を差し出す用意が出来てしまうから。そういう気構えがあれば他人の命はどうでもよくなる。

●ファシズム
・ファシストは、情と理を混同させ権威に弱い俗情や素朴な一般常識の正義に訴え、メディアを使って執拗に攻撃し、ターゲットを貶め、世論形成・ファシズムの浸透を図る。。・匿名性が担保され過激になりがちなインターネットの言説はナショナリズムを高揚しやすい。新たな公共性の構造転換。既存メディアも引っ張られている。
・国家が社会的弱者に対して、救貧政策による「いたわり」と、社会的強者を暴くことによる「清潔な政府」のイメージ操作に成功すると、弱者は国家と直接つながり、包摂されているという「帰属意識」を抱く。これでファシズムは完成する。
・日本のファシズムを支えた知識人や大衆の多くは、戦後直ちに転向した。
・天皇を頂点に戴く国家神道は宗教でなく慣習・自然。誠を尽くせば肯定される原理に包まれていた人は、転向した。
・明治政府の国体明徴で天皇制を権威と権力の両方をあわせ持つ現人神という規定を信じ、一神教の超越神ととらえた人は転向しなかった。

●戦後の日本
・西欧の社会民主主義は、政府による直接給付の再分配方式を取った。不正給付を防ぐため官僚が国民一人一人を監視する警察国家型の管理システムの社会となった。
・日本の下品な社会民主主義では、公共事業により経済的に弱い地域に富を再分配した。政治家の利権追求を生んだが、官僚の監視をミニマムに出来たので、民主主義のコストともいえる。
・日本の検察は旧田中派(小沢一郎を含む)に手を突っ込むことで政治をコントロールしてきた。
・冷戦崩壊で社会主義への脅威が無くなり、資本の論理が露骨になった。格差を緩和するための福祉政策を縮小する新自由主義に転換した。日本では小泉政権が構造改革がそれ。
・デフレ不況下で収奪方法が転換した。日本の基礎体力を回復するために、経済的強者をさらに強くすること。そのためにはケインズ型の富の公平配分ではなく、ハイエク型の傾斜配分に。
・小泉が首相でポピュリズムだったから、官僚は地方や弱者切り捨てをできなかった。
・官僚、日本の検察は、公共事業を通じ地域間格差をなくそうとする利権政治家のシンボル鈴木宗男を叩いた。もう一方で、国家を潤わせない新自由主義の行き過ぎのシンボルであるホリエモンを叩いた。
・官僚の劣化は、政治家の官界への圧力による分配のシステムがなくなり、官僚への監視、教育が崩壊。冷戦終結で官僚は防衛はアメリカ任せ、自分たちは収奪のみという油断。国家の迷走と官僚の暴走は重なる。

●自己相対化への想像力を持て
・国家、貨幣、民族、宗教などは、すべて人間がつくった思想(共同幻想)。所与の状況を自明なものとして疑問を持たないのが主流の思想で、集団催眠にかけられて空気のように当たり前になっている。人間がつくったものに人間が支配されることはおかしい。
・絶対に正しいものとは、ある特定の集団にとって正しいものであるにすぎない。そういうものは複数あって権利的に同格。ただし他者への危害となるものを除く。
・優劣は付けられないから曖昧にするしかない。自己相対化への想像力をもって、思想の間を移動することで、うまくやるしかない。

2012年9月 9日 (日)

中学時代の同級生たち

 田舎の近くの温泉町で、中学校の同級会が開かれ、8年振りに出席した。
十数年前から毎年行われていて、とても仲がいい同級生たちだ。元々はお盆に行われていたが、主婦はお盆には出難いということで、9月に変更された時から、出ていなかった。久し振りに昔の仲間に会いたくなった。

 今年は男性10、女性7名が参加した。同級生は元々男性26、女性22名なので、比較的女性陣が積極的で出席率がいいことが盛り上がる原因だろうか。地元からは5名、県内から7名、関東から5名だった。8年前と顔ぶれが若干入れ替わっていた。6時半頃から始め宴会場で2時間、一部屋に集まって2時間半、有志で1時間楽しく酒を飲みながらおしゃべりした。

 近況報告や欠席者の情報交換で色々なことが分かる。48名中分かっているだけで、病気で亡くなった人4、体を悪くした人2、御主人を亡くした人3と、状況は少しずつ変化している。出席者の中でフルに働いている人はさすがにいなかったが、週3日勤務とかアルバイトをしている人は8人と多かった。区議をしている人がいたり、ヤクザになった人がいたりと人生模様は様々だった。その度に女性陣が野次を飛ばしたり、キャッキャッと笑うので賑やかだ。当時も今も女性は大人だしたくましい。

 当時一番仲が良かった2人も参加しているが、二人とも存在感があった。一人はお父さんが新聞社のカメラマンで、本人も中学時代から新聞部のカメラマンをしていて、たくさんの写真を撮っていて、アルバムを当日持ってきて皆に披露してくれた。文化祭を見学に来ている母親の写真が皆和服だったことに時代を感じた。また記念写真もプロ並みに撮ってくれ、帰りには配ってくれると言う手際の良さに感激した。

 もっと感激したのは、もう一人。私が中学時代に親戚の人に連れられて山登りした話に刺激されて始めたという山登りだが、もう経験40年以上のベテランとなった。毎年70か所以上の岩山や冬山を経験していて、プロの領域に達している。どこの山のどこが危険でどこが景色が良い、テントを張る場所はここがいい、水はここで汲めばいいなど、温泉場や歴史の史蹟も含めて熟知しており、近く本を出すとか。

 岩登りのロープの使い方や冬山の雪上の歩き方など、テクニックはすべて経験から身に付けた。今、山ブームで人口が増えているが、知識や訓練不足なため、装備も不十分な上、無理のある日程で上る人が多く困ると言う。ほとんど一人登山だが、時には頼まれて県外の若い女性たちや78歳の女性に同行したりしたことがあるそうだ。その時は、安全第一で、けがや装備の不備などの不測の事態に対応して備品を持って行くので、同行する人たちは知らないが、結構大変なんだと嬉しそうに話していた。一度、登頂して美しい景色と達成感を味わうと、止められなくなるそうだ。

 10月上旬だと言うのに雪が突然降り出し、頂上目前で決断し下山したことがあったが、翌日の新聞で、数か所で何人もの遭難者が出たことを知って、決断の大切さを学んだ。山の状況、天候、体力、装備、日程等を総合的に計画する力がないと、非常に危険だ。失敗をしては色々学んだ、「山や自然は俺の師匠だ」「自然に勝とうとしちゃいけない。」と深いことをさりげなく言う。

 圧倒的な経験と知識があるから、話は尽きない。面白おかしく話すから全員が引き込まれ笑いが絶えなかった。特に熊、猪、猿と出会った時の話は、臨場感たっぷりに話すものだから本当に面白く、女性陣はお腹を抱えて笑っていた。「皆はまだ働いて社会に貢献しているが、自分は好きなことだけをしているから申し訳ない。」と言いつつも後悔はしていない。ゴルフでも何でも好きなことを徹底してやったらいいと皆にアドバイスしていた。でも、山は金がかかるから、奥さんには申し訳なく感謝しているそうだ。

 彼に比べると、自分はなんてつまらない人生を送ってきたのかと感じさせられてしまった。仕事で頑張ったとは思っているものの、一流にはなれなかったし、彼の山への情熱や努力の徹底ぶりを見ていると、自分は仕事も中途半端、教養も趣味も遊びも全部中途半端だったような気がした。「絵が得意だったんだから、暇になったら絵を描きなよ。そして教えてよ。」などと、彼は励ましてくれたが、やりたいことはたくさんあって、絞りきれていない。いずれにしても、今は可能なのだから仕事を早く卒業して、好きなことに打ち込んだ方が人生は楽しいと思った。

 

2012年9月 6日 (木)

アメリカとの決別

佐伯啓思「自由と民主主義をもうやめる」(幻冬舎新書2008年)を読んだ。

タイトルは刺激的だが、あとがきで著者が言うように、自由も民主主義も無条件で良い訳ではないということ。自由には規律が必要であり、民主主義には国民の良識が必要である。それらがないと「放縦」や「衆愚」に陥る。規律や良識はその国の宗教・文化や歴史、その国の「価値」から切り離せない。進歩主義は、価値を崩壊させニヒリズムをもたらすが、日本における価値基準の混乱の原因もそこにある。著者は保守主義の立場から、米国の支配によって失った日本的な「価値」を取り戻し、混乱から脱するべきと主張している。

■まず本書を要約する。

●保守に託された最後の希望
・冷戦後、自由・民主主義・平和という戦後日本の体制を保守する立場が「サヨク」。
・戦後日本を変革しようという進歩主義が「保守」になり、左翼対保守構図が無意味化
・保守が訴えた変革=構造改革+憲法改正+教育基本法改正⇒親米と反米に分化。
・保守=理性に限界を認め、歴史や文化・非合理・慣習重視。急激な社会変化を避ける

・米国の公式価値=技術による自由の拡大・社会の合理的変革=進歩主義+軍事的強硬
・目に見えない価値=米国例外主義、キリスト教、エリート主義、人種意識、画一主義
・進歩主義は、自分の行動を律する共通の規範や道徳を見失い「ニヒリズム」に陥る
・フランス革命の理念「自由・平等・人権の普遍性」を疑うのが保守。親米保守は矛盾
・自由の過剰・過度な物的幸福の追求・価値の崩壊⇒文明の崩壊を食い止めるのが保守

●自由は普遍の価値ではない
・米国に防衛を委ねて独立国家のような顔をしている平和日本の欺瞞⇒三島事件
・大戦は日本の前近代性が原因とされ、米国的な近代化が戦後日本の思想の出発点に
・米国はプロテスタントで急進的な近代主義。自己責任に基づく市場競争主義が保守
・ネオコンは世界のアメリカ化を目論み敵対勢力(イスラム原理主義等)は武力で排除

・日本は政治経済の合理化のため、社会の土台を根本から変革しようとするが無理な話
・近代思想を生み出した西洋では、近代を軽信せず伝統や昔の自然を残そうとしている
・エドマンド・バークのフランス革命批判。宗教や貴族制等「賢明な偏見」は残すべき
・バーク:普遍的な人権などはなく、特定の歴史的文脈の中でのみ意味を持つ
・英国の保守主義は、個と社会の中間集団(家族、コミュニティ)を大事にする

・大事なのは自由・民主・競争でなく、それでどんな社会を実現するかのビジョン
・国民のムードで変わる日本政治。民主主義の結果のねじれで民主的意思決定が不可能
・過平等修正の構造改革の結果が格差。格差是正は元に戻ること。政策のダッチロール
・経済繁栄・平和と価値崩壊は戦後日本の表と裏。戦後日本という構造の見直しが必要

●成熟の果てのニヒリズム
・ニーチェ:道徳や正義の裏に合理的に他人を支配したい権力欲。キリスト教が隠ぺい
・自由・平等・人権は人間の所与ではなく、弱者が強者に対抗する為に生み出したもの
・西洋近代の巨大帝国専制君主の圧制や階級社会からの解放・自由が人々の願いだった
・それを普遍的・正義というのは、欺瞞であり不健康。だからニヒリズムに陥る
・それに代わる健康な価値は真に優れた少数者超人によって生み出される

・文明崩壊の予兆の一次大戦。技術への無条件の信仰が繁栄の証であり、没落の象徴
・自由平等がほぼ実現した結果、個人は欲望追求に向かい、結束が弱まりバラバラに
・文明の高度化が生き甲斐を失わせニヒリズムを生み、文明の崩壊をもたらす

・自由と民主主義を脅威から守るという使命感で世界はニヒリズムを一旦回避。
・二次大戦は、ファシズム対自由・民主主義と言われるがそれは米国の構図。
・但し日伊はナチスとは別。ユダヤ人虐殺と原爆投下による大量虐殺に違いはある?

・冷戦は全体主義対自由民主主義という米国の構図。米国の国益と理念が常に一体
・90年冷戦終了で進歩の歴史は終焉、再びニヒリズムに行くと思われた(フクヤマ)
・ところが米国はグローバリズムで世界中の民主化を主導。これが9.11のテロに繋がる
・米国は、9.11を西洋理念への攻撃・文明の衝突でなく、ならず者のテロと認識

・9.11は、自由と民主主義はイスラム社会では通用しないという事実を明らかに
・欧州は、歴史と伝統の縛りを全て切り捨てて自由を実現しようとは思っていない
・元々は自由も民主主義もギリシャのポリスに由来した価値
・価値崩壊後は、ただ生きることに価値をおく生命至上主義というニヒリズムが台頭
・自由でなく規律を求めて宗教活動やボランティア活動が復調。20世紀初頭に戻った

・西洋近代は一方で自由平等を唱えながら、他方で利を求め力でアジアを植民地化
・京都学派の主張:西洋の覇権主義に対抗するには、力ではなく道義で牽制すること
・普遍性の無根拠化=ニヒリズムでなく、世界の無意味性=無を最初から受け入れよ
・調和、節度、自己抑制、他人への配慮といった日本的価値を打ち出していくこと

●漂流する日本的価値
・世界金融危機の根本原因は、過剰資本が流れ込んだグローバル金融市場の不安定構造
・グローバリズムは冷戦後世界の実権を握るべく巨大市場を取るという米国の意図
・優位な金融とITの革命で資本を注入し安い労働力を求めアジア進出した米国企業
・日米構造協議は米国に要求された構造改革。資本・労働・自然資源の市場化
・生産要素が市場化されることで、その価格・供給が変動し生産活動が不安定化
・金融・労働・資源の規制緩和で企業への投資でなく生産要素への投機による利益追求
・ドルの米国、労働力の中国、資源ロシア・アラブが世界を支配する構図

・もう一つの生産要素「組織」を作り出す力が日本の強み。忠誠・誠実・勤勉が支える
・組織の商品化=企業売買で日本的組織の良さが失われつつある

・16,17世紀の重商主義、19,20世紀の帝国主義と2つのグローバリズムは戦争で決着
・21世紀グローバリズムは帝国主義。米、中、露が覇権争い。日本は曖昧な立場
・国力は政治力・軍事力・経済力そして文化力(価値力)。日本には文化力しかない
・グローバル化によって、逆に人々は各国の国益・文化のアイデンティティを見直す
・「日本的なもの」が戦争の原因と断罪され「アメリカ的なもの」に精神的に隷属した
・価値基準が混乱している今こそ、「日本的な価値」を再考し取り戻すとき

・西洋資本主義はプロテスタントの勤勉な労働の精神から。神の前で個人は孤独
・日本の資本主義は日本的勤勉が支える。背景に悉有仏性や清明心の日本的宗教観
・日本では人間は自然の一部として役割(性)を持つ(石田梅岩)
・個人が役割を全うすることで社会の秩序が保たれ、逆に個人の精神の秩序も保たれる
・自分の欲望を排し、私を無にして、やるべき道を全うするのが正しいとする精神
・自らの権利と利益を主張して覇権を争うやり方は行き詰る。今こそ日本的精神が必要

●日本を愛して生きるということ
1.なぜ今「愛国心」なのか
・「日本を愛する」と言う時の『日本』とは何を指すのか
・国民に共有されるべき「国に対する責任」が余りにもない。誇りを感じていない

2.「愛国心」をめぐる諸概念
・ナショナリズムは国民が大切という思想。ステイティズム国家主義とは区別
・愛国心パトリオティズムは場所としての郷土愛。感情的にならずに概念の整理が必要

3.「戦後」をめぐる二つの見方
・丸山眞男「ナショナリズムから民主主義へ」戦争の原因は民主主義の未確立と天皇制
・主権者が価値の体現者であり、君主であると批判不可能。政府・軍部に利用された天皇。
・ワイマール共和国がナチズムを生んだことを説明できない。但しナチス批判はあった
・日本では戦争批判が出来なかったことが「悔恨」。だから戦後民主主義が正当と主張
・吉田満「戦艦大和ノ最期」ちくま文庫。自己利益と保身で成り立つ戦後の繁栄は偽物
・能天気な繁栄謳歌に悲惨な死者たちへの負い目を感じよ

4.「あの戦争」をめぐる歴史観
・占領政策も東京裁判もファシズム対民主主義という米国の戦争観で懲罰。
・米の歴史観を受け入れ間違いを認めて戦後をスタート
・国際法違反の米国による日本の体制転換で主権が剥奪された。
・日本はドイツと同じファシズムではなかった?

5.近代化という悲哀
・西洋のアジア植民地化の時代。日本の独立は西洋並の文明国になること(福沢諭吉)
・日本は文明化により西洋とアジアの植民地化を争う。帝国主義とファシズムは違う?
・漱石の危惧:日本の西洋化で日本的なものを喪失。保田輿重郎:万葉集の滅びの美学
無私の精神。西田哲学:仏教的な無、不条理を納得する根拠
・日本的精神は西洋覇権主義に勝てない運命。日本人の底辺に流れる美しく滅びる精神を想起すべし。

■まとめ
 戦後生まれの自分は、かつて日本がファシズムであったために戦争に突き進み、戦後は米国と同盟し「自由と民主主義」の国になり、平和を繁栄を享受できてとても良かったと、単純に思ってきた。最近の日本は政治も経済も低迷しているものの、世界の中では恵まれた国であることに間違いはない。それも米国の安全保障のお蔭であると。

 しかしながら、米国の国力の低下と共に、米国の行き過ぎた金融資本主義で世界中の経済がおかしくなったこと、米国は自由と民主主義の番人と称し世界中で戦争を仕掛けてること、日本の政治家や官僚がすべて米国の言いなりになっていること、米国は結局自国の利益だけしか考えていないことなどが明らかになり、そろそろ日本を植民地のようなものとみている米国との決別が必要だと感じていた。

 著者の主張は、単純化すれば「反米保守」だが、レッテルで判断することは避けたい。保守主義や進歩主義、愛国心やナショナリズムについても概念を明確にしないと、感情が先に立って議論にならなくなる。

 著者の言う保守は、フランス革命の理念である「自由・平等・人権の普遍性」を疑い、近代文明が陥っている自由の過剰・過度な物的幸福の追求・価値の崩壊を食い止めたいという立場である。欧州のように自由・民主・競争は、その社会の価値、その社会の規範・良識と結びついたところで実現されねばならないという主張は十分理解できる。

 米国は、自由と民主主義の普遍性を信じそれを世界に押し付けてきた。日本の戦後は、日本的価値を封印し、軍事力を米国に依存しながら、経済活動に邁進してきた。そして一定の成功を収めたものの、精神的には米国的価値にもついて行けず、国民の価値意識はバラバラになりムードに流され、愛国心を失い、国の行方も定まらず国がダッチロールしている。

 自由と民主主義は、決して普遍的な原理ではなく、規範や価値を共有化する一つの国家の中でしか機能せず、自国民にしか保障されない。他国はこれを守るための手段としてしか見られない。個人の利益追求の自由は、近代文明の一環である資本主義を正当化し、競争社会と経済的不平等を生んだが、社会的不安を生まないように規制をかける以外に、ブレーキをかけるものがない。特に他国民に対しては、ルールは適用されない。従って民主主義は帝国主義と共存しうる。

 植民地の収奪を支える思想は、植民地の「救済」である。適者生存の世界で、遅れている植民地を文明化し進歩させなければならないという啓蒙思想がある。自分たちの近代文明・近代思想・近代社会の価値体系が、疑いもなく正しい。これに敵対するものは力で排除する。建前は、救済であり民主主義の敷衍であっても、本質は国家を牛耳っている金融資本や巨大企業のための市場開拓であり、自然資源の確保である。軍事力だけで人間を支配できないから、政治・文化・社会の価値を布教するのだ。これは米国の思想そのものではないのか?そしてそのベースにキリスト教の影響を感じる。

 著者は、日本的価値を取り戻せと言いながら、それは滅びの美学であり西洋覇権主義には勝てないという。日本はナチスとは違い、ファシズムではないとの物言いは軍国主義復活を望むかのような誤解を受ける。西洋と同じように近代化すれば西洋とアジアの植民地化を争う帝国主義間の戦いになるのは必然だったと言いたかったのだろうか。しかし、間違いなく日本帝国主義は全体主義という意味でのファシズムだった。

 ではなぜ、個人主義と民主主義、資本主義自由、社会主義的平等を否定するファシズムが生まれたのか。この本ではこの問題には言及していないが、そちらの方に関心が向く。著者の主張する保守主義、民族と愛国心、無私と国家、精神論、エリート主義の延長上に、ファシズムがあると思うからだ。

2012年9月 1日 (土)

2012年8月の読書メーター

2012年8月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1685ページ
ナイス数:67ナイス

■冥土めぐり
家族から理不尽な仕打ちを受けて、人生に絶望している主人公奈津子が、旅に出て思いがけない形で救われて行くという話。ちょっと理屈っぽくて感動は小さかったが、似た話は極めて身近にあるだけに考えさせられた。人間は皆何らかの不遇に遭って悩みを抱えている。現実を受け入れられずに何かに依存する人や絶望する人、現実を受け入れ前向きに生きる人と様々だが、幸せになれるのは、夫のように不遇を呑み込んで前向きに生きる人だけだ。母や弟にような寄生人間は許せないが、そんな人間と長い時間いると、自分の欲望を失ってしまう方が悲しい。
読了日:08月30日 著者:鹿島田 真希
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21719762

■往復書簡
こういうミステリーもあるのかという新鮮な驚きがあった。手紙形式だから、読みやすく、必ず次の返事で大きな展開があるから、ワクワクしながら読み進めることが出来る。手紙のやり取りの中で、次第に事件が浮かび上がってくる意外性。そしてそれが思わぬ方向に展開していく面白さ。そして結末でのドンデン返しの驚き。この同じパターンで、3つのストーリーが語られている。共通するテーマは、過去の事件によるトラウマの清算。その事件は凶悪犯罪というのではなく、こんな時あなたならどうすると問いかけてくるような身近に起こりうるような事件。
読了日:08月27日 著者:湊 かなえ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21629693

■楊令伝 7 驍騰の章 (集英社文庫)
楊令と童貫の戦いが始まった。圧倒的な兵力の差がある中で、楊令の戦い方はやはり予想外のものだった。楊令の奇襲は、単に迫る宋禁軍を足止めするためのものではなく、古参から伝染した新兵たちの童貫への恐怖心を振り払うためだった。心が負けていては戦えないのだ。古延灼と趙安との戦いも壮絶だった。息子のために身を投げ出した古延灼、その話を聞いて狂うように一人で童貫軍に切り込む楊令。親子の絆は特別のものということか。緒戦の痛手にも動ぜず、童貫は超然と全軍進攻を指示した。さあ、楊令はどう受ける。
読了日:08月21日 著者:北方 謙三
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21487644

■アドルノの場所
なぜ「アウシュビッツ」が起こったのか。アドルノは様々な「反ユダヤ主義」の原因を分析しているが、特定の歴史的背景に起因するものでなく、近代文明に内在するという指摘が重要である。近代の競争社会は、内なる自然である欲望・衝動の支配・抑圧を前提とするが故に、自然は秩序を乱す「恐るべき自然」(生理的拒否反応)として現れる。社会は、その秩序を歪める者(ユダヤ人)に対し不寛容であり、暴力的にならざるを得ない。そして絶えず反省する理性により、恐るべき自然と宥和する社会が構想されねばならないというのだが、明確な答えはない。
読了日:08月16日 著者:細見 和之
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21344776

■楊令伝 6 徂征の章 (集英社文庫)
南北の動乱で多くの兵を失った宋の禁軍は、童貫が元帥となって立て直しを図る一方、国の中の国の様相を呈し始めた梁山泊はさらに勢力を拡大して、ともに戦いの準備を整えてきた。その間、宋では、権力者間の争いや幹部の勝手な動き、利権確保などが目立ち始めた。堅固だった大きな集団が崩壊する前兆のようだ。梁山泊では楊令が、致死軍の老いた統轄を交代すべく若き侯真に対し昇格試験を課す。そのやり方が凄かった。扈三娘と聞煥章の関係も壮絶だった。子供のためにとことん自分を犠牲にする母親の強さを見た。いよいよ楊令と童貫の戦いが始まる。
読了日:08月11日 著者:北方 謙三
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21211930

■新しいヘーゲル (講談社現代新書)
始めは少々苦戦したが、最後の第5,6章「近代とはどういう時代か」「ヘーゲル以後」で、著者の問題意識が分かった。ヘーゲル哲学は西洋近代社会を支える近代哲学の集大成であり、現代哲学はヘーゲル批判から始まっている。近代文明は様々な矛盾を抱えているが、著者が大きな課題として取り上げるのは反近代のナチズムがなぜお膝元のドイツで支持され、なぜ近代哲学はそれを阻止できなかったのかである。明確な答えがまだ出ていないようだ。今だ自由で自立した近代的個が確立していないと言われる日本では、より一層深刻な課題であると思う。
読了日:08月07日 著者:長谷川 宏
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21125760

▼2012年8月の読書メーターまとめ詳細
http://book.akahoshitakuya.com/u/195601/matome

▼読書メーター
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