経済・政治・国際

2015年3月26日 (木)

真珠湾攻撃に関わる機密

  「新説明治維新」の講演を行った西鋭夫氏のインタビュー・ビデオを観た。 その中で、太平洋戦争における驚くべき真実を知ることができた。  

 民主主義の国アメリカでは、政府の機密文書も30年後とかに公開されるのが原則だが、内容に応じて機密期間がそれより長いものがある。ケネディ暗殺に関する文書は100年だそうだから、そこには政府にとってかなり都合の悪いことが隠されていることになる。
 戦後65年経って公開された文書を地道に検証していた西氏は、そこで米軍が1940年にすでに日本海軍の戦略暗号を解読していたことを発見したという。真珠湾攻撃の1年前である。(通説では1942年のミッドウェー海戦の前)ということは、米軍は真珠湾攻撃を事前に知っていたにも拘わらず、知らない振りをした可能性があるというのだ。自国民を犠牲にしてまで、何故そんなことをしたのか。
 それは日本に対して原爆を使う口実を作るためであったのではないかという。原爆を投下するにあたって真珠湾が持ち出されているからだ。それが本当であれば随分ひどい話だが、アメリカならやりかねない気もする。ただ日本海軍は、真珠湾攻撃の直前に暗号を変更したという話もあるので、真実が何かは不明である。機密文書の中にそのあたりも触れている箇所があるのかどうか、今後の検証を待つしかない。
 アメリカの強かさ怖さは今に始まったことではない。例えば日本に今なお米軍基地が70か所もあるのはおかしいのだが、誰も言わない。日本人は都合の悪いことには口を閉ざしてしまう。議論の前に思い込みの結論があり、それが通らないとすぐ感情論に走り、思考停止してしまう。議論によって真実を共に探って行くというアメリカのような土壌がない、という西氏の指摘は正しいと思う。
 歴史認識は日本人の水源であり命であるにも拘らず、日本人の歴史の知識は薄っぺらすぎるという指摘は全くその通りだ。特に現代史は学校教育で教えられていないのだから当たり前だが、何故国は日本の現代史を隠すのか。知ってはいけない都合の悪いことがあるからだと考えざるを得ない。マスコミも国に迎合し真実を語らない。国やマスコミの責任は重い。

2015年3月24日 (火)

西鋭夫講演「新説明治維新」を聴く

 スタンフォード大学フーヴァー研究所教授西氏の講演会ビデオを観た。HPによると氏は、「長年の日米アジア研究を通じて、日米の政財界やシンクタンクに情報源を持ち、アメリカ政府の機密文書を世界で初めて開いた人物でGHQ占領政策の研究で世界的な権威である」という。

 氏は、まず日本人よもっと奮起せよとけし掛ける。日本人ほど知識を大切にする国民はいないのに、今の教育環境が悪いために力を発揮できなくなっている。ノーベル賞を取った人のほとんどはアメリカの教育を受けている。国はもっと教育に金を使い(世界30位)、官僚の責任逃れの管理教育ではなく優秀な人間をさらに伸ばす教育にすべきだ、と主張する。

 明治維新については、日本では神格化されているが、それは明治の御用学者の造った神話であって、実態はそんなきれいごとではないという。欧米列強の海賊まがいの軍艦や大砲によるアジアの植民地化や清国への不平等条約押付けに、発奮した薩長の若者たちが日本を欧米列強を真似し彼らと太刀打ちできる文明開化・富国強兵の国にしようとしたというのが通説である。

 しかし西氏は、維新を実行するために掛った膨大な費用を若者たちが調達できるはずがない、という所から見直した。長崎のグラバー邸で、薩長の若者がグラバーと密談を交わしていたことが明らかになる。グラバーは、東インド会社や香港上海銀行にかかわるジャーマン・マセソンの長崎支店長であった。金はここからでているのだが、当然、彼はイギリスのアジア戦略を担っている。

 西氏の結論は、明治維新はイギリスが日本を手なずけるためのアジア戦略の一環であったというものである。インドや清国を隷属させるための戦争でイギリスが払った英国兵の犠牲が余りに大きかったため、アジア最後の国である日本を攻略するための戦略を変更した。それは、日本現地のテロリストたちに、資金や武器や軍艦を提供して内戦を起こさせ、既存の権力を放逐した上で、彼らを通じて日本を支配しようという戦略である。

 文明開化とは西欧文明化への洗脳の結果であり、富国強兵とは日本を戦争の出来る国にしたてることであった。現に、明治維新以降第二次世界大戦敗戦まで日本は戦争をし続けた。相手はイギリスの敵国、ロシアであり清国であった。おだてられながら調子に乗って上手く使われたのではないか。西氏はそこまでは語っていないが、そう推論できる。さらに言えば、日本を新興工業国に仕立てることで、清国からアヘンで巻き上げたカネを日本に貸しつけ、金融大国として発展したという秋田茂氏(「イギリス帝国の歴史」)の知見に符合する。

 一見、日本はイギリスに助けられて近代化を果たしたという風にも見えるが、紳士の顔をしたイギリスにも海賊のような裏の顔もあるわけだ。清国の広東から紅茶や陶器を輸入していたイギリスは、代金の銀を払えなくなると、紫禁城の側室の媚薬として買われていたアヘンに目をつけ、インドで大規模なアヘン農場を作って清国に輸出してかの国をアヘン漬けにした。清国が輸出を止めさせようとすると、戦争を仕掛けて清国を制圧した。イギリスは、アメリカやロシアもそうだが、アジア人やアフリカ人を人間として見ていなかったから、皆殺しにすることは平気だった。どちらが文明で、どちらが野蛮なのか分からない。

 しかし日本には欧米より古い歴史があり、文化文明がある。アメリカと違い、すべてをカネに換算しない美学、知識を大切にする土壌、秩序・和を大切にする美学、思いやりの心がある。これがある限り、日本は偉大な国になれる。こんな国は世界のどこにもない。今はアメリカのポチだから、グローバル化と称して全員英語を学ばされているが、日本文化文明の魂である立派な日本語をキチンと学ぶべきだ。本当は日本が外に出て行って、グローバル化を図るべきなのだ、と主張する。

 問題なのは、選ぶべきリーダーがいないこと。日米が戦争している時も、アメリカでは新島襄の肖像画は外されないほどに、尊敬されていたという。そんな人物がいなくなってしまった。結局、教育環境の問題になるのだが、この流れを変えるためには、優秀な人間をさらに伸ばす教育にすべきだという、最初の話に戻った。

 明治維新の話はかなり刺激的で面白かったが、突拍子もない話ではなく十分にあり得る話だと思った。英語より日本語をという主張も、エリートを育てる教育方式の主張も賛成できる。そして今日本が、欧米の文化文明の影響を脱して、固有の日本文化文明に立ち返りその良さを世界にアピールし影響を与えていくべきだとするのも、何となくは理解できる。しかし、回帰すべき日本固有の文化文明とは何なのか、欧米の文化文明の何を捨て何を残すべきなのか、については明確ではない。

2014年10月14日 (火)

「パリ不戦条約」について

 文芸春秋1409で読売新聞の渡邉会長の「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」を読んだ。個人的には好きではない人物だが、意外なことに、教えられること、共感できることが沢山あった。

 渡邉氏の趣旨を要約すると、昭和戦争は侵略であったと認め、そのシンボルである靖国神社の公式参拝をやめるべきだと言う。A級戦犯の分祀をするか、祭神の名義や特定の宗教と関係のない追悼施設を作るべきだとしている。私も全く同じ意見だ。

  氏は、昭和戦争は軍部の無謀な戦争拡大によって大戦争になったが、その戦争拡大が1928年に日本が調印した「パリ不戦条約」の戦争放棄に違反したが故に、日本の戦争責任を問われたのだという。これは初めて知ったことだが、なぜそれ以前に帝国主義戦争を展開した列強の戦争責任が問われないのかという疑問がこれで解けた。

  パリ不戦条約とは、欧米の列強による帝国主義戦争に終止符を打とうという国際世論の盛り上がりを受け、1928年に締結された「戦争放棄に関する国際条約(通称ケロッグ=ブリアン条約)」(Wikipedia)だという。その第一条に、日本憲法第九条と内容的に同じ「戦争放棄」が謳われている。これが普遍的な世界共通の法規範になっているのだ。

  但し、日本による不戦条約の空文化を踏まえ、1945年の国連憲章では、「戦争放棄」ではなく「武力による威嚇または武力の行使」を原則禁止するものとなっている。日本国憲法はその両方を踏まえたものとなっている。

 では戦後に、英米仏やソ連が行った軍事行動は、国連憲章に違反していないのか。その時、盾になっているのが、国連憲章第51条の「個別的または集団的自衛の権利」である。国連加盟国に対する武力攻撃が発生した時に、国連安全保障理事会が必要な措置を取るまでの間の権利である。ここでは、集団的自衛権が侵略の口実となっており、空文化している。これについては、別の機会に考えたい。

2014年4月15日 (火)

水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」を読む

 著者は、「長い16世紀」のイタリアで起きた「利子率革命」が、中世封建制の終焉と近代の幕開けの兆候であったことから、日本で続く超低金利が近代資本主義の終焉のサインであると説く。

 資本主義とは、余剰利益を再投資し資本の自己増殖を推進する仕組みだが、「中心」が利潤率を高める事ができたのは、収奪できる「周辺」が存在したからである。

 今や地球上に「周辺」が少なくなったため、延命のため国内に貧困層という「周辺」を創り出して利益を確保し、その結果、民主主義を崩壊させたのだと言う。やや強引ながら単純明快な理論はかなり分かり易い。

  電子・金融空間を開拓し資本主義の延命を図った米国はリーマン・ショックで破綻し、近代化を目指した新興国も先進国の消費低迷で輸出が行き詰まり、技術で世界を制した日本は、欧米に先行して資本主義の臨界点に達しバブルになった。政治的に国民国家を超えようとしたEUも資本を抑制できず欧州危機に陥った。

 今や資本の使用人となった国家の成長政策は、財政危機とバブルをもたらし、雇用を犠牲にしながらグローバル資本に富を集中させる。

 民主主義を守るために、グローバル資本の暴走にブレーキを掛けつつ、安定したゼロ成長社会を構想するしかないと説いている。

 最近起こっている様々な出来事の本質を、すっきりと整理してくれた。

2014年2月 1日 (土)

西欧型グローバリズムと動物権思想

 昨日の市民講座のテーマは「西欧文明の本質」。講師は元駐ヴァチカン大使で杏林大学客員教授の上野景文氏。内容は「西欧型グローバリズム」と「動物権思想」の話が中心だったが、実に興味深いものだった。以下要約。

  先ず、西欧人と日本人のメンタリティの違いを頭に入れておく必要がある。日本は多 神教的・アニミズム的でモノをも仲間に感じる。相対主義ですぐ妥協する。感性的に反 応して行動する。一方、西欧は一神教で、聖なるもの・正義が絶対的にあって、これが 侵されると不愉快に感じる。イデオロギー的に行動する。だから人権も民主主義も議会 制度も神聖なものであり、冒さざるべきもの。ほとんど宗教に近い。

  次に、西欧型グローバリズムの話。ノーベル賞、オリンピック、世界遺産、ギネス、 ミシュラン等は、ブランド認定装置であるが、すべて西欧が、超越的な権威を持って世 界標準を決め世界を対象にして認定している。そこには西欧の標準が普遍的で世界の基 準だという欧州中心主義がある。認定委員は西欧人が圧倒的に多く、当然、欧州に都合 の良い決定がなされるという問題がある。そろそろ西欧色を希薄化すべきだし、日本も 権威を付与する側に回るべきだ。

  これらの認定装置の構造は、ローマ法王がその超越的権威により世界の聖人認定をし てきた伝統的構造そのものである。ローマ法王の権威を否定したプロテスタントの国で ある米国は、ボトムアップ志向・草の根志向であり権威には懐疑的。アカデミー賞もW BCも世界対象ではなく基本は一国主義。権威否定の思考が、市場原理主義の米国型グ ローバリズムにも反映している。西欧型グローバリズムが、権威型であり、至上主義に 懐疑的なのと対照的である。

  次に、動物権思想の話。西欧は脱キリスト教化が進んでいるが、一神教的なメンタリ ズムは生きている。つまり「神抜き」の新たな信仰」が浸透している。ローマ法王の考 え方に反発した科学信仰、人権・自由信仰がそれ。動物権運動の元になっている「母な る自然」信仰も勢いを増しており、今後もっと主流になってくる。既に欧州では、化粧 品開発のための動物実験は規制されたり、スペインの闘牛禁止、狭い鳥獣舎の禁止など が法律化され始めている。

  動物権思想は、創造主中心のキリスト教的世界観からケルト的・汎神論的世界観への 回帰ともいえる。しかしイデオロギー化しており、反捕鯨論のように過激化しているも のもある。またそれは余りに直線的なアプローチであり、偏向している。天より与えら れた生き物を感謝をこめて活用することは決して悪ではない。従って古来動物との関係 性を自然の摂理に従って保ってきた日本人の自然観を、いまこそぶつけるべきではない か。

 西欧が脱キリスト教化しているにも拘らず、キリスト教的なイデオロギーによる排他主義が生き残ったまま、自然崇拝のアニミズムに近寄っているという構図が見えたことは収穫だった。

 また、西欧型と米国型の2種類のグローバリズムの存在とその違いも知ることが出来た。西欧型の方が、まだましと言えるが、西欧の価値観が絶対という信仰がある以上、普遍的でも何でもない。もっと日本的・東洋的な価値観が、世界に向かって主張されねばならないとも感じた。日本と中国の価値観・思想もまた大きく違うのではあるが。

2014年1月18日 (土)

「イギリスとヨーロッパ 日本とアジア」を考える

 昨日の市民講座で、木畑洋一氏の「イギリスとヨーロッパ 日本とアジア」という話を聴いた。「英国のEU脱退の可能性も取り沙汰されているなか、なぜ英国は欧州統合に距離を置くのか、その歴史的背景を探る。また、同じ島国として日本とアジアの関係について考える。」という二つのテーマだったが、後半のテーマについては余り良く分からなかった。

 英国とEUとの関係の歴史について丁寧な説明があった。なぜ英国は欧州統合に距離を置くのかという問いに対する答えは、「英国人にとっては、欧州よりも英帝国=英連邦や英語国=米国の方が近い存在だから」ということだった。

  60年代に、植民地の独立やEECの発展を見た英国は、経済のためにEECへの加盟 を申請したが、ド・ゴール仏大統領は、「英国は米国の『トロイの木馬』」だとして拒 否した。ド・ゴールが去った後、70年に3度目の加盟申請をしてやっとEC加盟が決ま った。

  1975年にECへの残留を掛けた国民投票が行われたが、残留支持票が反対票の倍あっ た。しかし、80~90年代の通貨統合や為替相場メカニズムの動きには消極的で、結局  現在もポンドの独立性を維持している。サッチャーの演説に見られるように、ヨーロ  ッパ共同体とは、独立した主権国家間の積極的な協力関係としか見ていない。世論も  ユーロ参加に対しては60%が反対しており、ユーロ危機後の13年には74%が反対した  。国家志向が強いのだ。あるいは世界に築いた帝国のプライドが残っているのだろう  か。

  1993年、EUが発足、EUは拡大し続けている。英国も加盟し続けているが、統合へ の消極的世論は根強く、欧州議会でもEU脱退を説く英国独立党が得票を伸ばしている 。小康状態だとは言え危機が続くEUも、EUと英国との関係も不安定でどうなるか、 まだ分からない。

 同じ島国だからといっても、英国と欧州、日本とアジアの関係は余りにも違いが大きい。前者は消極的だが、欧州の一員としての意識がある。一方、後者ではASEANはあるが、アジア市民という感覚は全くなく、統合への道は遠い。中国・韓国との間に領土問題や歴史認識問題があり関係は悪化している。日本の針路を考える上で、英国から何をどう学んだらよいのか皆目見当がつかないので質問してみたが、余りはっきりしなかった。それは自分で考えよということだろう。

 他の参加者から、日本でもめている近隣諸国との戦後の清算について、欧州ではどうなっているかという質問が出て、結局ともに敗戦国であるドイツと日本の比較の話になった。木畑氏から、ドイツは近隣諸国と和解のために主体的努力をしたが、日本はその努力を欠いた、との説明があった。

 その件に関しては、コーディネーターの山内久明氏から、日本は冷戦下で米国の傘の下に入ったために、アジアとの和解に積極的でなかったとの補足があったので良く理解できた。日本は戦後一貫して日米関係基軸外交を進めてきたので、アジアとの関係構築を疎かにしてきたのだ。英国は、経済的には独立性に固執しながらも、外交・安全保障政策では98年以降、対米協力一辺倒の姿勢から欧州共通防衛政策への転換をし始めている。木畑氏は、ここは英国に学ぶ必要はないといったが、私としてはこここそ学ぶべきだと思った。

 米国の政策自体がアジア重視に変わりつつある今、米国追随一辺倒は米国にとっても迷惑になってきているのだ。日本は外交的・安全保障的にも米国から自立すべきだし、一方でアジアとの協調関係構築を積極的に進めるべきだと思う。

 サッチャー元首相のいうように、経済的な協力の共同体と言えども、伝統や文化が違う国民のいる国民国家の主権はなお残すべきであり、国はその国民を守るべきだと思うのだが、経済共同体が、一部大企業のためのものとなり国民が虐げられるようなものにしてはならないことは当然だ。

 ただ共同体に加盟することは、人・モノ・カネ・サービスが自由に流通することであり、資本の論理に従って、安い労働者・モノ・サービスが入ってきて国民の生活を圧迫する可能性は大である。そこで国民をいかに守るかが国家の役割のはずである。

 その点では、川口マーン恵美氏の「EUとTPPの方向は同じ」として、「TPPにおける日本の立場は、EUでドイツが搾り取られているのと同じ立場」いう鋭い指摘の方が納得性が高い。今学ぶべきは、EUにおける英国よりもドイツだと思った。

2013年11月29日 (金)

「ユニクロ型デフレと国家破産」を読む

浜矩子「ユニクロ型デフレと国家破産」文春文庫2010を読んだ。20世紀後半から現在にいたる世界経済の大きく目まぐるしい動きが分かりやすく説明されており、大変勉強になった。なぜ日本だけがかくも深いデフレの痛みを負ったのか、現政府の脱デフレ政策がいかに見当はずれなものかが、よく理解できた。
以下、要約。
▼著者は09年以降の日本のデフレは従来型とは違い、供給は拡大しているのにモノの値段だけが縮み続けている新型デフレだという。企業が生産を維持するために労働者の賃金を犠牲にして安売り競争に走ったからだが、その背景には東西冷戦後のグローバル化がある。世界の安い労働力を調達して生産しなければ競争に勝てなくなったからだ。これを象徴的にユニクロ型デフレと呼んだ。
▼90年代、世界ではグローバル化が進行していた。日本はバブルの清算に追われ、21世紀に入ってからグローバル化に対応したため、遅れへの焦りからか過剰に適応した。小泉政権の新自由主義政策と相まって弱者切捨てで、激烈なグローバルの安売り競争に突入したため、日本社会は大きく変化し、労働者の痛みが酷くデフレからの脱却が遅れた。大陸欧州は弱者救済の論理でバランスをとったが、米英日は格差社会化が進んだ。
▼一次大戦で欧州が疲弊した後に勃興し、二次大戦後、金を大量に保有していた米国は基軸通貨国となったが、各国が成長した60年頃から輸出力が落ちた。71年金本位制を終焉させドルにおける金の裏付けがなくなったが、米国は消費水準を維持するため、信用力がまだあったドルを無制限に発行し経済成長を煽ったため、輸入超過の借金大国になった。同時に通貨インフレとなった米国は80年代、レーガノミクスの高金利・ドル高でインフレを収め無痛の繁栄をした。86年、金融自由化で金利上限規制が外され、米国金融業界は新金融商品の開発競争を始めたが、90年代、世界中から流れ込むドルの膨張とFRBの放任により、一段と投機化し歯止めなく暴走して行った。
▼グローバル化でカネも国境を越えて動くようになったが、IT技術がこれを加速した。慢性欠病の米国に向かって、カネ余りの日本、中国、ドイツから大量の資金が流れ米国の成長を助けた。しかし01年ITバブル崩壊、06年住宅バブル崩壊、08年リーマン・ショックと、米国金融の破綻がグローバル化ゆえに世界金融危機となり世界同時不況をもたらした。各国政府が銀行や大企業に公的資金を注ぎ込んだ結果、国家の債務が膨らみ、企業が生き残った代わりに国家が破たんの危機に見舞われた。日本はギリシャより破産に近い国だ。身内からの借金なので安全と言われているが、身内といっても企業の論理で動く機関投資家だから警戒は必要だ。
▼デフレは「自分さえ良ければ」病を発病させる。むき出しの自己利益追求は、共喰い・共倒れの世界をもたらす。30年代の大デフレでは、保護主義や為替切り下げ競争によってはデフレ脱却が出来なかった。結局、足の引っ張り合いから失業の輸出となり、最後は第二次大戦で戦争需要を作り出した。
▼富の偏在がバブルを引き起こし、崩壊して恐慌になる。それを繰り返さないと成り立たない経済は異常だ。20世紀的価値観で成り立っている古いシステムを解体し、グローバル化時代に即した「新しいパラダイム」を創出するときが来た。一人勝ちの思想から、「あまねき富の均霑」の思想への転換が必要だ。まずは金融の暴走の元凶である”実体無き基軸通貨”ドルの清算が必要で、それを可能にするのは、日本も米国も痛みを伴うがドルの暴落(1ドル50円)だ。
▼新型デフレから真に脱するためには、”潰し合い”から”分かち合い”へと社会全体が舵を切り替えていくしかない。”三方一両損”に21世紀の共存共栄の道を見る。戦後日本が成長してきた集権的管理モデルは、経済大国になった時点で役割を終え時代遅れだ。21世紀にふさわしい日本経済の姿は、競争的分権モデルだ。それは日本という国民国家を形成する地域共同体(開かれた小国)あるいは地域経済が、それぞれ独自性をもって機能し、相互に切磋琢磨し、協力し合う状態である。それぞれの状況にあったスタイルで自己展開する共同体群によって多様性が構成される。
▼これまでのように国がすべてを背負って無理を続ければ国家破綻になる。「開かれた小国」時代における国家の役割は、主役である地域共同体が、荷の重いことや隙間を埋める機能を国家に権限委譲する。市民が、市民に近い地域が、国に何をさせるか決める。現在は、グローバル資本主義からグローバル市民主義への過渡期ではないか。

2013年11月24日 (日)

「新潮75―どうする超高齢社会」を読む

 「新潮75―どうする超高齢社会」は新潮45の11月号別冊で、編集長はビートたけし。

 30年後の日本は4割弱が高齢者になる。若い人には悲惨な現実が確実に来る。だが、逃げ切れる老人は勿論、他の世代も誰も真剣には考えていない。たけし編集長の言い方は冗談っぽいが真実だ。ポックリ保険や姥捨て山の復活でもしなければ社会がもたない。

 国にカネがないので年金も医療も介護もどんどん自己責任になっている。老人の働く場も少ない。個人もカネがなければ長生きも病院や施設で死ぬこともできない。子供と同居する老人が4割で1割の欧米より多いとはいえ減少傾向であり、子供にも介護する余力がなくなってきている。

 カネのない孤独な老人は自殺するか、「屋たれ死に」(河内孝氏)するしかなくなる。老人問題は欧米でも同じで、福祉社会の欧州でも財政難でサービス低下させざるを得なくなっている。またスイス・オランダ・ベルギーのような「合法な安楽死」の認知に向け動いている(三井美奈氏)。医療や介護の保険のない米国では、カネのない老人はもっと悲惨だが、NPOや自治体が支援する仕組みがあり、なんとか社会がもっているようだ(矢部武氏)。

 藻谷浩介氏の「『年金・介護・医療』危機脱出への処方箋」も興味深く読んだ。高齢者が受け取っている年金は、若い人が払い込んだ年金に毎年10兆円を補てんをしたものだ。高齢者は介護・医療の不安があるために、年金を消費せずに貯金するから、若い人にお金が回って行かず経済が縮小していく。であれば、補てんを止め賦課方式を厳正に適用し、年金の支給額の減少で困窮する高齢者を生活保護費で面倒を看ることにすれば、高齢者は貯金を使うはずだというのである。将来の生活が保障され不安が消えれば、貯金は消費に回るだろうが、生活保障の質と費用がどのように確保されるのかが問題だ。

 また介護施設については、費用の安い特別養護老人ホームは数が足りず、民間のケア付きマンションは金持ちしか入れない。そこで普通の高齢者が集まって住む、個室の確保されたグループホームが良いと言う。介護保険を使わなくとも入居者の生活保護費だけで食費・家賃・給料が賄えるという。健康や食事管理もできるので医療費の抑制にもなる。死に場所としても適切だ。独居に耐えられなくなった老人がいつでも移れるような体制があることが重要だと説いている。是非そうした施設を沢山作ってもらいたいものだ。

 黒川祥子氏が紹介している「夢のみずうみ村」という介護施設の運営方法にも感銘を受けた。従来の施設では、当人ができるそうなことでも介護者がぱっとお世話する方式で、その方が手間がかからず安全であるし、要介護度が重い方が施設は儲かるから改善する気はない。ところがこの施設では、生活力の回復、要介護度の改善をめざし、できるだけ手を出さず見守る介護、本人の意思を認め保証して行く体制、バリアを体験させ克服させる環境づくりなどユニークな取り組みを行っている。老々介護をし始めた自分としても、いろいろ考えさせられたことが多かった。

2013年9月 7日 (土)

「ナショナル・アイデンティティと領土」を読む

佐藤成基「ナショナル・アイデンティティと領土―戦後ドイツの東方国境をめぐる論争」2008新曜社を友人に勧められて読んだ。

  戦後ドイツが東西に分割されただけでなく、領土の1/4を失ない14百万人のドイツ人が被追放者となった悲劇を全く知らなかった。ソ連が領土拡張のためポーランド国境をドイツ領内に移動したためだ。戦後ドイツはこの国境を暫定としていたが、1970年ブラント政権は国境線を承認し領土を放棄した。但し法的には、戦前の帝国が存続したため、被追放者の抵抗の拠り所となり、90年の東西統一、国境条約締結まで論争が続いた。何故、ドイツは領土放棄ができたのかを克明に追跡した大変貴重な研究だ。ドイツの過去の克服のしかたに感銘を受けた。

  代償として領土を放棄することが、ポーランドとの和解、欧州平和への貢献、諸外国との友好関係、国際的信頼の回復を進め、国の行動の選択肢を広げ、結果的に国益に繋がるという政策が幅広く支持されたわけだが、その前提にはドイツ人の公共的規範の枠組みとして、ナチス犯罪の克服という義務の観念に依拠するホロコースト・アイデンティティが広く受け入れられたからだと著者はいう。それに対し自らが起こした戦争を未だ総括できず、米国の威の蔭に隠れて国際社会で存在感を発揮できない日本のアイデンティティとは一体何なのか考えさせられた。

  この本では、補論として日本の北方領土に触れているが、シュミット元首相の意見に依りながら、固有の領土論に拘らず、現実の認識に基づいて、戦争に敗れたという事実を「深く理解」した上で、領土返還がどれほどの「国益」になるかのかを再検討してみても良いのではと提言している。国際的には、歴史的に見て固有の領土という論理は領土要求の根拠にならず、国際法的な規定がより重視されるという。大変勉強になった。

2013年8月31日 (土)

「憲法九条の軍事戦略」を読む

 松竹伸幸氏の「憲法九条の軍事戦略」2013(平凡社新書)を読んだ。
この本を読むことにより、かなり頭の中を整理することができた。紹介してくれた読友さんに感謝したい。具体的な軍事戦略については分からない部分も多いが、米国の軍事戦略に、強い不安と不満を抱く自分にとっては、その基本的な考え方に共感する部分が多かった。

 著者が言うように、「米国の言うことを聞けないのならば、米国は日本の安全を保障しない。それでもいいのか。」という米国の威嚇に日本が屈している限り、日本は主権無き国家だ。憲法で集団的自衛権が行使可能となれば、国連憲章を無視する米国のすべての戦争に巻き込まれて行く。日本が主権を取り戻し、憲法九条の精神を守りながらも中国や北朝鮮の脅威に対応するには、日米安保条約の抑止力に依存しない専守防衛に徹した独自の軍事戦略を持つしかないという著者の意見は傾聴に値する。これを政策として掲げる政党がなく憲法改正が着々と進むのが怖い。

 改めて政府自民党が進めようとしている憲法改正の本丸ともいえる九条をこの機会に改めて見ておきたい。現行憲法は次のようなものだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動    たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、  永久にこれを放棄する。

   2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交  戦権は、これを認めない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 それに対し自民党の改正案は、次のようになっている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動  としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段  としては用いない。

  2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

  第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理  大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

  2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、  国会の承認その他の統制に服する。

  3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めると  ころにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活   動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うこ   とができる。

  4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は   、法律で定める。

  5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密  に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に   審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障され   なければならない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

 自民党の改正案では、戦争は放棄するが、武力による威嚇・武力の行使は「国際紛争を解決する手段としては用いない」が、その他の場合には武力行使も可能としている。その他の場合とは、自民党のQ&Aによれば、自衛権行使と国際機関による制裁の場合である。また第2項は完全に削除することで戦力の保持・国の交戦権を可能とし、さらに「第1項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」として、集団的自衛権の行使可能性を盛り込んだ。集団自衛権とは同盟国が武力攻撃を受けた時、その国を助けるために軍事行動を行う権利である。 さらに九条の2を追加して、国防軍は自衛や国際機関による制裁のほかに、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」のために武力行使が出来るとしている点が要注意である。

 集団自衛権については、日本が攻撃された時に米国に助けてもらうのに、米国が攻撃された時に日本が助けないのは、明らかにおかしいというのが政府自民党の主張である。それは国際法や国連憲章が、どの国に対しても認めていることだから、それが憲法の制約で出来ないのであればそれは憲法がおかしい。日本は憲法を改正して『普通の国』になるべきだと、一般論としてはごく当たり前の主張だ。しかし、この主張が当たり前のことと言えるには、日本と米国に関わる二つの前提が必要だ。

 一つは米国と日本が対等な同盟関係にあり、米国の戦略が間違っていると日本が考えた時にはNOが言えること。もう一つは米国が、国際法や国連憲章を守る国であり侵略戦争をしない国であることだ。ところがこの前提条件は二つとも満たされていないように思われる。

 先ず二つ目の条件を見てみる。米国は自国が攻撃されていなくても、他国が脅威にさらされていると自ら判断すれば、国連の決議は無視して他国を武力攻撃する国である。世界一の軍事力を背景に、自分たちの判断が絶対に正しく、常に「国際社会の平和と安全を確保するため」という大義を掲げて、覇権を拡大し続けている国である。国連安保理が支持しなかったイラク戦争が良い例だ。結局、攻撃の根拠となった大量破壊兵器は見つからず、しかも裏で米国の石油メジャーのために同盟国である仏独の石油利権を奪おうと画策していたことが発覚した。どんな場合でも、軍事戦略の裏には必ず経済戦略があると考えた方が良い。

 にも拘らず、小泉政権は他国に先駆けてイラク戦争を支持した。日本は「米国の戦争はすべて正しい」という思考停止に陥っている主権放棄の国だ。同盟関係というより、支配従属関係であり、これは未だ戦勝国による敗戦国の支配が継続しているという事でもある。北大西洋条約機構(NATO)における米国と欧州諸国との関係とは全く異なる。彼らは主権を持った独立国として米国に対してはっきりとモノが言えるし、常に軍事行動を共にするわけではない。

 松竹氏によれば、日米安保条約は元々ソ連や中国を意識した米国のアジア太平洋戦略の拠点確保のための条約であり、日本防衛のためでも何でもない。そもそも自衛隊の設立・拡大・保有兵器の内容まで米国のアジア太平洋戦略に沿ったもので日本が自主的に進めたものではないという。集団的自衛権の行使も憲法改正も、経済力の落ちた米国が軍事力を日本に肩代わりをさせようとする戦略から日本政府に要求してきているものだ。

 二つの前提条件が満たされないままに、憲法改正を行えば、日本は米国の従属国として米国のすべての戦争に巻き込まれ、世界の多くの国を敵に回すことになる。海外派兵で他国の国民に銃口を向け、また血を流すだけでなく、さらには日本を攻撃対象に導くことになる。日本は憲法改正を進める前に、自国の軍事戦略を明確にし、日米安保を見直し、米国にはっきりモノが言える国にならねばならないと思う。

 安倍政権にそれができるのだろうか?戦後レジュームからの脱却と称し、一見、米国から与えられた憲法を見直し日本の主権回復をめざすような物言いに騙されるが、米国従属の姿勢は少しも変わっていない。むしろ集団的自衛権を行使すると言って米国のご機嫌伺いをしているようにしか見えない。

松竹氏のいう「憲法九条の軍事戦略」は、次の3本柱からなる。
①「専守防衛」を本来の意味へもどす(:安保抑止力を放棄し自衛に徹する)
②主権の維持と協調を両立させる(:緊張を生むのでなく衝突を回避する)
③将来的には軍事力を必要としない世界をめざす(:まずはアジアの安定を安保以外でめざす)

 松竹氏が教えてくれたのは、「抑止力へのこだわりを捨て、自衛にこだわる」という考え方である。侵略されたら自衛隊が反撃して侵略を押しとどめるのが、専守防衛=自衛であり、相手国に戦略攻撃を仕掛け都市や市民に耐えがたい損害を与える核兵器等の軍事力を保有することで侵略を防ぐのが抑止力である。日本は攻撃用の軍事力を持たないが故に、米国と同盟を結んで米国の抑止力に期待しているわけである。

 そこには攻撃用の軍事力を持たない限り、侵略される危険や政治的圧力に負ける危険があるという考え方がある。それは裏返せば、軍事力で世界の覇権をめざすという戦前の日本の戦略と現在の米国の戦略に相通ずるもの考え方だという。しかし、攻撃用の軍事力は抑止力にならず、軍事力拡大競争と緊張関係の増大の悪循環に陥ると松竹氏はいう。

 大戦の教訓を踏まえ、国連憲章はじめ国際法が容認する軍事戦略の在り方は、どうしたら自衛の範囲に留めるかという方向に変換しようとしてきた。にも拘らず、日本の支配層は軍事力による抑止戦略に固執しており、それが米国依存の元になっているという。

 松竹氏によれば、国際法上、自衛の範囲を超える反撃は許されていないという。国連憲章は更に自衛権を制約しており、自衛権発動は、武力攻撃が発生した場合と明確化し、安保理が必要な措置を取るまでで、安保理への報告が必要としている。抑止力は、国際法における自衛権の要件に違反するものである。国連が取る国際紛争解決の手段は、参加国で構成される国連軍による集団安全保障体制である。日本は、国連憲章を・国際法を順守すべきだし、九条があったが故に率先してそれを実践してきた。

 但し、国際法・国連憲章には、九条のような「戦力や装備の制限」と「集団的自衛権の制限」はない。日本憲法は戦争放棄を宣言しているが、自衛権を否定していないと解釈されている。そして(攻撃)戦力はもてないから、自衛権を担保する最小限の実力組織は認められると解釈されてきた。これが日本の無制限な戦力保持を防いできたのだ。日本は戦争のない世界を築く上で、国連の先を行っていると考えるべきだ。それを米国の言いなりになって、後退させるべきではない。

 武器輸出三原則や自衛隊が海外で殺傷行為をしないという原則があるからこそ、日本は紛争国の間に入って武器保有低減交渉や利害調整に一役買うこともできているのだという。その路線を進めるべきだしそのためにも、日本は米国従属でない憲法九条の軍事戦略を明確にし、国民だけでなく世界に発信することで、多くの国を味方につける、米国の国民にも味方になってもらうことが必要だと思う。

 しかし、最初に書いたように、このような政策を検討する政党はなくましてや政権もなく、現実に安倍政権が着々と憲法改正に向けて準備を進めており、絶望的な状況なのだ。さらには現憲法でも集団的自衛権の発動は可能だという解釈を引き出すよう首相は指示したらしい。
 米国はまたもや国連安保理を無視し証拠押さえも不十分なまま、シリアへの武力攻撃を開始しようとしている。嫌な流れだ。

より以前の記事一覧

お薦め本

  • 鈴木亘: 「財政危機と社会保障」
  • 波頭亮: 「成熟日本への進路」
  • 中野剛志: TPP亡国論
  • 増田悦佐: 日本と世界を揺り動かす物凄いこと
  • 古賀茂明: 日本中枢の崩壊

お薦めサイト

フォト
2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ