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2014年3月

2014年3月31日 (月)

父の死

 16日は、1時半ごろ寝て1時間もしないうちに携帯電話で起こされた。当番で実家に行っていた妹から、2時7分に父が亡くなったとの知らせ。病院からだった。女房を起こし、式服などの出発の準備をして2時間ほど横になってから家を出た。

 10時半ごろ、実家に着いた。父はすでに実家に運ばれていた。2時の看護師の巡回で既に息をしていない父を発見したという。死因は、誤嚥性肺炎。老人の多くが亡くなる原因だ。以前から頻繁に出ていた痰が気管支の方に入ってしまったようだ。1か月前に入院した原因の胸椎圧迫骨折の方は、椅子に座れるほどに回復しており、退院も間近と言われていただけに、ほかの原因であっけなくなくなったことに驚いた。でも、若いころに肺結核で片肺を切除した父にとっては、苦しむことなく93年の人生を全うすることが出来たのは大満足ではなかったか。ほとんど悲しみはなかったが、人の涙はうつる。

 家の中は、親せきの女性たちが手伝ってくれて、きれいに片付いていた。午後、葬儀屋さんが来て祭壇を整え、色々今後の予定について説明をした。17日が通夜と納棺、18日は9時に出棺し、火葬場を経て正午から寺で葬儀とお斎。明日中に、火葬許可書と納骨許可書を市からもらってくるように言われたので、すぐに市役所に行った。夕方、年配の男性と若い女性の納棺師が来て、死に化粧と旅立ちの衣装替えを施してくれた。頬がふっくらとし顔に赤みが差し今にも目覚めそうな錯覚に襲われる。

 喪主の挨拶が、通夜で3回、翌日は出棺、火葬場、葬儀、精進落としで4回ある。挨拶の文例が用意されていたので、夜、それを下敷きにして挨拶文を考え紙に書いた。読んでもいいと言われたが、出来るだけ暗記しておくことにした。

 翌日は、ポツリポツリと近所や親せきの人たちが弔問に訪れ対応に追われた。通夜の精進落としの料理が届く。合間合間に、挨拶文を練り直し、暗記する。お寺から住職が来て、喪主としての挨拶をし、通夜の読経が始まる。二間続きの8畳間一杯に24人ほどの人がびっしり入った。お斎が始まれば、そこは親戚同士、後は久し振りの再会で、昔話に花が咲いた。

 この田舎では朝早くに出棺が行われ、火葬場に行ってから寺で葬儀が行われる。近所のや親せきが集まる玄関先で、挨拶をした。霊柩車と葬儀屋さんの用意したマイクロバスで火葬場に向かう。父が長年勤めた会社の前を通ってもらう。真面目なサラリーマンであった。

 火葬場では、2時間ほどかかると言われた火葬が、1時間半で終わった。痩せこけていてほとんど肉がなかったからに違いない。骨を拾い壺に収めて寺に向かう。住職の息子さんから、葬儀の進め方について説明を受け、玄関で弔問客を迎えた。住職が登場して葬儀が始まる。浄土真宗で親鸞と蓮如を祭っている寺だ。自分は無信仰だが、一応形式的に儀式を済ませ、挨拶も無事に終えることが出来た。

 住職にお斎の挨拶をしてもらって、会食を始めた。住職は、縁ということを強調していた。父という共通のつながりで集まった人たちには、たしかに縁がある。しかしどの縁を大切にするかは、また違った共通のつながりが必要でそれは個人個人によって異なる。
その夜、親父と飲むのが好きだった妹の亭主と、初めて何時間も語り合いながら酒を飲んだ。もっとこういう機会を作ってほしいと言われた。

 翌日からは、市役所に行き、必要な手続きを聞いて回り、書類をもらってきた。また、妹や女房に手伝ってもらいながら、電気、ガス、水道、電話、テレビなどの名義変更と口座振替の変更手続きを始めた。大物は、遺族年金の手続きと、凍結された銀行口座からの振り替え手続き。土地建物と車の相続手続きだけは、行政書士に来てもらって手伝ってもらうことにした。面倒なのは、父の出生から死亡までの戸籍を揃えることで、父の生まれは現在地ではないので、遠くの市に郵送依頼をするのが大変だった。

 寺に行き、四十九日法要の日を決め、その日寺ではできないという精進落としの会場を葬儀屋に頼んで決めた。納骨は家族で四十九日までに行えばよいと言われた。参列者から頂いた香典の整理や名簿の整理、香典返しの手配をした。時々、弔問客が家を訪れてくるのでそれに対応した。

 1週間ほどで、相続以外はほぼ終わり、28日の午後、母について行って新しい仏壇を購入し、とりあえずの役目を終え、自宅への帰りの電車に乗った。慌ただしく大変な13日間だった。ひたすら雑務をこなしたが、全く自由時間がなく精神的に疲れた。寝不足が続き、運動不足で体の調子も悪くなり、風邪も引いてしまって辛かった。父の死を悼み、感傷的になる暇もなかった。

 自宅に帰って、2,3日自分の時間を取り戻すことで、少し元気になった。四十九日の案内状を作成した。また水曜日から実家に行って、母の面倒を看る日々が始まる。

いかに人は社会的なしがらみの中で雁字搦めになって生きているのかを痛切に感じた。

 

2014年3月16日 (日)

「終活シンポジウム」を聴いて

 かみさんと「終活シンポジウム」なるものに出席して話を聞いた。明海大学のホスピタリティ・ツーリズム学部と終活カウンセラー協会の共催。

 終活については、2年ほど前にエンディング・ノートなるものが売られているのを見た時に、そろそろ書いておいた方がいいかもと感じたくらいの知識だった。ちなみに、Wikipediaによると、

  ”終活とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるに あたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。主な事柄としては生前のうちに 自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められ るための計画を立てておくことが挙げられる。”

 安井学長の挨拶では、”PPK(ぴんぴんころり)を目指したい””NNK(寝ん寝んころり)は避けたい。”という言葉が印象的だった。

 内苑教授の基調講演では、墓の準備だとか、相続の準備といった現実的な対応だけでなく、死ぬまでの心の充実の問題も重要との問題提起があった。

 講演のあと、浄土宗心光院住職の戸松 義晴氏、戦場カメラマンの渡部 陽一氏、終活カウンセラー協会代表理事の武藤 頼胡氏、内苑教授の4人によるパネルディスカッション「終活は本当に必要か」があった。

 渡部氏が戦場で生活している人たちに質問した「あなたにとって幸せとは?」に対する回答に共通するのは、「やりたいことが自由にできることであり、具体的には、家族と一緒にいること」だという話は重い。終活というものは、何よりも愛する家族が困らないようにするためのものに違いない。新しい刺激を得て変化することが出来る旅を大切にする渡部氏が、生きている間にしておきたいのは、エンディング・トラベル。息子と戦場で知り合った友人を訪ね歩くことだという。自分が大切にしてきたことを子供に伝えることも終活の一つだ。

 戸松氏の、「老人は自分中心でも構わない、そういう人の方が長生きをする。無理をせず良い加減に生きることが大切だ」というのも理解できる。エンディング・ノートというのは和製英語で、英語では「Living Will」というのだそうだ。重点が死よりも生にあるところが文化の違いを表している。戸松氏は「縁(えにし)の手帳」と呼んでいるという。人間は一人では生きられず、死ぬ時も誰かの世話になるからだ。

 武藤氏の話では、「家族の普段の意思疎通が大事」が良かった。医師の話で、一番つらいと感じるのは、延命に対する本人と家族の方向性が食い違う時だという。尊厳死を選択するということを、予め家族に告げておく必要がありそうだ。

 人間はいつ死ぬか分からない。しかしそれ以前に、いつ自立した生活ができなくなるか分からない。そのための準備も必要だ。介護の話はほとんど出なかったが、終活の一番の目的が、家族に迷惑を掛けないことであるならば、自立できなくなった時から死ぬまでの間の介護のことを良く考えておくことが、やはり一番大事ではないかと思う。
        
 目標は、PPKのために健康を維持することが一つ。自立できなくなった時のために、施設に入る費用を蓄えておくことが一つ。これは今、自分が親の介護のために、自分の時間を犠牲にしている経験からも、最も切実に感じていることである。子供がどこまで面倒を見てくれるか分からないが、あまり迷惑を掛けたくないと思う。
 もっとも今の自分にとって、時間は犠牲になっているものの、親の安心した顔を見ることで心の安息は得られているから、何とかなっているのではあるけれど。

2014年3月 2日 (日)

2014年2月の読書メーター

2014年2月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:2563ページ
ナイス数:114ナイス

世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)感想
二人の知の巨人が、日本が抱える問題毎に読むべき本を対談で紹介し合う。テーマは、宗教・民族と国家、家族と国家、戦争・組織、日本とアメリカ、沖縄・差別の構造、日本・日本人、文学・評伝・文芸批評、社畜とブラック企業等。二人の思想は全く異なるが、人権派の佐高は佐藤を「危険な思想家」だが、「反ファッショを目指すことでは一致している」と言い、佐藤は佐高を「利他的な性格の人」だとして、利他性が「悪を克服するための力になる」と評価する。対談は、その共通性と違いを明らかにして興味深いが、膨大な本のリストは良き羅針盤となる。
読了日:2月28日 著者:佐高信,佐藤優

穴感想
夫の転勤に伴い山間部にある夫の実家の隣に住むことになった主婦のひと夏の不思議な体験を淡々と綴った物語。環境変化により彼女に生じた心の不安を描写する。仕事を止めたこと、田舎の不便さ、金を誤魔化す姑、ボケ始めた義祖父、会話の少ない夫、田舎の仕来たりや近所の眼が、不安に拍車をかける。穴と黒い獣とは、心の空虚とその原因の象徴のようだ。引き込む文章の力は凄いが、ドラマ性はなく感動もない。最後のシーンだけはちょっといい。文芸春秋の 「突っ込みが足りない」という、小川洋子と高樹のぶ子の選評がしっくりきた。
読了日:2月27日 著者:小山田浩子

ロスジェネの逆襲ロスジェネの逆襲感想
テレビの「半沢直樹」の続編。東京中央銀行から子会社の証券会社に左遷された半沢が、そこでも大活躍。証券市場での生き残りをかけた企業間の熾烈な戦いの場で、自分たちの取引を横取りした親会社を相手に、「やられたら、倍返し」をする。矛盾や理不尽を批判するだけでなく、誰もが納得する答えを出すために徹底的に調べ上げるところがすごい。既得権益者からは嫌われるが、彼は人事を恐れず、あくまでも顧客を守るために自分の人生を賭けて仕事をするから強い。仕事人の鑑であり憧れでもある。スピード感ある展開が続くので一気に読み終える。 
読了日:2月23日 著者:池井戸潤

砂の王国(下) (講談社文庫)砂の王国(下) (講談社文庫)感想
主人公が立ち上げた新興宗教ビジネスは、軌道に乗り組織は拡大し続けるが、彼は組織から浮き始め、最後は追われる立場になる。会員を増やすための戦略、会員が信仰にはまって行く様、組織が自立し彼が追い詰められていく様子などがリアルに描かれているが、人間の弱さや組織の怖さを的確に捉えていて抜群に面白い。世間に復讐するつもりでやったことが成功したが故に自分を苦しめるという矛盾。どうやら出発点で間違ったようだ。元の木阿弥になってしまうのだが、何故か主人公と共に、読者も解放されたような爽やかな気分を味わうことになる。

読了日:2月19日 著者:荻原浩
修業論 (光文社新書)修業論 (光文社新書)感想
合気道七段の著者が、「修業」というものを知らない現代の若者に向けて書いたもの。修業の目的は、現代風に言えば、想定外の危機的な出来事に遭遇した時に適切な対応ができる力をつけることである。武道では、相手を想定外な状況に追い込んで、技を掛けた方が勝つ。逆に言えば、相手の気を感じて動きを読み、なすべきことを瞬時に判断することで生き延びることが出来る。そのためには、自我を脱ぎ捨て身体感覚を研ぎ澄まして状況を把握し、他者と融合して一つの動きにまとめる力が必要だという。しかし修業者でない者には難解だ。 
読了日:2月14日 著者:内田樹

砂の王国(上) (講談社文庫)砂の王国(上) (講談社文庫)感想
大手証券会社のディーラーだった男が解雇されホームレスになるが、どん底で出会った男たちと組んでなんとか起死回生を図ろうという話。仕事がなければ最後はこうなるという怖いもの見たさ。今に見ていろという意地と、占い師と超美男ホームレスから新事業を思いつく発想力を持って、大穴狙いの一発にかける面白さ。大失敗か大成功か。タイトルからして最後は崩壊しそうだが、上巻で軌道に乗り始めたビジネスでどう王国を築くのか、下巻が楽しみ。
読了日:2月6日 著者:荻原浩

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