日記・コラム・つぶやき

2014年10月14日 (火)

「パリ不戦条約」について

 文芸春秋1409で読売新聞の渡邉会長の「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」を読んだ。個人的には好きではない人物だが、意外なことに、教えられること、共感できることが沢山あった。

 渡邉氏の趣旨を要約すると、昭和戦争は侵略であったと認め、そのシンボルである靖国神社の公式参拝をやめるべきだと言う。A級戦犯の分祀をするか、祭神の名義や特定の宗教と関係のない追悼施設を作るべきだとしている。私も全く同じ意見だ。

  氏は、昭和戦争は軍部の無謀な戦争拡大によって大戦争になったが、その戦争拡大が1928年に日本が調印した「パリ不戦条約」の戦争放棄に違反したが故に、日本の戦争責任を問われたのだという。これは初めて知ったことだが、なぜそれ以前に帝国主義戦争を展開した列強の戦争責任が問われないのかという疑問がこれで解けた。

  パリ不戦条約とは、欧米の列強による帝国主義戦争に終止符を打とうという国際世論の盛り上がりを受け、1928年に締結された「戦争放棄に関する国際条約(通称ケロッグ=ブリアン条約)」(Wikipedia)だという。その第一条に、日本憲法第九条と内容的に同じ「戦争放棄」が謳われている。これが普遍的な世界共通の法規範になっているのだ。

  但し、日本による不戦条約の空文化を踏まえ、1945年の国連憲章では、「戦争放棄」ではなく「武力による威嚇または武力の行使」を原則禁止するものとなっている。日本国憲法はその両方を踏まえたものとなっている。

 では戦後に、英米仏やソ連が行った軍事行動は、国連憲章に違反していないのか。その時、盾になっているのが、国連憲章第51条の「個別的または集団的自衛の権利」である。国連加盟国に対する武力攻撃が発生した時に、国連安全保障理事会が必要な措置を取るまでの間の権利である。ここでは、集団的自衛権が侵略の口実となっており、空文化している。これについては、別の機会に考えたい。

2014年4月29日 (火)

「日本絵画の魅惑」展を観た

 出光美術館で「日本絵画の魅惑」展を観た。

 鎌倉時代の絵巻から江戸時代の浮世絵や琳派に至る83点の絵画と30点の工芸品が、ジャンルごとにまとめられていて分かり易かった。絵巻は「アニメーションの源流」と解説されていたが、絵巻の絵の描き方が昔見た紙芝居の絵に似ているような気がした。

 今回の収穫は、長谷川等伯の「松に鴉・柳に白鷺図屏風」を見られたことと、仙厓の紙本墨絵を8点見られたこと。

 等伯の絵は、狩野派の華麗でやや型にはまった静的な感じに対し、墨の濃淡だけで描いたシンプルな線が力強くダイナミックで、静かだが生き生きとしていて、とても感動的だった。現代に通じる日本絵画の斬新さが、そこには確かに感じられた。

 仙厓の絵は、以前「○△□」を見たことがあったが、初めてたくさん見られ、改めて彼の作品の良さが分かった。門徒の悩みに絵で答えているのだが、そこには直接的な答えはなく禅問答のようで面白い。暗示的な絵はどこかユーモラスで、悩みなんか笑い飛ばせと言っているかのようで楽しかった。

2014年3月31日 (月)

父の死

 16日は、1時半ごろ寝て1時間もしないうちに携帯電話で起こされた。当番で実家に行っていた妹から、2時7分に父が亡くなったとの知らせ。病院からだった。女房を起こし、式服などの出発の準備をして2時間ほど横になってから家を出た。

 10時半ごろ、実家に着いた。父はすでに実家に運ばれていた。2時の看護師の巡回で既に息をしていない父を発見したという。死因は、誤嚥性肺炎。老人の多くが亡くなる原因だ。以前から頻繁に出ていた痰が気管支の方に入ってしまったようだ。1か月前に入院した原因の胸椎圧迫骨折の方は、椅子に座れるほどに回復しており、退院も間近と言われていただけに、ほかの原因であっけなくなくなったことに驚いた。でも、若いころに肺結核で片肺を切除した父にとっては、苦しむことなく93年の人生を全うすることが出来たのは大満足ではなかったか。ほとんど悲しみはなかったが、人の涙はうつる。

 家の中は、親せきの女性たちが手伝ってくれて、きれいに片付いていた。午後、葬儀屋さんが来て祭壇を整え、色々今後の予定について説明をした。17日が通夜と納棺、18日は9時に出棺し、火葬場を経て正午から寺で葬儀とお斎。明日中に、火葬許可書と納骨許可書を市からもらってくるように言われたので、すぐに市役所に行った。夕方、年配の男性と若い女性の納棺師が来て、死に化粧と旅立ちの衣装替えを施してくれた。頬がふっくらとし顔に赤みが差し今にも目覚めそうな錯覚に襲われる。

 喪主の挨拶が、通夜で3回、翌日は出棺、火葬場、葬儀、精進落としで4回ある。挨拶の文例が用意されていたので、夜、それを下敷きにして挨拶文を考え紙に書いた。読んでもいいと言われたが、出来るだけ暗記しておくことにした。

 翌日は、ポツリポツリと近所や親せきの人たちが弔問に訪れ対応に追われた。通夜の精進落としの料理が届く。合間合間に、挨拶文を練り直し、暗記する。お寺から住職が来て、喪主としての挨拶をし、通夜の読経が始まる。二間続きの8畳間一杯に24人ほどの人がびっしり入った。お斎が始まれば、そこは親戚同士、後は久し振りの再会で、昔話に花が咲いた。

 この田舎では朝早くに出棺が行われ、火葬場に行ってから寺で葬儀が行われる。近所のや親せきが集まる玄関先で、挨拶をした。霊柩車と葬儀屋さんの用意したマイクロバスで火葬場に向かう。父が長年勤めた会社の前を通ってもらう。真面目なサラリーマンであった。

 火葬場では、2時間ほどかかると言われた火葬が、1時間半で終わった。痩せこけていてほとんど肉がなかったからに違いない。骨を拾い壺に収めて寺に向かう。住職の息子さんから、葬儀の進め方について説明を受け、玄関で弔問客を迎えた。住職が登場して葬儀が始まる。浄土真宗で親鸞と蓮如を祭っている寺だ。自分は無信仰だが、一応形式的に儀式を済ませ、挨拶も無事に終えることが出来た。

 住職にお斎の挨拶をしてもらって、会食を始めた。住職は、縁ということを強調していた。父という共通のつながりで集まった人たちには、たしかに縁がある。しかしどの縁を大切にするかは、また違った共通のつながりが必要でそれは個人個人によって異なる。
その夜、親父と飲むのが好きだった妹の亭主と、初めて何時間も語り合いながら酒を飲んだ。もっとこういう機会を作ってほしいと言われた。

 翌日からは、市役所に行き、必要な手続きを聞いて回り、書類をもらってきた。また、妹や女房に手伝ってもらいながら、電気、ガス、水道、電話、テレビなどの名義変更と口座振替の変更手続きを始めた。大物は、遺族年金の手続きと、凍結された銀行口座からの振り替え手続き。土地建物と車の相続手続きだけは、行政書士に来てもらって手伝ってもらうことにした。面倒なのは、父の出生から死亡までの戸籍を揃えることで、父の生まれは現在地ではないので、遠くの市に郵送依頼をするのが大変だった。

 寺に行き、四十九日法要の日を決め、その日寺ではできないという精進落としの会場を葬儀屋に頼んで決めた。納骨は家族で四十九日までに行えばよいと言われた。参列者から頂いた香典の整理や名簿の整理、香典返しの手配をした。時々、弔問客が家を訪れてくるのでそれに対応した。

 1週間ほどで、相続以外はほぼ終わり、28日の午後、母について行って新しい仏壇を購入し、とりあえずの役目を終え、自宅への帰りの電車に乗った。慌ただしく大変な13日間だった。ひたすら雑務をこなしたが、全く自由時間がなく精神的に疲れた。寝不足が続き、運動不足で体の調子も悪くなり、風邪も引いてしまって辛かった。父の死を悼み、感傷的になる暇もなかった。

 自宅に帰って、2,3日自分の時間を取り戻すことで、少し元気になった。四十九日の案内状を作成した。また水曜日から実家に行って、母の面倒を看る日々が始まる。

いかに人は社会的なしがらみの中で雁字搦めになって生きているのかを痛切に感じた。

 

2014年3月16日 (日)

「終活シンポジウム」を聴いて

 かみさんと「終活シンポジウム」なるものに出席して話を聞いた。明海大学のホスピタリティ・ツーリズム学部と終活カウンセラー協会の共催。

 終活については、2年ほど前にエンディング・ノートなるものが売られているのを見た時に、そろそろ書いておいた方がいいかもと感じたくらいの知識だった。ちなみに、Wikipediaによると、

  ”終活とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるに あたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。主な事柄としては生前のうちに 自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められ るための計画を立てておくことが挙げられる。”

 安井学長の挨拶では、”PPK(ぴんぴんころり)を目指したい””NNK(寝ん寝んころり)は避けたい。”という言葉が印象的だった。

 内苑教授の基調講演では、墓の準備だとか、相続の準備といった現実的な対応だけでなく、死ぬまでの心の充実の問題も重要との問題提起があった。

 講演のあと、浄土宗心光院住職の戸松 義晴氏、戦場カメラマンの渡部 陽一氏、終活カウンセラー協会代表理事の武藤 頼胡氏、内苑教授の4人によるパネルディスカッション「終活は本当に必要か」があった。

 渡部氏が戦場で生活している人たちに質問した「あなたにとって幸せとは?」に対する回答に共通するのは、「やりたいことが自由にできることであり、具体的には、家族と一緒にいること」だという話は重い。終活というものは、何よりも愛する家族が困らないようにするためのものに違いない。新しい刺激を得て変化することが出来る旅を大切にする渡部氏が、生きている間にしておきたいのは、エンディング・トラベル。息子と戦場で知り合った友人を訪ね歩くことだという。自分が大切にしてきたことを子供に伝えることも終活の一つだ。

 戸松氏の、「老人は自分中心でも構わない、そういう人の方が長生きをする。無理をせず良い加減に生きることが大切だ」というのも理解できる。エンディング・ノートというのは和製英語で、英語では「Living Will」というのだそうだ。重点が死よりも生にあるところが文化の違いを表している。戸松氏は「縁(えにし)の手帳」と呼んでいるという。人間は一人では生きられず、死ぬ時も誰かの世話になるからだ。

 武藤氏の話では、「家族の普段の意思疎通が大事」が良かった。医師の話で、一番つらいと感じるのは、延命に対する本人と家族の方向性が食い違う時だという。尊厳死を選択するということを、予め家族に告げておく必要がありそうだ。

 人間はいつ死ぬか分からない。しかしそれ以前に、いつ自立した生活ができなくなるか分からない。そのための準備も必要だ。介護の話はほとんど出なかったが、終活の一番の目的が、家族に迷惑を掛けないことであるならば、自立できなくなった時から死ぬまでの間の介護のことを良く考えておくことが、やはり一番大事ではないかと思う。
        
 目標は、PPKのために健康を維持することが一つ。自立できなくなった時のために、施設に入る費用を蓄えておくことが一つ。これは今、自分が親の介護のために、自分の時間を犠牲にしている経験からも、最も切実に感じていることである。子供がどこまで面倒を見てくれるか分からないが、あまり迷惑を掛けたくないと思う。
 もっとも今の自分にとって、時間は犠牲になっているものの、親の安心した顔を見ることで心の安息は得られているから、何とかなっているのではあるけれど。

2014年2月16日 (日)

内田樹「修業論」を読んだ

  合気道七段の著者が、「修業」というものを知らない現代の若者に向けて書いたもの。
  修業の目的は、現代風に言えば、想定外の危機的な出来事に遭遇した時に適切な対応ができる力をつけることであるという。

  武道では、相手を想定外な状況に追い込んで、技を掛けた方が勝つ。逆に言えば、相手の気を感じて動きを読み、なすべきことを瞬時に判断することで生き延びることが出来る。

そのためには、自我を脱ぎ捨て身体感覚を研ぎ澄まして状況を把握し、他者と融合して一つの動きにまとめる力が必要だという。しかし修業者でない者には難解だ。

  計測可能な身体能力の訓練とは異なり、修業は人間の心身の潜在能力を開花させるものであり、努力した後でなければ体得した能力が何か分からない非合理なものである。

 修業により身体感覚が敏感になると、気や機・キマイラ的身体といった非現実的なものが、リアルに体感できるようになるという。それを言葉で説明しているのだから、修業者でない者には難解なのは当然だ。

 それでも魅力を感じるのであれば、修業に励むしかない。問題は、目的が曖昧なルーティンをどうやって高いモティベーションで継続するかだ。魅力的な師への憧れ?仮の代替目的?たとえば健康のためという目的。

 自分は、武術の修業というほど厳しいことはしていないが、健康のために太極拳を習っている。でも大先生によると、元来、健康太極拳とか武術太極拳というようなジャンル分けは存在しないらしい。

 なぜなら、太極拳の目指すところは、自分の力を用いないで、楽な姿勢で、相手の力を利用するという、他の武術と違った武術性の確立にあるからだという。合気道とは異なるが、気や機、相手の動きの読み、瞑想など共通している部分も多い。

 健康のための太極拳であっても、練習する上での間違った方法で続けると健康を害することもあるという。正しい方法の基準は、武術性=「攻防」の技術にあるから、それを知らなければならないようだ。目標は高くなるが、武術性の勉強は面白そうだ。

 日ごろの稽古を修業の場と捉え、理論を勉強して実技で確かめつつ、何か非現実的なものをリアルに体感できるまでになりたい。

2013年10月28日 (月)

長男の婚約

 長男が婚約したので、昨夜親同士の顔合わせがあった。本来なら結納式という面倒な儀式があるのだが、本人たちの希望で略式の顔合わせ会となった。なにしろ二人はもう今年の2月から同棲中なのだ。

 息子が結婚の意思を示さず同棲を始めたので、彼女の御両親に申し訳なくて仕方がなかったのだが、やっと決めてくれたのでホッとした。うちは夫婦とも、彼女に初めて会った時から気に入っていたので、本当に良かった。息子も彼女の家には何回か行っており、気に入られていたようで全く問題はなかった。見知らぬ関係は、親同士だけだった。

 顔合わせは、やはり緊張したが、彼女の御両親は飾らないいい人達で安心した。お父さんはとてもお酒が好きらしいのだが、母と娘は飲み過ぎを心配して車を運転させてきていた。お母さんは明るくサッパリした人で、彼女の性格が理解できたような気がした。話題が尽きて気まずくならないか心配したが、何とかぎりぎりセーフで終わることが出来た。

 最後に息子から、自分の決断が遅れ、皆さんにはご心配をお掛けしたが、これからは自分が責任をもってキチンとやっていくと決意表明があり、チョッとグッときた。そう、男は決断できないといけないんだと心でつぶやき、肩を叩いて「頑張れよ」と声を掛けた。

 あとは結婚式を早くあげて欲しいのだが、入籍を先にして結婚式は来年の夏になりそうだとのことだった。式を海外でしたいが、二人の仕事の関係もあり、夏休みの頃がいいらしい。まあその辺は、二人で決めればいいことだ。自分の二人の子供のうち、次男はすでに結婚しているので、これでやっと肩の荷が下りた。

2013年9月25日 (水)

もう一つのシニア・ライフ

  退職して約半年が過ぎ、生活のリズムにも慣れた頃になって、気にかかっていたことが現実のものとなった。仕事から解放され心身ともに健康なゴールデンエイジに充実したシニア・ライフを送りたいという目標とはかけ離れた、もう一つのシニア・ライフを送らざるを得なくなった。

 田舎で暮らす両親が共に動けなくなってきたのだ。
88歳の気丈な母は、十数年前に腹部動脈瘤およびそのための心臓血管の手術を受けたが、手術後に腹部及び足腰の痛みがひどくなり、杖でやっと歩ける程度の身体になってしまった。しかも血液が固まらない薬を飲んでいるため、痛みを軽減できずストレスを溜めては下血して、半年に1回程度の入退院を繰り返していた。

 92歳の父は、やはり十数年前に1回、1年前に1回、心臓血管狭窄症の手術を受けたが心身共に元気で、車を運転して買い物に行ったり家事をこなしたりして母の面倒をみていた。しかし1年ほど前に転倒してから足が弱ってしまい、最近は杖なしでは歩けなくなってしまったのだ。東京に嫁いだ6歳下の妹が、仕事の合間を縫って1年ほど前から3泊4日を月2回程度、実家に行って父の手助けをしてくれていた。自分は今年の3月末に退職してから2泊3日を月に1回程度、実家に行って手助けをしていたのだが、それもいよいよ限界に達しその程度では済まなくなった。

 9月上旬に事故が起こった。父が台所で朝食の準備をしている間に、母がトイレで下血し失神していたのだ。しばらくしてそれに気づいた父は、母を抱える力がなく気が動転して、普段からお世話になっているお向かいさんの元気な老夫婦に電話して助けを求めた。老夫婦は車で母を病院に送り届け入院させてくれた。

 病院で、両親を担当している同じ医師から、最早二人だけにしておいてはいけないと、きつく言われた。週2,3日のパート仕事を続けたい妹。これからやりたいことをやろうとしていた自分。一緒に暮らせないならば、施設を考えたらと助言してくれたケア・マネージャーやお向かいさん。施設には入りたくないという母。二人が施設に入るのは経済的に無理という父。それぞれの思いをまとめるには、どうしたら良いのか。自分で答えを出すしかなかった。

 二人を施設に入れることは、年金生活に入った自分にとっても経済的に無理なことを、自覚させられた。自分がその金を捻出するために働きに出るくらいならば、自分が両親と暮らす方が理に適っている。しかし、それは自分がこちらで築いた人間関係や経験のすべてを封印することだ。それに耐えられるのか分からないけれど、やってみるしかないと覚悟を決めた。以前から嫁姑関係がこじれているから、女房には何も期待できない。

 結果的には妹との話し合いで、1週間おきに2人が交代で実家に行き面倒を看ることになった。2日間の往復の移動時間が空白になるが、ヘルパーさんに来てもらい、空白時間を少しでも縮めることにした。妹は毎週2、3日のアルバイトをしたいとのことだったので、交代の起点を水曜日とした。そのことで自分も毎週水曜日の朝に通っていた太極拳の教室に出席してから、実家に行くことが可能となった。この半年間に築いてきた生活リズムの一部を維持することが可能となり少し精神的に楽になった。10月からもう一つの新しいシニア・ライフが始まる。

2013年7月 4日 (木)

2013年6月の読書メーター

2013年6月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:928ページ
ナイス数:94ナイス
http://book.akahoshitakuya.com/u/195601/matome?invite_id=195601

■アフターダーク (講談社文庫)
姉エリとの関係に悩む主人公マリが、真夜中に出会った高橋、カオル、コオロギの温かい言葉に救われて、朝、家に帰り眠りにつくまでの出来事。その描き方が新鮮。著者が直接対象を描くのではなく、映画のカメラのような「私たちの視点」を介在させ、それが対象をどう見るかを描く。文中にも出て来る「私たちっていったい誰」は読者の疑問を先取り。意図的な仕掛け。エリの周りで起こるテレビ画面や鏡の中の奇妙な世界は夜明けとともに消える夢の世界か。爽やかな朝の目覚めの予兆。マリの安らかな眠りに安心して本を読み終える。好著。
読了日:6月29日 著者:村上 春樹
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/29969487

■経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)
若手新進経済学者・藤田泰之氏のシノドス主催連続対談集。内閣府の岡田靖氏、「希望は戦争」の赤木氏、「年越し派遣村」の湯浅氏を相手に、若年雇用や貧困の問題をどう解決するかを議論。生産性は自然に2~3%向上するので、その分経済成長しないと失業が発生。従ってこの問題のみならず福祉も含めたシステム改革には、経済成長が必要と主張。「個人に最低生活保障をした上で創意工夫が生かせる自由競争を」という藤田氏の意見に賛成。日本の再分配政策が票のため年寄り・田舎優先となり困窮者に金が届かず不平等社会となっているとの指摘は鋭い。
読了日:6月17日 著者:芹沢 一也,荻上 チキ,飯田 泰之,岡田 靖,赤木 智弘,湯浅 誠
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/29666735

■日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
明治維新の頃には、今のような日本語はなかったと言う驚き。明治の中頃まであった英語を国語にとか、漢字を止めローマ字にという意見を排除し、文部省の決断で日本語が国語になった。しかし世界で日本語ほど複雑で奥の深い国語はなく、それに基づく日本近代文学は、人類の遺産。国語教育はそれを読み継がせるのに主眼を置くべき。日本語は護らねば日本文化とともに亡びる。英語は益々重要になったが、現在のバイリンガル政策は中途半端。英語で意味のある発言ができる<選ばれた人材>を育てる方が重要と説く。日本人必読の書と言いたくなる本。
読了日:6月7日 著者:水村 美苗
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/29381423

▼読書メーター
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2013年6月17日 (月)

太極拳の演舞を観て

   田邊久恵師範の楊名時24式太極拳と伝統楊式太極拳の演舞を観る機会を得た。彼女は健康太極拳である24式太極拳の師範になった後、目標を失った喪失感に耐え切れず、競技のある武術の楊式太極拳に進んだのだという。楊式太極拳では2008年にワールド・チャンピョンに輝いている一流の方だが、今なお修行中だと言い謙虚だ。

   流れるように滑らかで美しくそれでいて力強い舞に圧倒された。演舞した後、二つの太極拳の共通点と違いについての説明があった。共通する型はあるが順番も詳細も違う。楊式は武術だから攻守が直接的で、思ったほどでないがやや動きが早い。24式は健康重視で呼吸をする動作が増えている。重心の低いゆったりとした美しい動きは同じように見えた。健康太極拳をしている自分としても、あの美しい動きを何とか見習いたいと思った。

   「呼吸と気の関係について」、「順腹式呼吸と逆腹式呼吸の使い分け」、「多種類のスワイショーの型の違い」などの難しい質問に対しても、淀みなく明確に答えておられた。

  演舞にしても、理論にしても本当に素晴らしかった。久し振りに憧れの気持ちを抱き、「ああなりたい」という目標を持つことが出来た記念すべき日となった。

2013年5月19日 (日)

「攻めの農業」政策を考える

5/16の朝日新聞オピニオン欄で、農民作家の山下惣一氏が、安倍政権の「攻めの農業」政策への反論を述べている。いろいろな問題を指摘しているので興味深く読んだ。以下に、要点をまとめ、最後に、自分の意見をまとめてみる。

■要約
①大規模専業農家は、政府の言うように競争力をつけるために、規模を拡大しコストを下げてきたが、いまや補助金なしでは厳しい。更にTPPが実現すれば、どんなに規模拡大しても米国の巨大穀物企業や豪州の大農場には勝てない。

②政府が進める企業への農地所有による農業は活性化しても企業は利潤で動くから、失敗すれば農地を売却する。ニュージーランドのように中国企業にでも売るかも知れない。それでいいのか?

③食糧を自由貿易にさらすのは危うい。インドは世界最大のコメ輸出国だが飢餓人口は高水準だ。農産物の貿易は余った国から足りない国に行くのではなく、価格の安い国から高い国に行くから。

④大規模小売店舗法で地元の商店街が寂れ仕事が無くなり地域が貧しくなったように、安い輸入牛肉が入って牛丼の値段が下がると、競争のため外食全体が値段を下げ労賃が下がる。単純に、関税撤廃で商品の価格が下がれば消費者には良いというものではなく、労賃や雇用の問題を一緒に考えないといけない。

⑤農産物の輸出額倍増が政権の成長戦略だが、自然を相手にする農業は成長してはいけない。成長より安定が一番いいが、経済学者はこれを停滞という。工業の競争原理とは違い、農業は自然との調和と地域の支え合いが原理。競争原理が生み出す利己主義で地域コミュニティが崩壊したら農業は成り立たない。

⑥農業が衰退したのは、単純に後継者がいないからではなく、政府の工業化政策のためである。高度成長期は工業化のために農村から労働力を集め、その代り原発や産業廃棄物処分場が来た。工業製品の輸出で成長をめざしGDPの9割を貿易に依存する韓国は極端にしても、そういうやり方は危うい。

⑦TPPで国内の雇用が減り、都市に失業者が増えれば必然的に農村に余剰人口が押し戻される。新たに農業をやりたい人には、離農した人の跡地に入って貰えばいい。多くの都市住民が週末農業を営なめるような「日本版ダーチャ」で、農業のすそ野を広げるべき。日本の農業の唯一の強さは、地域に農家と消費者が混在したり、都市が近くにあったりすること。小規模農家は生産を楽しんでいる。日本の農業を幸せ農業にしたい。

■山下氏は、多様な問題提起をしており、農業問題の根の深さが分かるが、自分としては彼の意見にすべて賛成できるわけではない。以下に、①~⑦までの各意見に対する現時点での自分の意見をまとめておく。

①大規模農業の問題。政府が推進している規模拡大政策では、米・濠・加の先進国に負けてしまうという意見は、大泉宮城大教授も以前述べていた。かといって、山下氏のような現状維持の中小規模農業では、先細りが見えているのではないか。そこで大泉氏は、付加価値の高い欧州型の「成熟国型」農業を目指し積極的に輸出すべきであり、コメについても生産調整せずに、余ったら市場開拓し輸出すべきだという。確かに、安全高品質の日本の食料は高価格だが一定の需要があるかも知れない。ただ、世界が不況の中で、中国だけをあてにするわけにもいかないから、時間がかかるだろう。

②企業の農業参加問題。地域に根を下ろした大企業が急に農業を止めたり、土地を外国企業に売ったりするのは、地域経済を破壊し国家の安全が脅かされるので望ましくない。企業の農業参加は、一定期間地域に定着し貢献してきた農村自営業者に限定するなどの制限を設けるべきだ。また農地の売却先についても制限は必要だろう。しかし、農業の企業化を反対する理由にはならない。

③食料安全保障の問題。自由貿易に頼るといざという時に食料を確保できないという意味と企業は利益のために自国のことより取引を優先すると言う二つの意味がある。後者の例としてインドのことが挙げられているが、日本のコメを日本より高く買ってくれる国はないだろうから、日本企業がコメを国内で売らなくなることはありえないだろう。

 前者については、日本がコメを大量に輸入する相手国と戦争にでもなったり、政治的駆け引きに使われると困るが、ルールを守る紳士的な国との自由貿易を続けている限りは心配ない、と言う主張もある。ただ日本が豊かなうちはいいが、貧しくなってきたらどうなるのだろう。今の石油のようになるとまずいのではないか。逆に、食料を100%自給し国を閉鎖していると、冷夏等で飢饉が起こった時に、対応が間に合わないのではないか。やはり、ある程度の食料自給率と適度な自由貿易が必要だと思う。

④自由貿易の問題。自由貿易で商品が安くなっても、それが回りまわって自分たちの給料を下げたり、雇用を減らすことになることを理解すれば、消費者は単純には喜べないはずだ。これは山下氏の指摘通りだ。しかもデフレ下では、自由貿易はデフレをさらに進行させる。

⑤成長か安定かの問題。「自然を相手にする農業は成長してはいけない。工業とは違い、成長より安定が良い。」という山下氏の意見に対しては、現時点では判断が難しい。成長を目指すことが自然環境や地域コミュニティを破壊するから、農業が成り立たないと言うのだが、工業もまたそれらを破壊してきたのではないか。そうすると経済成長自体が問題なのか。もっと深く勉強する必要がある。

⑥日本の未来産業の問題。農業を衰退させたのは、農業より工業を優先した政策のためだと言うのは正しいと思う。極端な工業化を推進する韓国は、金さえあれば食料は買えるのだから、別に国内に農業が無くてもいいと言う考え方に基づいているのだろう。ただ景気には波があり、いつも工業製品が売れて国民もリッチというわけにはいかない。食料のほとんどを輸入に頼った時、高額の食料を買えなくなったら大変だ。一定の食料自給率確保は必要だろう。

⑦農業の担い手の問題。山下氏が予測しているように、TPPで失業者が増えれば自然に農業に流れる、と言うほど単純ではないと思う。新しい担い手を受け入れる器の整備が必要だ。この記事にコメントしている生源寺真一名大院教授が提案している。水田作の生産調整を徐々に廃止し、米価が下がった分は職業として農業を営む専業・準専業・農業生産法人に直接支払って、借農地による規模拡大を助ける。また日本の稲作で生産効率が高い10~20㌶の農地の担い手を数集落に一つ育て、法人化して技術を継承し、農家出身ではない新しい人を受け入れる。更に食品加工の要素を取り込み、地方の雇用を創出する。といった意見には賛成だ。

■「農業は成長すべきではない」という意見が、一番良く分からなかった。成長を目指すと、競争が生まれ人々が利己主義になるので、幸せにはならないというのだ。「日本の農業を幸せ農業にしたい。」という気持ちは分かるが、他の産業社会で働く日本人も幸せでなければならない。

 確かに、日本人は豊かになったが、幸せでないと言われる。しかし本来、経済成長は、国民の幸せのために必要であったはずだ。自然破壊にせよ、地域社会の崩壊にせよ、働く人の不幸にせよ、単純に経済成長の結果ではないはずだ。社会システムの問題だろうか。あるいはもっと根源的な問題だろうか。そしてそもそも「経済成長はなぜ必要なのか」を考えてみたい。

より以前の記事一覧

お薦め本

  • 鈴木亘: 「財政危機と社会保障」
  • 波頭亮: 「成熟日本への進路」
  • 中野剛志: TPP亡国論
  • 増田悦佐: 日本と世界を揺り動かす物凄いこと
  • 古賀茂明: 日本中枢の崩壊

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