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2013年5月

2013年5月19日 (日)

「攻めの農業」政策を考える

5/16の朝日新聞オピニオン欄で、農民作家の山下惣一氏が、安倍政権の「攻めの農業」政策への反論を述べている。いろいろな問題を指摘しているので興味深く読んだ。以下に、要点をまとめ、最後に、自分の意見をまとめてみる。

■要約
①大規模専業農家は、政府の言うように競争力をつけるために、規模を拡大しコストを下げてきたが、いまや補助金なしでは厳しい。更にTPPが実現すれば、どんなに規模拡大しても米国の巨大穀物企業や豪州の大農場には勝てない。

②政府が進める企業への農地所有による農業は活性化しても企業は利潤で動くから、失敗すれば農地を売却する。ニュージーランドのように中国企業にでも売るかも知れない。それでいいのか?

③食糧を自由貿易にさらすのは危うい。インドは世界最大のコメ輸出国だが飢餓人口は高水準だ。農産物の貿易は余った国から足りない国に行くのではなく、価格の安い国から高い国に行くから。

④大規模小売店舗法で地元の商店街が寂れ仕事が無くなり地域が貧しくなったように、安い輸入牛肉が入って牛丼の値段が下がると、競争のため外食全体が値段を下げ労賃が下がる。単純に、関税撤廃で商品の価格が下がれば消費者には良いというものではなく、労賃や雇用の問題を一緒に考えないといけない。

⑤農産物の輸出額倍増が政権の成長戦略だが、自然を相手にする農業は成長してはいけない。成長より安定が一番いいが、経済学者はこれを停滞という。工業の競争原理とは違い、農業は自然との調和と地域の支え合いが原理。競争原理が生み出す利己主義で地域コミュニティが崩壊したら農業は成り立たない。

⑥農業が衰退したのは、単純に後継者がいないからではなく、政府の工業化政策のためである。高度成長期は工業化のために農村から労働力を集め、その代り原発や産業廃棄物処分場が来た。工業製品の輸出で成長をめざしGDPの9割を貿易に依存する韓国は極端にしても、そういうやり方は危うい。

⑦TPPで国内の雇用が減り、都市に失業者が増えれば必然的に農村に余剰人口が押し戻される。新たに農業をやりたい人には、離農した人の跡地に入って貰えばいい。多くの都市住民が週末農業を営なめるような「日本版ダーチャ」で、農業のすそ野を広げるべき。日本の農業の唯一の強さは、地域に農家と消費者が混在したり、都市が近くにあったりすること。小規模農家は生産を楽しんでいる。日本の農業を幸せ農業にしたい。

■山下氏は、多様な問題提起をしており、農業問題の根の深さが分かるが、自分としては彼の意見にすべて賛成できるわけではない。以下に、①~⑦までの各意見に対する現時点での自分の意見をまとめておく。

①大規模農業の問題。政府が推進している規模拡大政策では、米・濠・加の先進国に負けてしまうという意見は、大泉宮城大教授も以前述べていた。かといって、山下氏のような現状維持の中小規模農業では、先細りが見えているのではないか。そこで大泉氏は、付加価値の高い欧州型の「成熟国型」農業を目指し積極的に輸出すべきであり、コメについても生産調整せずに、余ったら市場開拓し輸出すべきだという。確かに、安全高品質の日本の食料は高価格だが一定の需要があるかも知れない。ただ、世界が不況の中で、中国だけをあてにするわけにもいかないから、時間がかかるだろう。

②企業の農業参加問題。地域に根を下ろした大企業が急に農業を止めたり、土地を外国企業に売ったりするのは、地域経済を破壊し国家の安全が脅かされるので望ましくない。企業の農業参加は、一定期間地域に定着し貢献してきた農村自営業者に限定するなどの制限を設けるべきだ。また農地の売却先についても制限は必要だろう。しかし、農業の企業化を反対する理由にはならない。

③食料安全保障の問題。自由貿易に頼るといざという時に食料を確保できないという意味と企業は利益のために自国のことより取引を優先すると言う二つの意味がある。後者の例としてインドのことが挙げられているが、日本のコメを日本より高く買ってくれる国はないだろうから、日本企業がコメを国内で売らなくなることはありえないだろう。

 前者については、日本がコメを大量に輸入する相手国と戦争にでもなったり、政治的駆け引きに使われると困るが、ルールを守る紳士的な国との自由貿易を続けている限りは心配ない、と言う主張もある。ただ日本が豊かなうちはいいが、貧しくなってきたらどうなるのだろう。今の石油のようになるとまずいのではないか。逆に、食料を100%自給し国を閉鎖していると、冷夏等で飢饉が起こった時に、対応が間に合わないのではないか。やはり、ある程度の食料自給率と適度な自由貿易が必要だと思う。

④自由貿易の問題。自由貿易で商品が安くなっても、それが回りまわって自分たちの給料を下げたり、雇用を減らすことになることを理解すれば、消費者は単純には喜べないはずだ。これは山下氏の指摘通りだ。しかもデフレ下では、自由貿易はデフレをさらに進行させる。

⑤成長か安定かの問題。「自然を相手にする農業は成長してはいけない。工業とは違い、成長より安定が良い。」という山下氏の意見に対しては、現時点では判断が難しい。成長を目指すことが自然環境や地域コミュニティを破壊するから、農業が成り立たないと言うのだが、工業もまたそれらを破壊してきたのではないか。そうすると経済成長自体が問題なのか。もっと深く勉強する必要がある。

⑥日本の未来産業の問題。農業を衰退させたのは、農業より工業を優先した政策のためだと言うのは正しいと思う。極端な工業化を推進する韓国は、金さえあれば食料は買えるのだから、別に国内に農業が無くてもいいと言う考え方に基づいているのだろう。ただ景気には波があり、いつも工業製品が売れて国民もリッチというわけにはいかない。食料のほとんどを輸入に頼った時、高額の食料を買えなくなったら大変だ。一定の食料自給率確保は必要だろう。

⑦農業の担い手の問題。山下氏が予測しているように、TPPで失業者が増えれば自然に農業に流れる、と言うほど単純ではないと思う。新しい担い手を受け入れる器の整備が必要だ。この記事にコメントしている生源寺真一名大院教授が提案している。水田作の生産調整を徐々に廃止し、米価が下がった分は職業として農業を営む専業・準専業・農業生産法人に直接支払って、借農地による規模拡大を助ける。また日本の稲作で生産効率が高い10~20㌶の農地の担い手を数集落に一つ育て、法人化して技術を継承し、農家出身ではない新しい人を受け入れる。更に食品加工の要素を取り込み、地方の雇用を創出する。といった意見には賛成だ。

■「農業は成長すべきではない」という意見が、一番良く分からなかった。成長を目指すと、競争が生まれ人々が利己主義になるので、幸せにはならないというのだ。「日本の農業を幸せ農業にしたい。」という気持ちは分かるが、他の産業社会で働く日本人も幸せでなければならない。

 確かに、日本人は豊かになったが、幸せでないと言われる。しかし本来、経済成長は、国民の幸せのために必要であったはずだ。自然破壊にせよ、地域社会の崩壊にせよ、働く人の不幸にせよ、単純に経済成長の結果ではないはずだ。社会システムの問題だろうか。あるいはもっと根源的な問題だろうか。そしてそもそも「経済成長はなぜ必要なのか」を考えてみたい。

2013年5月12日 (日)

住まいに対する価値観の変化

■昨日の日経新聞に、東日本大震災後、建築家が色々な展覧会や住宅展を開いて、新しい「家」のあり方を提案していると報じていた。その要点は、「水や電気の自給自足」と「人が集う場の重視」の2点だ。

 震災で「線と管」(インフラ)から切り離された家の無力ぶりを見せつけられたため、太陽・風・雨といった自然の資源・エネルギーの活用や省エネにより、水や電気の自給自足が追求され始めた。

 被災地では、仮設住宅地に対して被災者が孤立しないように、被災者の集会所「みんなの家」が作られたが、少子高齢化や単身世帯の増加が進む中で、人が寄り添いつながる家や人を癒したり助けたりする家が追求され始めた。縁側のような人が集える空間を重視した家や、リビングのシェアなどの提案がなされている。

 これまでの住宅が個人の所有物と見なされ、機能性や快適性が最優先されたのだが、このような住宅への価値観が震災を機に劇的に変化し、家のあり方が再考され始めたという。

■「20世紀はプライバシーを考えすぎて、家というものが貧しくなった」と建築家の隈研吾が養老猛司との対談で述べている。(「日本人はどう住まうべきか?」日経BP社2012)

養老が、「モンゴルではパオの中が公共空間」という話を紹介し、隈もアフリカのサバンナの家も同じだと言い、「家こそが実はパブリックスペースだった」という話は面白い。性的なものは外にあり、集まりが家の中ということで、原初的な家と現代の家では、公私の関係が逆転しているのだ。

 そこまで行かなくても、日本の昔の家には縁側があり、客間や二間続きの座敷があって、多くの人が集まることを想定していた。見直しの対象となっている現代の家からは、そうした人が集まったり、助け合ったりする場が失われている。では、その現代の日本の家とは何か。

 それは圧倒的に多い都市の核家族が住む持ち家のことであり、郊外の戸建住宅やマンションのことである。戦後、政府の持ち家政策のもと、どこにでも通用する画一的な商品住宅が大量生産され、住宅ローンの制度が整備され、個人は資産を持つことが人生の目標であるかのような幻想を持たされ、せっせと家を買った。資産となった家は個人にとっての「ユートピア」となり、ユートピアが大衆化された。個人は土地に縛られたが地域との関係は薄くなり、都市は拡散したが流動性を失った。そのような仕組みの原型は、アメリカの郊外住宅であり、従属する日本が真似をしたのだ、と隈は言う。

 アメリカの郊外住宅は、住宅ローンと大量石油消費抜きには考えられず、20世紀を象徴するものである。住宅ローンは金融資本が産業資本の世界をリードするシステムを意味するが、リーマン・ショックでそのシステムに疑問符が付いた。また石油が枯渇すれば住宅や車はもちろん、社会のあり方が一変することは明らかである。

 今、住宅に限らず20世紀型の社会システム全体が様々な問題を起こしている。また日本については、戦後の復興期に既得権益エリアを作って産業を振興し、都市の人口増に対応した古いシステムが残っており、それらが問題を起こし内部崩壊し始めている。

 養老は、20世紀が置いてきた問題は、『システム問題』だと言う。部分的な最適解は全体の最適解に一致しないという問題だが、20世紀のシステムとは、土地や地域から切り離されその特殊性が無視され、全国あるいは世界のどこでも通用する、土地やモノを一律に扱うグローバリズムの考え方である。それらの考え方は、制約がないが故にユートピア主義・理想主義・絶対主義・観念論に走る。それに対し、養老と隈は「現場主義」「だましだまし」のやり方を主張する。

 日本の問題は、(この本では、20世紀の問題と日本の問題がゴッチャになっているが)、目的が忘れられシステムだけが回る手続き主義に集約される。政治家も官僚も大衆もサラリーマン化しており、リスクを冒して未来を切り開く夢を放棄している。手続き主義の問題は、システムは安定的に回るが、全体がどこに行くのか誰も分からないし、全体のことを考えようとしない。そして閉塞や破綻に対して誰も責任を取らないことである。

 このような土壌から、決して面白い住まい方は生まれない。同じ問題は、住宅だけでなく社会のあらゆる領域に巣食っている。リスク回避を習性とするサラリーマンは、ユートピア主義も現場主義も取れずに現状を維持するだけだ。

 災害復興に新都市建設のようなユートピア幻想は効かないと隈は言う。巨大開発は金がかかり過ぎるから結局は実現できないのだ。全国一律の新幹線の駅のような開発ではなく、それぞれの土地で細かく対応して「だましだまし」やる必要がある。

 二人の結論は、社会システムを変えるには、人を変えて、考え方を変えてもらわないと無理だということ。サラリーマン化して一つの視点に慣れてしまうと、別の解決法を見つけようとしないし、見つけられないからだ。
 人を変える具体策として、女性をもっと活用することと、自給自足の田舎生活と効率的な都市生活を参勤交代することを提案している。女性の方がフレキシブルな生き方が出来ると言うのは分かるが、複数の生活拠点を持てと言うのは、やはりエリートに向けた言葉なのだと思う。

 

2013年5月 9日 (木)

成長戦略としての農業

■日経に宮城大の大泉教授が、成長戦略としての農業に意見を述べていた。説得力のある意見だと思ったので、要点をまとめておきたい。

■要点
 自民党は「攻めの農林水産業」を公約にしているが、目指している方向が曖昧だ。世界で競争力のある農業には3つのタイプがあるが、BRICsのような食料自給率向上を目指す「開発途上国型」でも、米・濠・加のような規模のメリットを追求する「先進国型」でもなく、オランダの園芸やデンマークの畜産などのように特化した付加価値の高い欧州型の「成熟国型」農業を目指すべきだ。

 ところが、日本の農林予算2.1兆円のうち0.8兆円が土地利用型農業、わけても稲作農業に充てられており、稲作偏重農政が日本の農産物輸出を阻害してきた。コメが余れば市場開拓して輸出するのではなく生産調整したからである。

 「成熟国型」農業による輸出増を実現するのに必要なポイントは3つ。①新たな商品開発と世界を含む市場開拓による顧客志向型農業。②投資やイノベーションを他産業のノウハウに学ぶこと。③経営感覚のある人材の登用。

 特に③に関しては、農家だけでは足りないので、農村自営業者の農業参入機会を拡大させる。もともと江戸時代は農村の自営業者が、農業を含む多様な事業に関与することで地域経済が成り立っていた。戦後の農地法でリスクをとらない国家が統制した為に、参入機会のない産業は衰退するの一般論通り、農業は衰退した。

■以上だが、経済成長には、企業によるイノベーションと市場開拓が必要だという原則が、農業でも当てはまることが確認できた。そのためには、国家による規制を緩め、企業活動が容易になる環境を整えるべきである。ただし、ここでも競争に敗れた弱者救済の対策を忘れるべきではないと思う。

2013年5月 2日 (木)

2013年4月の読書メーター

2013年4月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:1447ページ
ナイス数:112ナイス
http://book.akahoshitakuya.com/u/195601/matome?invite_id=195601

■私を知らないで (集英社文庫)
横浜の中学に転校してきたばかりの主人公黒田と後から転校してきた高野が協力して、同じクラスで孤立していたキヨコと呼ばれる女生徒を救うという話。彼女に対してとる、クールな黒田と熱血漢高野の対照的な行動が物語の幅を広げている。彼女の心の闇の深さが徐々に明かされ、難しい大きな問題が現れてくる展開はミステリーのようだ。二人がこの問題をどう解決するかが見もの。中学生がこんなこと考えるかと言いたい部分もあるが、結末は意表を突く。いじめ、貧困、親子、年金等のテーマが織り込まれる。タフなはずの彼女が涙する所はジンと来た。
読了日:4月28日 著者:白河 三兎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/28247418

■まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)
東京郊外の街で多田が営む便利屋に高校の同級生行天が居候を始めた。二人とも離婚者で幸せと縁がない。問題を抱えた依頼者も依頼する仕事も風変わりで面白いが、考え過ぎで慎重な多田に対し、他人のことを考えずにすぐ行動する行天の組み合わせも面白い。行天が多田の生活をかき乱すのだが、行天は読む者には魅力的だ。いつまでも失ったものに執着するよりも、「幸福の再生」を求めて行動しなければそれは得られないことを教えてくれる。「愛情というのは与えるものではなく、愛したいという気持ちを、相手からもらうことをいうのだ。」が印象的。
読了日:4月18日 著者:三浦 しをん
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/27968674

■バイバイ、ブラックバード (双葉文庫)
借金のために「あのバス」でどこかに連れて行かれる羽目になった男が、それまで同時につき合っていた5人の女との関係を清算するために、監視役の大女と共に一人ひとりを訪ねて歩くという物語。男と6人の女のキャラクター設定が面白い。粗暴で傍若無人な大女と個性的な女たちとの掛け合いが漫才のようだ。男と5人の女たちの出会い方も、そして別れ方もそれぞれユニークで、楽しませる。最後は、毅然とバスに乗り込もうとする男と何とか助けようとする大女の心理の意外な逆転に思わずニヤリとする。バスは死を暗示しているがこの小説に暗さはない。
読了日:4月8日 著者:伊坂 幸太郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/27710245

■若者を見殺しにする国 (朝日文庫)
衝撃的な本だった。それはこのような本を書ける知性がフリーターであること、また若者が自殺を考えるほどに困窮しており戦争で死ぬ方がまだましだと考えているという事実に対してである。著者は、「論座」2007年1月号に「『丸山真男』をひっぱたきたい―三十一歳フリーター。希望は、戦争。」という論考を発表し、論壇を揺るがせた。この本には、その文章とそれを批判した著名な知識人たちへの反論が載っている。フルに働いても生活保護受給者より貧しいワーキングプアの問題を、放置し続ける日本社会はやはりおかしいのではと考えさせられた。
読了日:4月6日 著者:赤木 智弘
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/27649991

▼読書メーター
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2013年4月の鑑賞メーター

2013年4月の鑑賞メーター
観たビデオの数:2本
観た鑑賞時間:229分

■1911 [DVD]
清王朝打倒により中国に共和制をもたらした辛亥革命の指導者孫文を描いた映画。1911年の武昌蜂起から南京臨時政府成立、清皇帝の退位、孫文の大総統辞任までを描く。アメリカで資金を調達する孫文と闘争を指揮する黄克強との絆、孫文と皇帝に退位を促す清朝の袁世凱との駆け引きが見どころ。なぜ孫文が最後に袁世凱に権力を譲ったのか、を映画も問うている。それが失敗だったことはその後の歴史が示している。それにしても、権力を倒すためになんと多くの若者の命が犠牲になるものか、改めて勉強にはなったが、映画としての感動は少なかった。
鑑賞日:04月20日 監督:Array,チャン・リー
http://video.akahoshitakuya.com/cmt/2259304

■ミッシングID コレクターズ・エディション [DVD]
米国の高校生である主人公は、偶然自分の子供の頃の写真を失踪児童のウェブサイトで見つけ、両親が本当の両親なのかに疑いを持つ。サイトの管理人に連絡を取った途端、両親が殺され、殺し屋とCIAから追われる身となる。ハラハラする追走劇にどんどん引き込まれる。徐々に「自分が誰だったのか」が明らかになるのだが、次々に意外な方向に展開するストーリーが抜群に面白く純粋に楽しめた。メッセージ性はない。

鑑賞日:04月06日 監督:ジョン・シングルトン
http://video.akahoshitakuya.com/cmt/2225782

▼鑑賞メーター
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お薦め本

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