心と体

2014年3月16日 (日)

「終活シンポジウム」を聴いて

 かみさんと「終活シンポジウム」なるものに出席して話を聞いた。明海大学のホスピタリティ・ツーリズム学部と終活カウンセラー協会の共催。

 終活については、2年ほど前にエンディング・ノートなるものが売られているのを見た時に、そろそろ書いておいた方がいいかもと感じたくらいの知識だった。ちなみに、Wikipediaによると、

  ”終活とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるに あたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。主な事柄としては生前のうちに 自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められ るための計画を立てておくことが挙げられる。”

 安井学長の挨拶では、”PPK(ぴんぴんころり)を目指したい””NNK(寝ん寝んころり)は避けたい。”という言葉が印象的だった。

 内苑教授の基調講演では、墓の準備だとか、相続の準備といった現実的な対応だけでなく、死ぬまでの心の充実の問題も重要との問題提起があった。

 講演のあと、浄土宗心光院住職の戸松 義晴氏、戦場カメラマンの渡部 陽一氏、終活カウンセラー協会代表理事の武藤 頼胡氏、内苑教授の4人によるパネルディスカッション「終活は本当に必要か」があった。

 渡部氏が戦場で生活している人たちに質問した「あなたにとって幸せとは?」に対する回答に共通するのは、「やりたいことが自由にできることであり、具体的には、家族と一緒にいること」だという話は重い。終活というものは、何よりも愛する家族が困らないようにするためのものに違いない。新しい刺激を得て変化することが出来る旅を大切にする渡部氏が、生きている間にしておきたいのは、エンディング・トラベル。息子と戦場で知り合った友人を訪ね歩くことだという。自分が大切にしてきたことを子供に伝えることも終活の一つだ。

 戸松氏の、「老人は自分中心でも構わない、そういう人の方が長生きをする。無理をせず良い加減に生きることが大切だ」というのも理解できる。エンディング・ノートというのは和製英語で、英語では「Living Will」というのだそうだ。重点が死よりも生にあるところが文化の違いを表している。戸松氏は「縁(えにし)の手帳」と呼んでいるという。人間は一人では生きられず、死ぬ時も誰かの世話になるからだ。

 武藤氏の話では、「家族の普段の意思疎通が大事」が良かった。医師の話で、一番つらいと感じるのは、延命に対する本人と家族の方向性が食い違う時だという。尊厳死を選択するということを、予め家族に告げておく必要がありそうだ。

 人間はいつ死ぬか分からない。しかしそれ以前に、いつ自立した生活ができなくなるか分からない。そのための準備も必要だ。介護の話はほとんど出なかったが、終活の一番の目的が、家族に迷惑を掛けないことであるならば、自立できなくなった時から死ぬまでの間の介護のことを良く考えておくことが、やはり一番大事ではないかと思う。
        
 目標は、PPKのために健康を維持することが一つ。自立できなくなった時のために、施設に入る費用を蓄えておくことが一つ。これは今、自分が親の介護のために、自分の時間を犠牲にしている経験からも、最も切実に感じていることである。子供がどこまで面倒を見てくれるか分からないが、あまり迷惑を掛けたくないと思う。
 もっとも今の自分にとって、時間は犠牲になっているものの、親の安心した顔を見ることで心の安息は得られているから、何とかなっているのではあるけれど。

2014年2月16日 (日)

内田樹「修業論」を読んだ

  合気道七段の著者が、「修業」というものを知らない現代の若者に向けて書いたもの。
  修業の目的は、現代風に言えば、想定外の危機的な出来事に遭遇した時に適切な対応ができる力をつけることであるという。

  武道では、相手を想定外な状況に追い込んで、技を掛けた方が勝つ。逆に言えば、相手の気を感じて動きを読み、なすべきことを瞬時に判断することで生き延びることが出来る。

そのためには、自我を脱ぎ捨て身体感覚を研ぎ澄まして状況を把握し、他者と融合して一つの動きにまとめる力が必要だという。しかし修業者でない者には難解だ。

  計測可能な身体能力の訓練とは異なり、修業は人間の心身の潜在能力を開花させるものであり、努力した後でなければ体得した能力が何か分からない非合理なものである。

 修業により身体感覚が敏感になると、気や機・キマイラ的身体といった非現実的なものが、リアルに体感できるようになるという。それを言葉で説明しているのだから、修業者でない者には難解なのは当然だ。

 それでも魅力を感じるのであれば、修業に励むしかない。問題は、目的が曖昧なルーティンをどうやって高いモティベーションで継続するかだ。魅力的な師への憧れ?仮の代替目的?たとえば健康のためという目的。

 自分は、武術の修業というほど厳しいことはしていないが、健康のために太極拳を習っている。でも大先生によると、元来、健康太極拳とか武術太極拳というようなジャンル分けは存在しないらしい。

 なぜなら、太極拳の目指すところは、自分の力を用いないで、楽な姿勢で、相手の力を利用するという、他の武術と違った武術性の確立にあるからだという。合気道とは異なるが、気や機、相手の動きの読み、瞑想など共通している部分も多い。

 健康のための太極拳であっても、練習する上での間違った方法で続けると健康を害することもあるという。正しい方法の基準は、武術性=「攻防」の技術にあるから、それを知らなければならないようだ。目標は高くなるが、武術性の勉強は面白そうだ。

 日ごろの稽古を修業の場と捉え、理論を勉強して実技で確かめつつ、何か非現実的なものをリアルに体感できるまでになりたい。

2013年6月17日 (月)

太極拳の演舞を観て

   田邊久恵師範の楊名時24式太極拳と伝統楊式太極拳の演舞を観る機会を得た。彼女は健康太極拳である24式太極拳の師範になった後、目標を失った喪失感に耐え切れず、競技のある武術の楊式太極拳に進んだのだという。楊式太極拳では2008年にワールド・チャンピョンに輝いている一流の方だが、今なお修行中だと言い謙虚だ。

   流れるように滑らかで美しくそれでいて力強い舞に圧倒された。演舞した後、二つの太極拳の共通点と違いについての説明があった。共通する型はあるが順番も詳細も違う。楊式は武術だから攻守が直接的で、思ったほどでないがやや動きが早い。24式は健康重視で呼吸をする動作が増えている。重心の低いゆったりとした美しい動きは同じように見えた。健康太極拳をしている自分としても、あの美しい動きを何とか見習いたいと思った。

   「呼吸と気の関係について」、「順腹式呼吸と逆腹式呼吸の使い分け」、「多種類のスワイショーの型の違い」などの難しい質問に対しても、淀みなく明確に答えておられた。

  演舞にしても、理論にしても本当に素晴らしかった。久し振りに憧れの気持ちを抱き、「ああなりたい」という目標を持つことが出来た記念すべき日となった。

2012年8月29日 (水)

「困った老人」はどっち?

 和田秀樹さんによれば、年をとると前頭葉の機能が衰え、意欲の低下、感情抑制機能の低下、判断力の低下、性格の先鋭化の4つの老化現象が起こるという。

 「自分の思い通りに行かずにムカッと来た不満がそのまま態度に現れるだとか、自分の非を注意されたことに腹を立ててキレるだとか、対人関係において柔軟なコミュニケーションが出来ないだとか、困った老人にありがちな癇癪や強情や偏屈やひがみっぽさのようなもの、これらはすべて前頭葉機能の老化が関わっていると考えられる。」

 「意地悪な性格の人はますますその部分が先鋭化し、四六時中誰かの悪口を言っているような『意地悪ばあさん』と化してしまうし、他人に対して攻撃的な傾向のある人はますます攻撃性を増し、年をとって丸くなるどころか逆に周囲との諍いが増えたりする。たとえば嫁姑関係にしても、年をとれば姑の意地悪な性格も少しは収まってくれるだろうと思っていたら、むしろ態度がエスカレートしたり扱いづらさが増すばかり――。そういう悩みは決して少なくない。」

 かなりな部分が当てはまる。田舎にいる80代後半の母親のことだ。嫁姑関係は結婚以来、ずっと良くない。自分の価値観で細かいことにグチグチと文句ばかり言っているからだ。母はもともと自己中でわがままな性格だから、苛めているという自覚がない。カミさんも最初は我慢していたが、年とともに愚痴が多くなった。年に数回の里帰りにはつき合ってくれ、表面上は母に合わせてくれているものの、自宅に帰ってからの機嫌はいつも最悪だ。

 ここ数年、母は足腰の病気で入退院を繰り返していて、車いすか杖を突いてしか歩けない。父がしっかりしていて元気だったので、食事や洗濯などあまり家事の心配はしていなかったが、90を超えて、さすがに衰えが目立ってきた。昨年から特に足が弱った。週二日それぞれ1時間程度はヘルパーさんが来ているが、1時間はあまりにも短い。父にとっては、ごみ出しや時々の買い物が大変のようだ。東京に住んでいる妹が月に2,3回行って面倒をみている。自分は、まだ働いていることもあり、月1,2度の電話が精一杯で、行くのは年3,4回。従って母は、自分に対しても、カミさんに対しても「優しくない」と不満を漏らしている。

 母は、常に痛みと闘っているせいか、頭はしっかりしている。こうでなければダメと凝り固まっているから、いつも不満で愚痴る。しかも自分は病気だから、周りの人間は助けるのが義務だと思っているから、病院でも家でも、父や妹、そしてカミさんに対して、色々やって貰っているにも拘らず、感謝の言葉の前にいつも文句が出てしまう。身内に対してだけでなく、看護師にも文句を言うし、陰で親戚の悪口を言うようになった。その悪い癖を直さないと、誰だって世話をするのが嫌になる。父も妹も可哀そうだし、結局は本人も損をする。

 今までは、自分は実家に行っても何もしないから文句を言われたことはない。しかし、父が動けなくなれば、自分も実家にもっと行って、二人を介護する事になるだろう。今後のことを考えると、いつか母にハッキリ言う必要があると思っていた。父も妹も蔭では母の悪口を言っていながら、母にはほとんど何も言って来なかった。それが当たり前のように、増長させてしまった自分も含めた周りの人間が悪い。

 お盆前にカミさんと実家に行ったばかりなのに、先週、母から今後のことで話したいことがあるので来てくれと、電話があった。1か月ほど前の電話で、「お前は冷たい。」「Kさん(カミさん)は、何か怒っているのか?私が悪いことを言ったのなら謝るから、本当のことを言ってくれ。」と言われたが、今まで通り、はぐらかしていた。丁度良い機会だからと覚悟して、土日で行ってきた。

 予想通りの修羅場になった。冷静に、「人に優しくしてもらいたかったら、まず自分が優しくしなければ」と言ったのだが、母はそんな自覚はないから、「私は優しくしてきた、何も文句なんか言っていない。」を繰り返すだけ。「なんでそんな酷いことを言うのか。お前はそんなに冷たい人間だったのか。皆で私をバカにして責めるのか。どうせ私だけが悪いんだ。死ねばいいんだ。」と泣きながら唇を震わせ、睨みつけ食って掛かる。こちらも、つい感情が昂ぶって、きつい言い方をしてしまった。母もこちらの言うことを悪い方に悪い方に採るから、話し合いにならない。「どうせ、私は産みの親ではないからね」と触れてはいけないことまで言う。「そんなことを言っているんじゃない。性格のことを言っているんだ。」「育ててもらったことは感謝しているし、面倒は見ると言っている。」と言っても最早聞く耳を持たない。

 母が言うように、本当は父も自分も激しい性格だが、我慢強いから普段はそんな顔を見せない。しかしストレスが溜まると、ある時突然キレて、激しく爆発する。「父親にそっくりだ」と母はのたもうた。「この家に嫁ぐことは皆に反対された。」と言うところまで言わせてしまった。母は、感情を抑制できなくなっているし、性格が先鋭化している。しかし実は自分も同じことをしているのではないか、同じように老化現象が始まったのではないかと、ふと思う。

 母は先に、部屋に籠ってしまったが、相当堪えたようだ。翌日は、平静を装っていたが、青ざめた顔で一睡もできなかったと、妹には話したらしい。父は、たまにお灸を据えるのも必要だから良かったよ、などと言うのだが、今さら本当に言う必要があったのかと悩む。言うべきことを言ったという達成感よりも、どうせ性格なんて今から変わりようがないのに、この先の人生がそんなに長くないのに、そこまで酷いショックを与え悲しませて、親に感謝しているなんて言えた義理か、とも思う。人の心に傷を残すことは、どんな理由であれ後味が悪い。

 親にもっと我慢してくれと言いつつも、逆に自分も老人になったのだからもっと我慢しない方がいいんだとも思う。言いたいことを明るく言い合えるざっくばらんな家庭を夢見るのだが、今からでも多少は可能だろうか。これからも、何事も無かったように、今までの曖昧な関係が続く可能性は高いが、小さな変化が生じることを祈る。

そしてまた、自分の子供たちやその家族に対して、自分自身が「困った老人」にならないようにしたいと思う。

2012年8月24日 (金)

知人の告別式

 会社の元同僚が亡くなった。1歳年下だからまだまだこれからだ。心筋梗塞だったそうだが、そういえば彼はかなり太っていて、いつも汗をかいていた。
定年間近なのに会社を辞め、家業を継いで商売をしていた。以前は時々会社にも寄って顔を見せていたが、そういえば最近は会っていなかった。いつも彼の方から声を掛けてくる気さくな人だった。それほど親密というわけではなかったが、何故か気になって出掛けた。

 参列者は20数人と少なかった。お通夜には、会社の人間も多少来たようだが、告別式はほとんど身内だけで、会社からはわずか3人だけだった。会社を離れると、お付き合いする範囲が小さくなるから、参列する人数がグッと減るのだろうか。おそらく自分の場合もそうなるだろう。何か淋しい気もするが、死んでしまえば関係ない。誰それが来て、悲しんでくれたということで、喜んで死ねるというわけではない。だから葬式なんて本当の身内だけでするのがいいのではと思う。最後まで周りの人間に手を煩わす必要はない。

 祭壇には、両手でVサインをして笑っている彼の遺影。彼らしいと言えば彼らしい。自分の場合、遺影はどうするのだろうかと、つい思った。最近はまともに写真を撮っていない。余りみっともないのは家族が可哀そうだ。写真を撮っておこうか。そういえば、自分が死んだ後は、誰と誰に伝えればよいか、家族に話しておく必要もありそうだ。して欲しいこともある。最近、流行っているというエンディング・ノートを買っておこう、などと考える。

 棺の中の彼は、スーツとネクタイだった。奥さんの考えで旅立ちはいつものようにとのことだったが、彼は現役だったからか。まだ働けと言われて、青ざめているような気もした。うちのカミさんは、どうするだろう。挨拶も上手く言えるだろうかと心配もした。

 今まではお客さんや同僚の身内の方の葬式に出ることが多かったが、今回は本人だ。これからは徐々にお付き合いした本人とのお別れが増えてくる。何か自分の葬式を観るような気分だった。

2012年6月26日 (火)

発作的なめまいでダウン

 昨日11時半ごろ、会社で突然めまいに襲われ、気持ち悪くなってトイレに駆け込んだ。じっとしていると何とか耐えられるのだが、少し動くと周囲がぐるぐる回って吐きそうになる。30分ほどそのままいたが、横になりたくて、空いている打合せ室に移動した。少し良くなったら、家に帰ろうとテーブルに俯せになっていたが、30分ほどたっても一向に収まらない。

 横になった方が良いかと、並んだ椅子の上に仰向けに寝ると、余計に気持ち悪くなった。その時丁度会社の同僚が気づいて、声を掛けてくれた。様子を見て、慌てて持ってきてくれた洗面器に嘔吐した。病院に行った方が良いと救急車を呼んでくれた。吐いたせいか、少し落ち着き、集まってきた皆に10年ほど前にも一度だけ、同じようなことを経験したと話したり、家に電話をしたりした。救急車に乗り込む際に、動いたためにまた嘔吐を繰り返した。胃液とは、こんなに量があるのだと驚くほど吐いた。

 近くの病院で、医師から眼振検査や手足の感覚テストなどを受けたが、異常はなかった。耳鳴りも頭痛も手足のしびれもなかった。検査室が混んでいて、耳の検査は受けられなかったが、CTと血液検査では異常なしだった。血圧だけが177、96と高かった。胸を高くし首を低くし、首を左右に動かし3分ほどずつ固定した状態で、様子を見た。右側にすると、再び嘔吐したが、左側では落ち着いた。

 吐き気止めの点滴を受け、1時間半ほど安静にしていた。点滴の後、血圧も146、91と少し高めながらも下がり、めまいも吐き気も止まった。大丈夫そうなので帰って様子を見てくださいと言われた。一応めまいの薬を出してもらったが、効くかどうかわからないと言われた。兎に角大したことなくて良かったと思い、病名を聞くのを忘れた。

 歩いて病室を出たが、眠った後のようにぼんやりはしていたものの、吐き気もなかった。付添いで来てくれた同僚も呆気に取られる程の回復ぶりだった。大騒ぎになったのが申し訳ないような気持になった。のどが渇き、お腹がすいていたので、病院の食堂に寄りパンを紅茶で流し込んでから、駆け付けたカミさんとタクシーで帰った。

 途中心配されたぶり返しもなかった。夕食までの間眠り、軽い夕食の後も、すぐに寝て途中目は覚めたものの朝まで眠り続けた。最近、風邪気味だったのと、明け方目が覚めるとそのまま眠れず、睡眠不足が続いたせいもあるのか、よく寝た。二日分寝たような気分だ。今朝、心配しながら目を開けたがめまいはなかった。寝過ぎたせいか、頭がぼんやりしており、再発の心配もあったので今日は、会社を休んで一日ごろごろしていた。何事もなかったので、明日は会社に行けそうだ。

 偶然なことに昨日の朝日新聞の夕刊に、めまいの特集記事が出ていたが、これによるとどうも「良性発作性頭位めまい症」らしいことが分かった。女子サッカーの沢選手のかかった病気だという。数秒、数分で自然に治ることもあると書いてあった。耳鳴りや頭痛や手足のしびれがなければ、メニエール病でも前庭神経症でも脳の病気でもないので一応安心のようだ。

 記事によると、めまいは内耳の耳石器の中にある耳石という炭酸カルシュームの粒が三半規管に剥がれ落ち、神経を刺激して起きるのだという。寝返りや立ち上がる瞬間に頭を特定の位置に動かしたときに起こる。そして今回医師が色々頭を動かして確認したように、剥がれ落ちた耳石を元の位置に戻すと、劇的に改善するのだという。

 ネットで調べると、頭の位置を低くして色々動かすのはエプリー法という治療法のようだ。安静にするより、めまいがする方に動かしてリハビリする方が早く直るとあったが、これはちょっと不安で難しい。しばらく様子を見るしかなさそうだ。

 10年前の時は、めまいが止まるまでに数日かかったような気がするが、血圧が下がらなかったので10日間入院した。どこも異常なしで原因不明ということだった。その頃は「良性発作性頭位めまい症」は見つかっていなかったのだろうか。

 今回も、「良性発作性頭位めまい症」と確定したわけではないし、頭に衝撃があったわけでもないので原因不明であることに変わりはない。ネットによれば、「高齢者や女性のほうが罹患しやすい疾患であり、加齢による退行変性やホルモンの影響なども関与しているらしい」と書かれているので、やはり齢のせいか。

2012年4月19日 (木)

自然死を目指す

中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」幻冬舎新書2012を読んだ。

副題に「『自然死』のすすめ」とあるように、医療を出来るだけ避けて穏やかな自然死を迎えようという内容であり非常に共感した。また医者なのに医療を否定する勇気ある発言に感銘を受けた。すぐ医者だ薬だと騒いで来た身には少々辛いかもしれないが、出来る限りこの生き方を実践したいと思った。

「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだった。それを医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させたと主張する。

がんでさえも、何の手出しもしなければ全く傷まず、穏やかに死んでいく。繁殖を終えた年寄りには、「がん死」が一番のお勧めとのこと。ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するためには、「がん検診」や「人間ドック」などは受けてはならない、と言う。

そして年寄りの最後の大事な役割は、出来るだけ自然に「死んでみせる」こと。「逝き方」は「生き方」であり、今日の生き方が問われるのだ。以下、要約。

■病を治すのは薬ではなく自然治癒力

・病気やケガを治すのは、医者でも薬でもなく身体が持っている自然治癒力である。
・熱・鼻水・咳・痛みなどの症状は早く治そうとする身体の反応、警戒サインである。
・少々の病気やケガは、医者にかからなくても薬を飲まずに放っておいても治る。
・傷口の汁には傷を治す成分が含まれている。消毒せず湿ったままにしておくのが正解。

・薬は、症状を抑えるが、同時に自然治癒力も抑えるので治るのが遅くなる。

・自然治癒力を妨げる異物や大きな膿の塊の除去は必要。
・自然治癒力を発動させる栄養状態と安静が必要。これを妨げる痛み等への対症は良い。

・ホルモン不足は自然な老化。痛み軽減のための補充は良いがダラダラ続けないこと。
・一度切り取られたり、放射線で火傷を負わされた臓器は二度と元に戻らない
・医療には「絶対こうなる」「100%確実」はありえない。

■自然死では痛みや苦しみを感じない

・自然死とは餓死。脳内モルヒネ・麻酔作用・意識レベル低下で夢うつつのいい気持ち。

・痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなくまどろみのうちに、あの世に移行。
・鼻チューブや胃瘻や水分点滴は、この幸せムードで死んでいく過程をぶち壊す。
・「できるだけの手を尽くす」は「できるだけ苦しめ、たっぷり地獄を味わわせること」
・介護についても死にゆく過程の邪魔をしない、無用な苦痛を与えないことは鉄則。
・北欧のように食べなければ下げてしまい、三宅島のように水だけ与えて静かに看取る。
・医者の使命感や家族の罪の意識が、受け付けない食事や水を身体に強制し苦しめる。
・回復や生活の質の改善が見込めない場合は、「そっとしておく」のが一番の思いやり。
・飲み込めない、飲み込まない年寄りは、もう寿命が来ている。点滴も酸素吸入も不要。

・水も飲まず、点滴もしなくなってから、死ぬまでの老衰死日数は7~10日。
・死に目に会えるよう延命してもらうのは、自己満足優先の「鬼のような家族」

■自然死のために普段からトレーニング

・医者のいうことを聞くより、自分の身体に聞く方が間違いがない。
・快・不快も警告サイン。気持ちのいいことは身体に良い。不快なことはやめる。
・「年のせい」を認め、無理をしないこと。
・本来の自然死を「看取らせること」が年寄りの最後の努め。信念と覚悟と協力が必要。
・欲しくない時に無理やり押し込まれないためには、普段から食べさせてもらわない。
・救急車で病院に運ばれないためには、痛いのしんどいのと口にも態度にも出さない。
・毎日痛い痛いでは家族もたまらない。今日は?と聞かれるのも嫌。親しき仲にも礼儀。
・救急車に乗ることは現在の医療で出来ることは何でもして欲しいという無言の意思表示

■手遅れのガンで死ぬのが最も幸せ

・死ぬのはがんに限る。じわじわ弱ること、最後まで意識清明で身辺整理ができること。

・がんでも3人に1人は痛まない。痛むのは放射線や抗がん剤による反動の可能性が高い。
・がんの予防法は、生活習慣病の予防法と同じ。最大の危険因子は加齢。
・「がんは2人に1人がかかり、3人に1人は死ぬ」。高齢化が進めばほぼ100%になる。
・繁殖を終えたら死ぬのが自然界の掟。年寄りのがんは、あの世からのお迎えの使者。

・早期発見しても幸せではない。検査の苦痛、薬漬け、再発への怯え、ストレス。
・手遅れのがんが幸せ。痛まないから病院に行かず手遅れになる。
・猛毒の抗がん剤は数か月の延命効果があっても、副作用で身体がヨレヨレになる。
・高齢者のがんは天寿だと考え、攻撃的治療も無意味な延命治療も行わず完全放置する。

■如何に死ぬかを考え生き方をチェック

・病気は医者に、苦悩は誰かに治してもらおうというひ弱な人間が日本中に溢れている。

・苦悩は本人がきちんと向き合い、時の癒しで乗り越えるしかない。心のケアは不要。

・お金的にもベッド数不足からも病院や施設で死ぬことが不可能な時代。
・どこで誰にどのように介護されて死ぬかを前もって考えておく必要。
・人生の節目で命の有限性を思い、その日までの生き方の軌道修正をする生前葬をすべき

・生前葬は、エンディング・ノートのビジュアル版。
・今、大切にしなければならないことは何か、今後どのように生きるべきかを考える。
・人工呼吸器、経管栄養、人工透析など具体的な医療措置への事前指示書が重要。

・老いには寄り添ってこだわらず、病には連れ添ってとらわれず、健康には振り回されず、死には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることが大切。

■老いを受け入れて生きる

・医者にとって、年寄りは大事な「飯の種」。老いを病にすり替える。
・検診で病気探しをしたら、医者の餌食になるだけ。
・基準値は健康な若者の95%が収まる範囲。年寄りははずれて当然。
・健康はこういう生き方をするためにこの程度必要と言う手段で目的ではない。
・生活習慣病は体質もあるので基本的に治らない、治せない病気。人生の同伴者のようにつき合うしかない。
・年寄りは、繁殖を終えれば死ぬという自然界の”掟”に反して、他の生き物の命を奪って生かされている存在。それなりの生き方をすべき義務と責任がある。
・あたりまえが、実は不思議でありがたいことと噛みしめ感謝するのが、60過ぎの「還り」の生き方の基本。
・仏教は生きるための指針を説いている宗教。

 すでに医者から高血圧だの、高脂血症だのと言われたくさんの薬を飲まされている。薬を飲んで血圧を下げても、食生活や運動不足の生活習慣を改善しなければ良くなったとは言えないことは明らかだ。加齢により血圧も高めになるので、145、95程度ならほとんど問題ないはずだ。医者の餌食になっているという気がする。

今度病院に行くまで、思い切って薬を飲むのをやめてみようと思う。そのためには、問題のありそうな生活習慣を改める必要がある。思い当たるのは、塩分と脂肪の取りすぎ、運動不足、たまにとはいえ飲み過ぎ、少々食べ過ぎによる体重オーバー。間食も増えたのは問題か。それにしても何か、人生がつまらなくなりそうだ。ほどほどに始めよう。

2011年9月19日 (月)

本格太極拳

17日のNHK BSプレミアムのハイビジョン特集「水野美紀 中国・太極拳の聖地を行く」を観た。
子供の頃から少林寺拳法を習い、2年前から太極拳を習っているという彼女が、
太極拳発祥の地、河南省温県陳家溝に師家の19世陳正雷老師を訪ねる。
老師が体系化したという養生功18式を、わずか2日だが直接指導を受けて、
老師の2日間の留守の間に、一生懸命練習し上達した成果を師にみてもらうのだが、
そのできばえは素晴らしかった。

師のように、大地に根が生えたような安定感はないものの、もともと美しい手の動きに
水の流れのような滑らかさと、武術の力強さが加わってその変貌振りは見事だった。
自分の習っているのは健康太極拳でしかも楊式と、全く異なるのだが、学ぶことも多かった。
もう一度基本からやり直して、体の動きや呼吸だけでなく気と体の一体感を持てるところまで、
突き詰めたいという気持にしてくれた。

残念ながら自分はまだ、粘性のある水の中で泳いでいるような感覚をまだ持ったことが無い。
奥が深いにも拘わらず、まだまだ真剣味が、修行が足りないのだと自覚させられた。
それと太極拳はもともと武術なんだという当たり前のことを、思い起こさせてくれた。
それぞれの型の持つ武術的な起源と意味や陳式の型も勉強したいという気持になった。
更に、中医学との関係にも興味を持った。老師の書にも憧れた。やりたいことは一杯あるのだ。

練習の場として映っていた木々に囲まれた境内のような所が、本当に気持よさそうだった。
やはり太極拳は本来は気が溢れた自然の中でやる方が良さそうだ。

2011年8月31日 (水)

こころと遺伝子(3)

人間はやる気になって努力すれば、想像以上の力を発揮することは理解できる。そして、強い思いや感情が、シグナルとなって化学的な作用を引き起こし、からだに何らかの変化を与えることは、容易に想像できる。

しかし、それが本当に細胞にどのように影響し、さらに遺伝子のスイッチをオンするのかは、この本では明らかにされていない。並外れた努力によって、通常では不可能なことでも成し遂げることが出来るという事例が語られ、状況証拠にしているだけである。

話に飛躍があるが、語られている内容自体は興味深い。以下要約。

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■人間の可能性

人は全て、例外なく奇跡的にこの世に生命を受け、その上で無限の可能性を秘めた貴重な「生き物」である。人間には140億個の神経細胞があるが、普通の人は半分くらいしか使っていない。また使われていない遺伝子のスイッチをオンにすることで、人の能力は何倍にもなる。能力がないのではなく、スイッチが入っていないだけである。人は人に認められてスイッチがオンになる。

富士山やエベレストを滑降した冒険家の三浦雄一郎は、65歳でエベレスト登頂を計画、70歳、75歳で2回成功させた。人間は20歳を過ぎると、鍛錬しなければ、1年に1%ずつ、あらゆる能力が落ちると言われている。特に酸素摂取能力は70歳を過ぎると半分になるから、標高8千メートルでの70歳の肉体年齢は140歳にもなる。自らの意志の力で、既存の人間の限界、あるいは医学の限界を克服して、自分の夢をかなえてきた。

政治家だった祖父の物怖じしない遺伝子を引き継いでいたと思われるが、そのスイッチを入れたのは、彼にスキーを教えた父親だった。青森県連野スキー選手だったときに、ルールの不公平さを抗議して、アマチュアスキー界を追放されてから、波乱に満ちた人生が始まったが、彼は常に人類未踏の記録に挑戦し続けてきた。また彼の挑戦を理解し資金を提供してくれた赤井電機社長のような支援者が必要だったし、彼にはスポンサーを惹きつけるだけの熱意と人間力があった。

彼は、常に先ず思い、宣言する。そして目標をたて、そこに到達するためにすべきことを考え、無理のない方法で、一歩一歩そこに向かって「強い思い」で努力していく。この一連の「思い」と行動が、彼の遺伝子のスイッチをオンにして、細胞を生き生きとさせていく。

■教育の重要性

社会は、興味のある世界に強い思いを持ち、それをつらぬいた人々によって、新しい創造の目が形作られ、開かれてきた。人は強い思いさえあれば、どんなことでも成し遂げる可能性を持っている。従ってその芽を摘むようなことは、決してしてはならない。

人を知識の詰め込みで評価する現在の教育を見直す必要がある。社会が必要とするのは、知識の量ではなく知恵である。教育(エデュケーション)とは教え込むことではなく、その能力を引き出してやること。やさしいことを反復練習することで自信をもたせる。努力にかけた時間に対して、満足感と充実感を与える。これを実践しているのが公文式教育法。

村上が影響を受けた京大の総長も勤めた医学者、平澤興の言葉。
「結局、140億の脳細胞を活動させる。これを一口で言えば努力以外にないのであります。その子供ができなければできないままで、やる気に火をつけることができるかどうかということだと思います。だからビリで学校を出ても伸びる人は伸びるのです。」
「何よりも大切なことは、人を生かすことである。そしてその人に喜びと、勇気と、希望を与えることである」

「器用な人は大家になれぬ」、できない人は練習に練習を重ねることで熟練することを覚えるからだ。
努力できる人は謙虚な人です。人間の無限の可能性を生かすのに、一番大事なものは人柄。幼児の頃に、真面目、正直、我慢と言った強さを教え、人柄の基本的なベースをキチンとつくることが必要だ。。

■目指すべき人間性

第一の生命である自立的生命や本能的に動く動物的生命の上にある精神的生命こそ、狭い意味では、人間的生命である。この精神的生命は、魂を伴い、老いを知らず、ずっと成長を続ける。精神的自己は、教育を受け、多くの人に出会い、変化していく。

自己が自己たるゆえんは、いくらかでも社会から受けている恩に、報いていく気持を持ち続けること。それは熱い心がなければ発生しない。誰かのため、人のために一所懸命になろうとしたとき、人は心が揺り動かされる。それが情熱となり祈りとなり、自己の発見となる。

どんな道や方法を取ったとしても、どうしても必要なものがある。それは、決して自ら満足できるところに到達することを捨てないこと。それは自己を見失わないことにも繋がる。社会に恩を返すためには、自らの満足、達成感を得るために私たちは努力するのであり、人にどう思われるかを目標にするのではない。

自分、人、自然、宇宙の摂理を、そして、自分が大切にしているものを敬うことこそ全ての始まりである。自分が由って発つところは、第一に大地、そして国家。
海外から日本に帰ってきたときの安堵感を思い起こせ。

日本の2千年の歴史は深くて大きい。独特の魂の歴史がある。日本の素晴らしさ、自然を深く感じる心、全ての命を慈しむ信仰心、伝統的な感性の奥深さ。体に良いバランスの日本食など。日本人の凄い力を信じよう。

真の魂は人から人に、伝達していく。人はたとえ平凡であれ、人間として生きることを意識すること、私たちの住みよい環境を作る、いい国つくりにコミットする視点を常に忘れないことが、とても大事なことである。
そして自分を育ててくれた環境や教えはどんなことがあっても大事にして欲しい。それを認めてこその自分であることを、再認識して欲しい。

物質そのもの、個の追求を重大に考えすぎた近代科学の枠組みを見直す考え方が台頭してきている。個は常に全体の動きの中で作用をし、個と個の組合せは、それぞれ個の性質とは違うものが出現する。従って全体から物を見ることが必要だ。

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2011年8月30日 (火)

こころと遺伝子(2)

最新の遺伝子学理論である「エピジェネティクス」の「エピ」とは「越える」と言う意味であり、「ジェネティクス」は遺伝子学だから、「超遺伝子学」と言うような意味である。何が超なのか。それは「環境が遺伝子に優先して生体をコントロールする」と考えるところにある。

環境因子の中に精神的要因が含まれているところが重要だが、たとえば「強い思い」がなぜ生体をコントロールできるのかと言うことについては十分に説明されていない。しかし、体に影響を与えるだろうことは理解はできる。要約を続ける。

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■遺伝子の働きを左右する環境因子

人間の遺伝子情報は、それ自体が生体をコントロールしているのではなく、遺伝子の基本的設計図はそのままで書き換えられず、必要な遺伝子情報のスイッチがオンになったり、オフになったりすることで、生体がコントロールされている。遺伝子は単なる生物の設計図にすぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子の振る舞いを変えるというのである。
そして、「細胞の一つの状態を決めるのが遺伝子ではないように、私たちの人生も遺伝子が決めるのではない。」と言い切る。

ダーウィンの自然選択説に意義を唱えた木村資生(もとお)の「分子進化の中立説」は、分子レベルで起こる突然変異はその大部分が、生存にとって有利でも不利でもない中立的な変異であり、それが集団の中に広がるのは全くの偶然によって決まるとした。実際ヒトのDNAの95%以上が、たんぱく質の生成に利用されない「がらくた」DNA。但しこれが、環境の変化によって、生存に有利になったり不利になったりする。

ヒトとチンパンジーのゲノムは3.9%しか違わない。共通の先祖から分かれた600万年前以降にヒトにおいて急激な変化を受けたDNA配列の中にヒトをヒトたらしめる要因があるはずだと考えられ探求された。その結果、人間に特徴的な新皮質の形成に関与する配列が発見されたが、それは「がらくた」DNAの中からであった。また言語能力に関連する遺伝子FOXP2もその中にあった。

形態の進化は、遺伝子そのものの変異よりも、オンオフの遺伝子スイッチの変化が最大の推進力となっている。ヒトとネズミの遺伝子の数はどちらも2万2千個で変わりなく、99%の遺伝子が同じものであるが、その組合せが違う。つまり遺伝子を使う順序やパターンを変えれば新しい種が作れると言うことである。

細胞には、外からの信号を受け取るレセプターと言うアンテナがある。これまではこのアンテナが受け取る信号は、ビタミン、ホルモン、たんぱく質などの分子や、化学的な薬品などとおもわれていた。(化学物質シグナル)
しかし、量子物理学の成果が細胞生物学に加わったことで、遺伝子のスイッチを入れるものは、生体を取り巻く、大自然の空気、磁気、波動、音楽や言葉、そして思い、思考など、「環境」が大きく影響していることが、証明され始めた。(エナジーシグナル、環境シグナル)。しかも、エナジーシグナルは、体の中で、化学物質シグナルの100万倍のスピードで効果を発揮する。

環境因子を整理すると、1.物理的要因(熱、圧力、聴力、訓練、磁気、光、周波数など)、2.食物と化学的要因(アルコール、喫煙、環境ホルモンなど)、3.精神的要因(ショック、興奮、感動、愛情、喜び、希望、不安、怒り、恨み、信条、祈り、笑いなど)

また、リプトンは、オンオフのスイッチに関係しているのは、限られた一転のレセプターだけでなく、細胞膜全体であることを発見。細胞膜が、細胞の脳機能を果たしている、つまり細胞は独自の生き物であると言う新説を発表。これまで医学的に効果が認められていなかった鍼灸や気功、音楽療法などが、皆、広い意味で影響していると証明されつつある。

今、私たちは「こころと遺伝子は相互作用する」と言うことができる。これは思い、すなわち、信念が人生を、コントロールするといっても良い。私たちは、意識して、良い遺伝子のスイッチをオンにすることで、新しい人間性を生み出すことが出来るのである。

では、どのような人間性を目指すべきなのか、どのようにして遺伝子のスイッチをオンにすることが出来るのか。(続く)

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