学問・資格

2012年8月11日 (土)

近代思想の限界

 長谷川宏「新しいヘーゲル」(講談社現代新書1997)を友人から薦められて読んだ。

 始めは少々苦戦したが、最後の第5,6章「近代とはどういう時代か」「ヘーゲル以後」で、著者の問題意識が分かった。ヘーゲル哲学は西洋近代社会を支える近代哲学の集大成であり、現代哲学はヘーゲル批判から始まっている。近代文明は様々な矛盾を抱えているが、著者が大きな課題として取り上げるのは反近代のナチズムがなぜお膝元のドイツで支持され、なぜ近代哲学はそれを阻止できなかったのかである。まだ明確な答えは見つかっていないようだ。今だ自由で自立した近代的個が確立していないと言われる日本では、より一層深刻な課題であると思った。

■まず以下に要点をまとめる。

●ヘーゲルは難しいか
・日本人の西洋崇拝の念が、西洋哲学を分かりにくく難しいものに仕立てた。
・西洋哲学はキリスト教の支配や権威から解放され、人間世界の出来事を人間の言葉で人 間に向かって働きかけるものだから、難解である必要がない。
・難しく書こうとしたわけでなくても、読む者に難しく感じるのは西洋近代と日本近代との位相の落差。
・相手との対立点を際立たせることに力を込めることが西洋の対話。その流儀を哲学の方法として応用したのが弁証法。

●精神現象学
・絶対知とは、冷静客観的に、現実の総体をとらえ知ること、そういう精神の姿勢を指す。

・近代人として近代社会を生きることは、個人としての存在と社会的存在との間の抜き差しならぬ矛盾をあえて引き受けること。
・知には道徳や宗教のような現実に対する及び腰の姿勢は全くない。
・近代社会にあって、モノを知りモノを考える働きこそが、個の自由と自立を支える根本の力である。
・ヘーゲルは、「知は力なり」と宣言したベーコンの嫡流であり、「理性こそ社会発展の原動力」と考える啓蒙思想の同志である。

●世界の全体像
・西洋には、哲学も宗教も、始めから世界の全体を捉えようとする体系的思考があった。

・へーゲルは、理性は思考のうちにあるだけでなく自然や社会のうちにも宿ると考えた。

・論述が体系的だというだけではなく、世界の全体が体系的なものだと考えた。
・人間が自然を手段として利用するのは、自然そのものが手段として利用されるようなものだから。人間に支配されるべき存在。
・人間の活動やそれによって作り上げられた有形無形の産物を「精神」と呼ぶなら、精神は自然に勝る。
・自由な精神に対し、自然は必然と偶然のつながりだけの、理念が相応しからぬ形をとってあらわれたもの。

●人類の叡智
・芸術、学問、宗教は人間活動の最高位のものである。
・芸術作品は、芸術家個人によって作られるものでありながら、そこに同時に時代の共同精神が込められることによってこそ、真に芸術的な美しさを獲得できる。
・公共性に向かう共同体精神が、公共的な宗教や公共的な芸術を求める。
・精神はその内発的な発展によって、感覚的・直観的なギリシャ芸術から、自己の内面に還るロマン芸術へと展開した。
・精神の発展こそが歴史の実相であり、それを明確に位置づけるのが歴史哲学。
・哲学は、芸術の客観性、宗教の主観性を統一するもの。

●近代とはどういう時代か
・日本は西洋文明の物質面・制度面を吸収したが、西洋近代精神は吸収できなかった。
・西洋近代精神とは、規制の権威や価値観が通用しなくなった時に、自分自らの思考を頼りとして外界と向き合うこと。
・ルターの宗教改革は、権威への服従から脱し、自分の信仰に基づく神との対話を求めた。

・啓蒙主義は、聖書も神も抜きで、内面の主体的な思考を持って自然や精神に対峙する
・欲望や感情を抑制する理性の働きにより、個に共同体精神が宿らなければ、社会は混乱し、近代的な社会とはいえない。教育・教養・自己形成が必要である。
・フランス革命は、人間の内面性と自由の哲学を現実そのもののうちに広く行き渡らせた。

・西洋近代は日本では権威となり、その精神が根付くことはなかった。

●ヘーゲル以後
・具体的なもののつながりが、現実を内容豊かなものにしていく様を示したヘーゲル哲学が、西洋近代の向日的なオプティシズムの典型だとすれば、その向日性から逸脱する苦悩や情熱や悲嘆に眼を据えるキルケゴールの思想が、「現代」の登場に見合うものだと、サルトルはいう。
・現実の資本制社会の中で、人々は不自由と不平等にあえいでおり、ヘーゲルの言う人類の普遍的な解放は実現していないと考えた若きマルクスは、ヘーゲル哲学を、現実との格闘の中で鍛え上げて「現代思想」に組み替えた。
・社会の近代化・技術革新・選択の自由・個性尊重を支える近代思想の柱は、合理主義・人間主義・進歩主義だが、現代思想はその限界を打った。
・フロイトは、理性を逸脱する人間の内奥に住みつく不合理な暗い衝動に光を当てた。
・ハイデガーは、近代の技術や技術的思考を批判
・メルロ・ポンティは、生きた人間の身体は、モノではなく精神との複合体ととらえた。・レヴィ・ストロースは、特別視された近代文明に違和感を感じ、これを相対化。
・ナチズムは、西洋近代精神・人間性を否定。暴力こそ人を動かし、集団行動こそ団結の姿とした。
・アドルノは、なぜナチズムが個の自由と共同体精神に信頼をおく西洋近代のただ中に生じたのかと問う。「アウシュビッツ」は、近代思想を「嘲り笑う」歴史的事実。
・なぜ近代思想がナチズムへの抵抗の思想として有効な力を発揮できなかったのかが問われる。

■近代思想の限界について考える

 地球温暖化や原発事故や津波など、近代文明の行き詰まりを示すようなことが、相次いで起こっている。高さ10mの防潮堤でも津波を抑えることは出来なかった。人間は自然を支配し、制御できるという西洋近代思想の限界をしめす現実である。にも拘らず、もともと自然と共に生きるという思想を持っていた日本人なのに、経済至上主義ゆえに近代化の発想からの転換が出来ない。むしろ西洋では、護岸のコンクリートをはがして美しい自然の河川の姿を取り戻そうとしているのにである。(松本健一「コンクリートと政治」朝日新聞120811)

 ヘーゲルが示した「人間が支配すべき自然」像は、近代文明を根拠づけるものであったが、自然科学の成果を追認するものでもあった。しかし現代の自然科学では、自然世界は「人間が何をどう観測するかというやり方に応じて様々な顔を見せ、それを記述しようとすると確率的にならざるを得ない」不確定な存在であるという。(佐々木閑「犀の角たち」)神秘論に陥る必要はないが、人知を超えた畏怖すべき自然の存在を認めざるを得ない。大地震も完全には予測できない。分かっていないことは無限にあるにも拘らず、分かったような顔をして一部の知識だけで自然を支配できると思ったことが間違いであった。

 ヘーゲルも時代の子であったことは、ルターの宗教改革や啓蒙思想やフランス革命など時代の新しい流れに影響されていることからも分かる。それは批判すべきことではなく、その歴史的現実を知り、何が原動力なのかを考え、どこに向かおうとしているのかを考える姿勢や弁証法の思考方法は今なお有効だと思う。現代では、社会も科学も技術も複雑化しており、ヘーゲルのように一人で全体を把握することは不可能に近いが、著者も言うように、限界は意識しつつも周辺分野との関連について常に配慮しつつ、世界の全体像を構想しその中に位置づけようとする知の基本的な姿勢は大切である。

 しばしば思考が陥るのは、体系化を急ぐあまり、あいまいな部分を切り捨てることである。切り捨てられた部分が、思想にしっぺ返しをする。ヘーゲルそのものを読んでいないので、その哲学体系の壮大さは分からないが、マルクスが批判したように、それは「天界」のものであって、地上のありのままを直視しないがゆえに得られたものだったのではないか。しかも、現実世界は人間の解釈から逃れるかのように目まぐるしく変化していくから、これをフォローし続けるのは容易ではない。

 ヘーゲルは、理性に絶対的な信頼を置いているが、現代では、人間の理性は人間の身体や感情や無意識、個を取り巻く時代や社会から切り離されて、完全に自由で自立した存在とは考えられない。理性的でない事柄を無視すると、反動が起こりしっぺ返しとなる。ナチズムもその一つではないか。にも拘らず、集団ヒステリーであるファシズムに対抗できるのは、今のところ近代的な個でしかないということも重要である。ドイツでなぜナチズムを抑えられなかったのか。やはり近代思想に何か足りないものがあるということだろう。より包括的な現代思想が待たれるが、自分なりに少し勉強してみたい。

 近代的な個とは、あらゆるしがらみから自由になって自分の内面に還って自分で考える事だと言うが、日本人にとっては、いや自分にとってもそう容易ではない。集団の雰囲気に飲まれる傾向があるし、集団の中で異論を唱えるには勇気がいる。そもそも考える素材となる知識が圧倒的に不足しているので、すぐ専門家の意見に頼ろうとする。また読んだ本にすぐ影響されてしまう。それでもこうして一歩一歩、自分なりに考える経験を重ねていくしか自立した個を確立する方法はないのだと思う。

 久しぶりに哲学に触れた。きっかけを作ってくれた友人と長谷川先生に感謝。

2012年1月15日 (日)

教育・研究投資の必要性

2、3日前のテレビで、普通の皮膚細胞から万能細胞を作り出す技術を開発した京大山中伸弥教授のiPS研究の実態が報道されていた。山中教授は日本の研究環境が貧弱なため、実用化の研究ではアメリカに負けそうだというのだ。

 日本政府も重要性を認め、国家プロジェクトとして支援する姿勢は示しているが、予算は91億円とその規模が小さい。一方の米国は寄付等も含め、1900億円だという。アメリカの研究所の様子も報道されていたが、潤沢な予算と研究環境を求め、世界中から研究者が集まっているだけでなく、研究論文用のグラフィックデザイナーさえ雇っている。一方、山中教授の研究所では、200人のうち、京大職員は20人で、教授はその他の研究者の不安定な雇用に頭を痛めているという。もっと真剣な支援が必要なのだが、ここでも財政赤字がネックになっている。

 朝日新聞に、引用度がトップクラスの科学論文の世界シェアを、米日中英仏独の6か国で比べると、日本だけが00年度をピークにシェアを落としているという記事が載っていた。先進各国は国際共著論文を増やす方向を目指しているのに対し、日本だけが国内志向で、海外への留学生も減少しているという。科学でも日本の地盤沈下が進んでいるようだ。
 同じ新聞に、01年に337あった日本の官民のシンクタンクの数が11年には201に減少したという記事もあった。研究成果も、同様に半減しているという。原因は、国の財政が悪化し、また企業収益も低迷しているため、研究に投じる予算が無くなるあるいは減少しているからだ。民間では委託費が競争入札になっていることも苦しい原因だという。

 先進国の中で、日本は教育予算の比率が圧倒的に少なく、特に高等教育への予算が少ない。資源がなく、知識産業や技術で生きるしかない国なのに、こんなことでよいのか。ここにも公共投資すべきものが見つかった。
 日本の国家予算は一体どういうビジョンの元に、どういう配分で組み立てられているのか、要チェックだ。

2011年8月31日 (水)

こころと遺伝子(3)

人間はやる気になって努力すれば、想像以上の力を発揮することは理解できる。そして、強い思いや感情が、シグナルとなって化学的な作用を引き起こし、からだに何らかの変化を与えることは、容易に想像できる。

しかし、それが本当に細胞にどのように影響し、さらに遺伝子のスイッチをオンするのかは、この本では明らかにされていない。並外れた努力によって、通常では不可能なことでも成し遂げることが出来るという事例が語られ、状況証拠にしているだけである。

話に飛躍があるが、語られている内容自体は興味深い。以下要約。

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■人間の可能性

人は全て、例外なく奇跡的にこの世に生命を受け、その上で無限の可能性を秘めた貴重な「生き物」である。人間には140億個の神経細胞があるが、普通の人は半分くらいしか使っていない。また使われていない遺伝子のスイッチをオンにすることで、人の能力は何倍にもなる。能力がないのではなく、スイッチが入っていないだけである。人は人に認められてスイッチがオンになる。

富士山やエベレストを滑降した冒険家の三浦雄一郎は、65歳でエベレスト登頂を計画、70歳、75歳で2回成功させた。人間は20歳を過ぎると、鍛錬しなければ、1年に1%ずつ、あらゆる能力が落ちると言われている。特に酸素摂取能力は70歳を過ぎると半分になるから、標高8千メートルでの70歳の肉体年齢は140歳にもなる。自らの意志の力で、既存の人間の限界、あるいは医学の限界を克服して、自分の夢をかなえてきた。

政治家だった祖父の物怖じしない遺伝子を引き継いでいたと思われるが、そのスイッチを入れたのは、彼にスキーを教えた父親だった。青森県連野スキー選手だったときに、ルールの不公平さを抗議して、アマチュアスキー界を追放されてから、波乱に満ちた人生が始まったが、彼は常に人類未踏の記録に挑戦し続けてきた。また彼の挑戦を理解し資金を提供してくれた赤井電機社長のような支援者が必要だったし、彼にはスポンサーを惹きつけるだけの熱意と人間力があった。

彼は、常に先ず思い、宣言する。そして目標をたて、そこに到達するためにすべきことを考え、無理のない方法で、一歩一歩そこに向かって「強い思い」で努力していく。この一連の「思い」と行動が、彼の遺伝子のスイッチをオンにして、細胞を生き生きとさせていく。

■教育の重要性

社会は、興味のある世界に強い思いを持ち、それをつらぬいた人々によって、新しい創造の目が形作られ、開かれてきた。人は強い思いさえあれば、どんなことでも成し遂げる可能性を持っている。従ってその芽を摘むようなことは、決してしてはならない。

人を知識の詰め込みで評価する現在の教育を見直す必要がある。社会が必要とするのは、知識の量ではなく知恵である。教育(エデュケーション)とは教え込むことではなく、その能力を引き出してやること。やさしいことを反復練習することで自信をもたせる。努力にかけた時間に対して、満足感と充実感を与える。これを実践しているのが公文式教育法。

村上が影響を受けた京大の総長も勤めた医学者、平澤興の言葉。
「結局、140億の脳細胞を活動させる。これを一口で言えば努力以外にないのであります。その子供ができなければできないままで、やる気に火をつけることができるかどうかということだと思います。だからビリで学校を出ても伸びる人は伸びるのです。」
「何よりも大切なことは、人を生かすことである。そしてその人に喜びと、勇気と、希望を与えることである」

「器用な人は大家になれぬ」、できない人は練習に練習を重ねることで熟練することを覚えるからだ。
努力できる人は謙虚な人です。人間の無限の可能性を生かすのに、一番大事なものは人柄。幼児の頃に、真面目、正直、我慢と言った強さを教え、人柄の基本的なベースをキチンとつくることが必要だ。。

■目指すべき人間性

第一の生命である自立的生命や本能的に動く動物的生命の上にある精神的生命こそ、狭い意味では、人間的生命である。この精神的生命は、魂を伴い、老いを知らず、ずっと成長を続ける。精神的自己は、教育を受け、多くの人に出会い、変化していく。

自己が自己たるゆえんは、いくらかでも社会から受けている恩に、報いていく気持を持ち続けること。それは熱い心がなければ発生しない。誰かのため、人のために一所懸命になろうとしたとき、人は心が揺り動かされる。それが情熱となり祈りとなり、自己の発見となる。

どんな道や方法を取ったとしても、どうしても必要なものがある。それは、決して自ら満足できるところに到達することを捨てないこと。それは自己を見失わないことにも繋がる。社会に恩を返すためには、自らの満足、達成感を得るために私たちは努力するのであり、人にどう思われるかを目標にするのではない。

自分、人、自然、宇宙の摂理を、そして、自分が大切にしているものを敬うことこそ全ての始まりである。自分が由って発つところは、第一に大地、そして国家。
海外から日本に帰ってきたときの安堵感を思い起こせ。

日本の2千年の歴史は深くて大きい。独特の魂の歴史がある。日本の素晴らしさ、自然を深く感じる心、全ての命を慈しむ信仰心、伝統的な感性の奥深さ。体に良いバランスの日本食など。日本人の凄い力を信じよう。

真の魂は人から人に、伝達していく。人はたとえ平凡であれ、人間として生きることを意識すること、私たちの住みよい環境を作る、いい国つくりにコミットする視点を常に忘れないことが、とても大事なことである。
そして自分を育ててくれた環境や教えはどんなことがあっても大事にして欲しい。それを認めてこその自分であることを、再認識して欲しい。

物質そのもの、個の追求を重大に考えすぎた近代科学の枠組みを見直す考え方が台頭してきている。個は常に全体の動きの中で作用をし、個と個の組合せは、それぞれ個の性質とは違うものが出現する。従って全体から物を見ることが必要だ。

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2011年8月30日 (火)

こころと遺伝子(2)

最新の遺伝子学理論である「エピジェネティクス」の「エピ」とは「越える」と言う意味であり、「ジェネティクス」は遺伝子学だから、「超遺伝子学」と言うような意味である。何が超なのか。それは「環境が遺伝子に優先して生体をコントロールする」と考えるところにある。

環境因子の中に精神的要因が含まれているところが重要だが、たとえば「強い思い」がなぜ生体をコントロールできるのかと言うことについては十分に説明されていない。しかし、体に影響を与えるだろうことは理解はできる。要約を続ける。

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■遺伝子の働きを左右する環境因子

人間の遺伝子情報は、それ自体が生体をコントロールしているのではなく、遺伝子の基本的設計図はそのままで書き換えられず、必要な遺伝子情報のスイッチがオンになったり、オフになったりすることで、生体がコントロールされている。遺伝子は単なる生物の設計図にすぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子の振る舞いを変えるというのである。
そして、「細胞の一つの状態を決めるのが遺伝子ではないように、私たちの人生も遺伝子が決めるのではない。」と言い切る。

ダーウィンの自然選択説に意義を唱えた木村資生(もとお)の「分子進化の中立説」は、分子レベルで起こる突然変異はその大部分が、生存にとって有利でも不利でもない中立的な変異であり、それが集団の中に広がるのは全くの偶然によって決まるとした。実際ヒトのDNAの95%以上が、たんぱく質の生成に利用されない「がらくた」DNA。但しこれが、環境の変化によって、生存に有利になったり不利になったりする。

ヒトとチンパンジーのゲノムは3.9%しか違わない。共通の先祖から分かれた600万年前以降にヒトにおいて急激な変化を受けたDNA配列の中にヒトをヒトたらしめる要因があるはずだと考えられ探求された。その結果、人間に特徴的な新皮質の形成に関与する配列が発見されたが、それは「がらくた」DNAの中からであった。また言語能力に関連する遺伝子FOXP2もその中にあった。

形態の進化は、遺伝子そのものの変異よりも、オンオフの遺伝子スイッチの変化が最大の推進力となっている。ヒトとネズミの遺伝子の数はどちらも2万2千個で変わりなく、99%の遺伝子が同じものであるが、その組合せが違う。つまり遺伝子を使う順序やパターンを変えれば新しい種が作れると言うことである。

細胞には、外からの信号を受け取るレセプターと言うアンテナがある。これまではこのアンテナが受け取る信号は、ビタミン、ホルモン、たんぱく質などの分子や、化学的な薬品などとおもわれていた。(化学物質シグナル)
しかし、量子物理学の成果が細胞生物学に加わったことで、遺伝子のスイッチを入れるものは、生体を取り巻く、大自然の空気、磁気、波動、音楽や言葉、そして思い、思考など、「環境」が大きく影響していることが、証明され始めた。(エナジーシグナル、環境シグナル)。しかも、エナジーシグナルは、体の中で、化学物質シグナルの100万倍のスピードで効果を発揮する。

環境因子を整理すると、1.物理的要因(熱、圧力、聴力、訓練、磁気、光、周波数など)、2.食物と化学的要因(アルコール、喫煙、環境ホルモンなど)、3.精神的要因(ショック、興奮、感動、愛情、喜び、希望、不安、怒り、恨み、信条、祈り、笑いなど)

また、リプトンは、オンオフのスイッチに関係しているのは、限られた一転のレセプターだけでなく、細胞膜全体であることを発見。細胞膜が、細胞の脳機能を果たしている、つまり細胞は独自の生き物であると言う新説を発表。これまで医学的に効果が認められていなかった鍼灸や気功、音楽療法などが、皆、広い意味で影響していると証明されつつある。

今、私たちは「こころと遺伝子は相互作用する」と言うことができる。これは思い、すなわち、信念が人生を、コントロールするといっても良い。私たちは、意識して、良い遺伝子のスイッチをオンにすることで、新しい人間性を生み出すことが出来るのである。

では、どのような人間性を目指すべきなのか、どのようにして遺伝子のスイッチをオンにすることが出来るのか。(続く)

2011年8月28日 (日)

こころと遺伝子

村上和雄「こころと遺伝子」(実業之日本社2010)を読む。

遺伝子というと、何か運命的に決定された抗えないもので、人間の心でさえ遺伝子によって作られた脳の働きだということを知ると、人間は遺伝子に支配されているという悲観論に陥ってしまう。しかし、この本では、人間の心は遺伝子をも支配できるという対極の主張をしている。

人間の能力は無限の可能性を秘めており、要するにやる気と努力と我慢によって引き出せるかどうかだと一般に良く言われるが、それを科学的に解き明かしているのである。それと同時に、人間の体が如何に素晴らしいものか、人間一人ひとりが生きることが如何に尊いのかについて述べている。以下、その要約。

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■人間のからだの素晴らしさ

1953年に遺伝子の本体であるDNAの二重らせん構造がワトソンとクリックによって発見され、地球上の全生物の形や性質の情報は、たった4種類の分子(塩基)の配列で出来たDNAの暗号という全生物に共通の言語で細胞に書き込まれていることが分かった。これは「全ての生命体は、遡れば一つの原始体から発生している」と言うダーウィンの説を証明した。

遺伝子はたんぱく質の設計図であり、アミノ酸の繋がり方が書き込まれている。生命は、放置すると死もしくは無秩序に向かうが、遺伝子の働きで生もしくは秩序の方向に向かう。一つの細胞の中にあるDNA(遺伝子)は、二重に絡み合った、幅1ミリの50万分の1という超微小なテープから出来ており伸ばすと約1.8メートルである。一人の人間の体は60兆の細胞の命の集合体であるから、一人当たり延べ1千億キロメートル、地球と太陽を300回往復する距離である。ついでに毛細血管まで含めて成人の血管をつなげてみると10万キロ、地球を二回半ぐらい回れる。まさに人体は小宇宙である。

60兆個の細胞のうち約2%(1兆個)毎日が入れ替わっており、約1年で私たちの体は、ほぼ全く新しい細胞を持った生き物に変わることになる。しかし新しい細胞は人間あるいは個人の体として維持され、顔かたち、性格が見た目に全く変わらないのは細胞がもつ複製機能によるものである。

地球上生命は38億年前に生まれそして進化してきたが、人間の胎児は10ヶ月の間に、原始生命から動物や人類の進化を凄いスピードで繰り返し、新しい命のなかに全ての遺伝子情報がコピーされて、一人のヒトとしてこの世に出現してくる。

独立して生命を営む細胞一つ一つの中に、40万年に渡り受け継がれてきた人類の32億個の化学の文字からなる遺伝情報(百科事典3200冊分)が入っているが、人間は生きている間に、その情報の5から10%ぐらいしか使っていない。またゲノム(全遺伝子情報)のレベルでは、個人差(天才と凡人の差)は、0.5%でしかない。

人間一人ひとりは、生きていることだけで偉大な奇跡と言える。
一人で生きているのではなく、命の働きによって生かされていると考えるべきで、この精密巧緻な体の働きに感謝し謙虚になることが必要である。

人のDNAに書き込まれている文字の配列を読み取る「ヒトゲノム計画」が21世紀初めに完了したが、そのあたりから遺伝学の革命と言われている「エピジェネティクス」という新しい理論がブルース・リプトンによって打ち立てられた。(続く)

お薦め本

  • 鈴木亘: 「財政危機と社会保障」
  • 波頭亮: 「成熟日本への進路」
  • 中野剛志: TPP亡国論
  • 増田悦佐: 日本と世界を揺り動かす物凄いこと
  • 古賀茂明: 日本中枢の崩壊

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